第25話 包帯公爵の葛藤
「このオルゴールを鳴らす鍵は、シエラに渡しているんだ」
「まあ! そういうことなら、部屋に帰って鍵を探してみます! ふふ、どんな音色が鳴るのか楽しみですわ」
「気に入ってもらえると良いのだが」
「記憶を失う前のわたしは気に入っていましたか?」
「あぁ……おそらく」
その問いに、シエラにプレゼントした時のことを思い出しながら答える。
シエラが大好きな音楽と引き離したくなくて、オルゴールを作った。
愛している、という想いを込めて。
そして、その音色を聴いて、シエラは皆に愛されているのだと伝えられるように。
側にいられなくても、アルフレッドのことを思い出してくれるようにーーと。
シエラは満面の笑みで受け取ってくれた。
鍵でオルゴールのネジを回す仕掛けも気に入ってくれて、その日は二人でオルゴールの音色を聞いたのだ。
アルフレッドにとって、とても幸せな時間だった。
「でしたら、きっと気に入りますわ」
にっこりと、シエラが嬉しそうにオルゴールをぎゅっと抱きしめる。
思わず、アルフレッドは手を伸ばしてシエラに触れそうになった。
記憶にない夫に触れられるなど、きっと不快でしかないだろうに。
だから、触れる代わりにアルフレッドは愛しい妻の名を呼んだ。
「……シエラ」
「はい?」
こちらを見つめる虹色の瞳はよく知るものなのに、ついこの前まであったはずの愛情は感じられない。
「……思い出したくないかもしれない記憶でも、取り戻したいと思うか?」
シエラは、アルフレッドのことを知りたいから会いに来てくれた。
それでも、傷ついた心が拒否する記憶を、本当に取り戻したいと思っているのだろうか。
もしも、忘れたままがいいというのなら、アルフレッドは無理に思い出させたくはない。
「……わたしは、忘れてしまったけれど、これだけは分かります。あなたの声は最高の音だと。アルフレッド様の声はわたしの不安を取り除いてくれるみたいです。わたしは、アルフレッド様の側にいたいです。そのために、わたしはすべて思い出したい……っ!」
シエラは震える声で、それでもはっきりとアルフレッドに言った。
不安がない訳ではないだろう。
記憶を失った原因が夫であるアルフレッドだと聞かされているのだから。
それでも、シエラは思い出したいと、側にいたいと望んでくれている。
まだ、完全に失った訳ではないのだ。
もう二度と取り戻せなくなるほどに、壊れてはいないのだ。
「ありがとう。だが、今日はもう遅いから、部屋に戻った方がいい」
「……分かりました」
残念そうにしながらも、シエラは素直に頷いた。
「無理せず、ゆっくり休むように」
「ありがとうございます」
そうしてシエラを部屋まで送り届けたところで、メリーナがそっとアルフレッドを呼び留めた。
「旦那様、奥様のことでご報告したいことがあります」
シエラが聞き取れないよう部屋の外で、耳打ちされた内容にアルフレッドは衝撃を受けた。
――奥様は、アルフレッド様のことだけではなく、十年前の事故のことも忘れてしまっているようです。
十年前、シエラは母親を事故で失っている。
それも、シエラが浮気現場を目撃してしまったことがきっかけで、家を出た直後のことだった。
シエラは自分を責め、“呪われし森”に入った。
自分が何も見なければよかったのだ、という自責の念は魔女の呪いを引き寄せてしまう。
そうして盲目となったシエラと、アルフレッドは森で出会ったのだ。
その時が初恋だったと、シエラは照れながら話してくれた。
しかし、今のシエラは母親を失ったトラウマごと記憶から抜け落ちている。
(もし、私のことを思い出せば、再び辛い過去を思い出すことになるのか……)
幼い少女が自分を呪うほどに傷ついた過去。
〈ベスキュレー家の悲劇〉で心に深く残る傷は、シエラの存在があってもやはり時々疼く。
家族を失った悲しみ、痛み、寂しさ、後悔……。
それらは時とともに見ないふりがうまくなるだけで、傷が消える訳ではない。
その傷を見る度に、その時の感情が蘇ってくるのだ。
今のシエラは、過去のトラウマを失い、心の傷さえも忘れている状態だ。
見なければ、苦しむことはない。悲しい思いをしなくてもいい。
何がシエラのためになるのだろうか。
「……ただ、幸せにしたいだけなんだがな」
自分に与えられた客間に戻り、アルフレッドはベッドに倒れ込む。
どうしてこんなにうまくいかないのだろう。
シエラの笑顔が見られれば、それだけでよかったのに。
シエラと共にあることが、アルフレッドの幸せなのに。
少し顔を横に向ければ、グリエラにもらった包帯が見えた。
「……なぁグリエラ、“魔女の呪い”って何だ」
縋るような気持ちで、アルフレッドは包帯に手を伸ばした。
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