第32話 奇跡を起こす歌
「……うっ、な、なんだっ」
マーディアルが急に苦しみだした。
もはや痛みなど感じない身体であるのに、胸元を抑えて苦しみ、もがく。
シエラが紡ぐのは、優しい鎮魂歌。
ミュゼリアの加護を得ているシエラの歌は、直接その魂に呼びかける。
もういい。十分苦しんだ。もう、安らかに眠ってもいいのだ、と。
「や、やめろ……嫌だ、私は、私は……」
この世に執着している魔女の呪いと、アルフレッドへの復讐心を抱くマーディアルの心が、魂の癒しを拒んでいる。
歌から逃れようと耳を塞ぐマーディアルの懐から、何かが零れ落ちた。
それは、金のロケットペンダントだった。
その中には、マーディアルの妻と娘の写真があった。
(この男……死してなお、これを持ち続けていたのか)
しかし、マーディアルの心には復讐しか刻まれていない。そのために、魔女の怨念を引き寄せたのだから。
家族に会いに行ってはいないだろう。その存在すらも、今のマーディアルは覚えていないかもしれない。
それでも、無意識にでも、ずっと持ち続けていた。そこに、彼を解放する何かがあるかもしれないとアルフレッドは思った。
本当は、アルフレッドの方こそマーディアルを憎み、復讐したい。
しかし、シエラが必死に歌っている。
哀しい魂たちを癒すための歌を。
それを、身体の主であるマーディアルが拒んでいるから、シエラの疲労は増していく。
だから、アルフレッドは彼の人としての部分に揺さぶりをかけることにした。
「マーディアル、これを見ても私の絶望だけを望んでいると言えるのか?」
マーディアルの胸倉を掴み、その目に無理矢理写真を見せつけた。
その瞬間、マーディアルの身体は固まった。
耳を塞いでいた彼の腕も、力なくおろされた。
そして、シエラの歌がマーディアルの意識を人へと還していく。
「ミリアナ、フェリネ……」
妻と娘の名を呟いて、マーディアルは肩を震わせた。死んでいる彼から、涙は流れない。
それでも、アルフレッドにはマーディアルが泣いているように見えた。
「あなたに大切な人がいるように、私もシエラが大切だ。解毒方法を教えてくれ」
脅しでも何でも手段を選ばずに、マーディアルに方法を吐かせるつもりだった。しかし、今の彼にそれは必要ないように思えた。
マーディアルは、愛する家族を思う、ただ一人の父親の顔をしていたから。
「……フェリネはね、あなたのかわいい花嫁と同じ年頃なのですよ。だから、毒を飲まそうとしたのに、できなかった……解毒など、必要ありませんよ」
シエラの体内に、毒など存在しないのだから――とマーディアルは笑う。
「私は、家族のために地位を求め、国王に認められようと必死だった……いつしか、家族を守るためだという言葉を隠れ蓑に、何でもするようになった。結果、愛する家族の心は私から離れていった……それを、私はすべて皆の称賛を浴びるベスキュレー公爵家のせいにしていた」
シエラの歌が心に届いたおかげか、マーディアルは穏やかに語る。その魂はもう、五年前に死んだ身体から消えようとしていた。
「あなたがしたことは許されることではない。しかし、あなたの家族はきっとあなたを許したいと思っている。ミリアナ様とフェリネ様は毎年、あなたのために花を添えている……」
五年前、“呪われし森”に落ちたマーディアルの遺体は捜索されなかった。
禁忌の森、それも助からない高さだ。マーディアルの死は決定的だった。
だから、マーディアルの遺体は発見されず、墓は空っぽのままつくられた。
爵位を剥奪され、貴族ではなくなったマーディアルの妻と娘は、その日から毎年、崖に花を添えるようになった。
そのことを知って、アルフレッドは一度だけ様子を見に行ったことがあった。
自分たちのために、と無理をして、暴走してしまった大切な人。
相談でもなんでもしてくれればよかったのに。
そうすれば止められたかもしれないのに。
何も言ってくれなければ、怒ることも止めることもできはしない。
二人の親子の悲しげな背中を、アルフレッドは見つめることしかできなかった。
「ふ、ふふ……こんな父を、まだ忘れていなかったのか……」
その言葉を最後に、マーディアルの身体は朽ち果て、砂のようになり、跡形もなく消えた。
アルフレッドは目を閉じ、自分の拳をぎゅっと握り込んだ。
そして、まだ耳に聞こえる美しい歌声にはっとする。
「シエラっ!」
目を閉じ、祈るように歌うシエラを強く抱きしめる。
アルフレッドの胸に口をふさがれ、メロディーがふつりと途切れる。
「もう、大丈夫だ」
シエラの身体は震えていた。当然だ。
緊張と疲労と恐怖、それらを一気に背負わせてしまったのだから。
「ありがとう、あなたには救われてばかりだ」
シエラがいなければ、アルフレッドは前に進むことができなかった。
ただ復讐心だけに囚われ、大切なものを見失ったマーディアルのようになっていたかもしれない。
しかし、闇に堕ちたマーディアルをも、シエラは癒してくれた。
十年前の復讐心と、自責の念を捨てきれなかったアルフレッドの心も。
それに、シエラはアルフレッドを恐れず、ずっと側にいてくれた。嘘偽りない想いをぶつけてくれた。純粋なシエラの光が、アルフレッドの心を癒してくれた。シエラとの幸せを掴みたいと強く思った。
今はシエラに守られ、救われてばかりの自分でも、彼女の隣を歩くにふさわしい男になりたい。
だから。
「シエラ、私は呪われた身だが、もう幸せを恐れたりしない。あなたと共にある未来を守っていきたい。私と、結婚してほしい」
書類上は、もう二人は夫婦で、シエラの想いは知っている。
それでも、アルフレッドは緊張した。
彼女は怖い思いをしたばかり。
アルフレッドの側にいることを拒むかもしれない。
生まれてはじめてのプロポーズに、アルフレッドの胸の内は不安でいっぱいだった。
シエラの肩は震えている。
さきほどの震えとは違う。シエラは泣いていた。
「なっ、す、すまない。急にこんなこと……それに、身体を休ませなければな……部屋に」
狼狽えて、落ち着きなど欠片のないアルフレッドの対応に、シエラは涙を流しながらもくすりと笑った。
そして、伏せていた顔を上げて、そのままアルフレッドの首に腕を回してきた。急に近づいて来たシエラの顔に、アルフレッドは固まった。
ちゅっ。
涙の味がする、柔らかくて甘い感触。アルフレッドは自分の唇に触れたその感触に、呆然と立ちすくんでいた。
「もちろんですわっ! アルフレッド様、大好きです」
嬉しそうに、シエラが笑う。
その笑顔はアルフレッドの心にぬくもりをくれる。
この腕に抱いた大切な存在を、アルフレッドは生涯かけて守りぬこうと誓う。
「私は、あなたに出会えてとても幸せだ」
「わたしも、アルフレッド様と出会えて幸せですわ」
二人は心を通わせて、どちらともなく口づけた。
その瞬間、音楽ホールに満ちていた光の粒子が愛を確かめ合った二人に集まった。
しかし、目を閉じ、互いの唇を愛おしく求める二人は気付かない。
長い口付けの後、二人は目を開いた。
そして、驚愕する。
「ア、アルフレッド様、お姿がっ!?」
さらりと頬にかかる金糸の髪、深い海のような瞳、整った鼻梁、男らしくも優美な姿。
透明人間だったはずのアルフレッドの姿が、シエラには見えていた。
そう、見えているのだ。
「シエラ……見えるのかっ!?」
アルフレッドは、シエラの両頬を優しく包み込み、その虹色の双眸を覗き込む。さっきまで焦点の合っていなかった瞳は、しっかりとアルフレッドを捉えていた。思わず、笑みがこぼれる。
アルフレッドは、愛しいシエラの瞳に映っているのだ。もう、透明ではない。
二人はもう一度、互いの名を呼び合って熱い抱擁をかわした。
自分を責め続け、許すことができなかったために呪いをその身に宿した二人は、愛する人と心を通わせて、心から幸せを求めた。
もはや、その心に十年前呪いを引き受けた時の闇はない。
二人は互いに明るい未来をみつめている。
魔女の呪いを消し去るほどに。
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