公爵夫妻のすれ違い
一人では広すぎる寝室のベッドで、シエラは大きな溜息を吐く。
「アルフレッド様、今日も遅いのかしら」
不気味な噂が絶えない包帯公爵のイメージを払拭すべく、アルフレッドは国王の側近として、日々仕事に励んでいる。
時々、いやかなり無茶な仕事をぶん投げられるらしいが、夫は一生懸命国王ザイラックのために尽くしている。
その関係で、領地リーベルトではなく、王都の屋敷に滞在することも増えた。
もちろん、シエラもアルフレッドについて王都へ赴く。
その際は、シエラにも国王から歌姫としての仕事の依頼が来る。
女神ミュゼリアの加護を受けた歌姫は、今はシエラだけだ。国王は国のためにも、シエラの歌を楽しみにしてくれている。他に演奏者として加護を受けている者もいるので、一緒に舞台に立つことも多い。
歌うことは、シエラの生きがいだ。
夜会や舞踏会、様々な社交場で歌うことは懐かしく、呪いが解けたことで、きらびやかな世界を目にすることができて嬉しい。
でも、同時に切なさもこみあげてくる。
舞踏会で男女が仲睦まじそうにダンスを踊っているのを見て、シエラは仕事で会えていないアルフレッドを思い出すのだ。
「うぅ……アルフレッド様の低音ボイスが聴きたいわ。そろそろ禁断症状が出てきそう!」
自分はもうベスキュレー公爵夫人なのだ。貴族間の交流も、立派な奥方の仕事。
そう張り切って、最近は貴婦人たちのお茶会などにも参加するようになった。
しかしそのせいで疲れが溜まっているのか、アルフレッドの気配すら感じられないままに、寝てしまうことが多くなった。
社交シーズンのこの時期、貴族たちはこぞって夜会や舞踏会などを開き、交流を図る。人脈を広げることで新たな事業を興したり、領地を発展させたり、有益な情報を得るためだ。
アルフレッドの仕事の中にも、夜会への参加はあるのだろう。シエラを心配させまいと、あまり仕事の話はしてくれないが。時々、きつい香水の匂いがアルフレッドのスーツから漂ってきているのを知っている。
どんなクラブに参加していたのか、どんな話をしているのか、どんな女性がいるのか、気になって仕方ない。
モヤモヤして、眠れない! と思うのに、瞼は勝手に落ちていく。
「……アルフレッド様なんて、きらいよ……」
心にもない言葉をむにゃむにゃと呟きながら、シエラの意識は夢の中へ。
そして、衝撃的なその言葉を聞いて、膝からがっくりと崩れ落ちたのは今日も帰りが遅くなってしまったアルフレッドである。
「そ、そんな……シエラに嫌われ、た……?」
たしかに最近仕事ばかりで、あまり顔を合わせられなかった。
シエラも舞台に立つ機会があり、すれ違いは続いていた。
「……くっそ、あの国王のせいだ」
責任転嫁の言葉を吐きたくなるほどに、今のアルフレッドは国王ザイラックにこき使われていた。密偵をしていた頃の方が、はるかに優しかったと分かるほど。
――これ全部今週中に終わらせられたら、一週間くらい休みをやるぜ。新婚旅行、まだ行けてないんだろう? 俺からの結婚祝いだ。
なんて甘い言葉に飛びついてみれば、その仕事量は膨大なものだった。
経年劣化で立て直しが必要な建築物の修繕計画作成、現在進行中のサーレン橋の補強工事の指揮、過去の建築様式から現状までの資料の編纂、そして極めつけは密偵時代から継続しての王侯貴族の不正探し……。
怒りを通り越して、呆れてしまうほど、国王は鬼畜だった。
不正の証拠を掴むためには様々な場所で情報収集を行う必要がある。以前は透明人間になって出入りして、証拠を探していたが、呪いが解けた今はそうもいかない。地道に関係者を当たって、噂話や証言を集めなければならない。行きたくもない社交クラブに足を運び、該当の貴族の話を聞いた。
自分が女性にモテる容姿だということを、この時初めてアルフレッドは知ったのだ。
しかし、アルフレッドはシエラに愛されていればそれでいい。
シエラとの新婚旅行の時間を確保するため、アルフレッドは必死だった。肝心の、愛する妻と若干のすれ違いが起きていることにも気づかずに。
「シエラ、どうか私を嫌いにならないでくれ」
夫婦のベッドで、眉間にしわを寄せて眠るシエラに、アルフレッドは懇願する。
かつては、嫌われるために彼女を襲おうとしたのに。
「愛している」
今では、こんなにもシエラに嫌われることを恐れている。
「私が悪かった。仕事ばかりで、シエラとの時間を持てなくて。きっと、寂しい思いをしていただろうに……」
耳元で、夢の中のシエラにも届くように、とアルフレッドは言葉を重ねる。
何度も何度も、愛していると囁いて。
「シエラ……そろそろ、許してくれないか? 起きているんだろう?」
むにゅむにゅと、シエラの口元は不自然に緩んでいた。
ふっと耳に息を吹きかけると、シエラは観念したように笑いだす。
「ふふっ……もう、アルフレッド様、ずるいですわ!」
「何の話だ」
「わたしがアルフレッド様の低音に弱いことを知っていて、わざと耳元でずっと囁いていたでしょう?」
ぷぅっと頬を膨らませるシエラが、とんでもなく可愛い。
しかしまだ、アルフレッドは妻からの許しをもらっていない。
改めて、アルフレッドは頭を下げる。
「シエラ、本当にすまなかった。一人にして。言いたいことがあるなら何でも聞くから、嫌いだなんて言わないでくれ」
「本当に? 何でも言っていいんですの?」
「……あ、あぁ」
そんなに不満があったのだろうか。
焦りながらも、アルフレッドは覚悟を決めて頷いた。
「じゃあ言わせていただきますわ。第一に、アルフレッド様はガードが甘すぎるのです。目鼻立ちの整った美しいお顔に、すらりと背が高く、引き締まった体付き、その上、心臓が震えるその優しい低音っ! 女性が放っておくはずがありませんわ。だから、だから……不安なのです。アルフレッド様から時々香る香水の匂いとか、社交界には美しい女性がたくさんいるでしょうから……」
だんだんと声が小さくなって、シエラはついにうつむいてしまった。
怒っていた訳ではないのだろうか。
「わたしは、自慢できるのは歌だけで、容姿には自信がありませんし……アルフレッド様の隣にふさわしくなっ」
「それ以上言ったら怒る。シエラ以外の女性なんて、興味がない。シエラと出会えたから、私は前を向こうと思えたんだ」
その可愛い身体をぎゅっと包み込む。
「それに、亜麻色の柔らかな髪も、私を映す大きな虹色の瞳も、怒った時にリスのように膨らむ可愛い頬も、食べてしまいたいぐらい可愛い唇も……シエラのすべてが愛おしい」
こんなにもシエラを愛しているのに、不安にさせてしまった自分が情けない。
逆に愛が重すぎて引かれないか、ということばかりが心配だ。
「…………アルフレッド様の、ばか」
そう言いながらも、笑ってくれた気がした。
全力で伝えた愛に、少しは妻の機嫌も直っただろうか。
「今日で、国王に言われた仕事は全部終わったんだ。ようやく、休みがとれる。私は、シエラと二人で新婚旅行に行きたいと思うが……一緒に行ってくれるだろうか?」
シエラの背をなでながら、アルフレッドは優しく問う。
「もちろんですわ! アルフレッド様の妻はわたしただ一人ですもの。誰にも、あなたの甘い低音の囁きは譲れません」
シエラはそう宣言して、アルフレッドにおもいきり抱き着いた。愛しています、と腕の中のシエラが伝えてくれた。
あまりにも心が幸せに満たされて、アルフレッドは本能のままにシエラの唇を奪っていた。柔らかく、甘いその感触をゆっくりと味わう。
「あぁ、ようやくシエラに触れられる」
「ふふ、アルフレッド様、本当にお疲れ様でした」
「ありがとう。シエラも、お疲れ様」
愛しい人のぬくもりを抱きしめて、数日ぶりにアルフレッドはぐっすりと眠った。
シエラと過ごす蜜月は、一体どれほどまでに甘いだろう。
想像するだけで、口元がにやける。
幸せすぎて脳内が見事に庭園と化していたので、次の日ゴードンやメリーナから生暖かい眼差しで見つめられていたことにもアルフレッドは気づかなかった。
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