第31話 愛する人のために

「ふふふ、私が何もしないで花嫁を手放すと思いますか?」

「……彼女に何をした」

「食堂の、彼らを見ましたか?」

 その言葉に、アルフレッドは食堂で気を失っていたメリーナやゴードン、騎士達を思い出す。

 彼らは、おそらく毒に蝕まれていた。

 あと少し発見が遅ければ、死んでいたかもしれなかった。

「やはりお前だったのか」

「あなたの絶望だけを楽しみにしていましたからねぇ」

「彼らの毒は、原液を薄めて霧散させたものです。そして、あなたの愛しい花嫁の体内には、その原液を閉じ込めたカプセルがあります。あと数分もすれば、カプセルは溶けて毒が漏れ出すでしょうねぇ!」

 ふははは、と堪えきれずにマーディアルが笑う。

 その言葉を聞いて、シエラがビクっと震える。

 アルフレッドは、目の前が真っ暗になった。

 どうすればいい。

 どうすれば、シエラを助けられる……?


「いいことを教えてあげましょう。あなたが偽者だと認め、〈ベスキュレー家の悲劇〉を引き起こした犯人である、とこちらに書けば、解毒剤を渡してもいいですよ。奪い取ろう、なんて考えは捨てた方がいい。解毒剤の処方を間違えれば、即死ですからね」


 にたぁ、と笑いながら、マーディアルは書類をちらつかせる。

〈ベスキュレー家の悲劇〉によってすべてを奪われたアルフレッドに、その犯人は自分であると書かせようというのか。そして、五年前に取り戻したこの地位を、再び手放せ、と。

 マーディアルのことは、信用できない。

 しかし、彼が研究者であり、毒にも通じていることは嫌でも知っている。

 アルフレッドにとって、ベスキュレー家の誇りを守ることは父との約束。

 そして、公爵家として領民たちを守ることが、アルフレッドの生きる目的でもあった。

 しかし、それらを捨てなければ、シエラが死ぬ。

 偽者としてすべての罪を被ることは、”アルフレッド・ベスキュレー”の死を意味する。

 それでも、アルフレッドは迷うことなく答えた。


「わかった。本当に、解毒剤を持っているのだろうな」


「駄目ですっ! アルフレッド様、わたしのために今までアルフレッド様が大切にしてきたものを手放す必要はありませんわ。だって、アルフレッド様にとってわたしは邪魔な花嫁でしょう?」


 アルフレッドの胸元をぎゅっと握って、シエラが涙ながらに訴える。

 大きな瞳いっぱいに涙を溜めて、アルフレッドをマーディアルのところに行かせまいとしている。


「シエラ、愛している」


 この屋敷を出る前、言えなかった言葉。アルフレッドの本心。

 はじめて、彼女の名を呼んだ。

 アルフレッドは、シエラの顔がくしゃりと歪むのを見て、涙にぬれた頬に口づけた。


「アルフレッド様、解毒剤があっても、わたしは飲みませんわ! だから、変なことを書いたりしないでください。わたしは、こんな時だけ愛されても、全然嬉しくありませんっ!」


 そう叫ぶなり、シエラはアルフレッドの腕から逃げ出した。

 アルフレッドは、その言葉に衝撃を受けて、咄嗟に動けなかった。


「わたしは、ミュゼリアの加護を受けた、【盲目の歌姫】です。わたしの歌は、奇跡を起こすためにある……マーディアル様、もうこれ以上アルフレッド様を苦しめないで。復讐に囚われたあなたの心を、わたしが癒してさしあげますっ!」


 マーディアルを指して声高に宣言したシエラは、音楽ホール内にいたすべての目を奪った。

 誰もが、シエラを見ずにはいられなかった。

 それほどまでに、彼女は美しく、希望に満ちた笑顔を浮かべていたから。


「だから、アルフレッド様。わたしを信じて、あなたはあなたの正しいと思うことをしてください」


 強い、と思った。

 アルフレッドには、こんな強さはない。

 他人を遠ざけていたのは、信じて裏切られることが怖かったからだ。いつ誰が牙をむくか分からないのであれば、すべてを敵だと思えばいい。

 そうして、アルフレッドは周囲を敵ばかりにしていた。

 しかし、シエラは人を信じられる強さを持っている。

 そして、自分を信じてほしいと真っ直ぐに言える。

 信じさせても、その期待を裏切ることもあるだろうに、そんな不安さえ見せず、信じたいと思わせる。


(彼女を守るためにここに来たはずなのに、私の方が守られているな)


 短い溜息を吐き、アルフレッドは腹を決めた。

 愛する妻にここまで言われて引き下がるようでは、夫失格だ。


「シエラ、あなたを信じる」


 どこか穏やかな気持ちで微笑むと、シエラはにっこりと笑って目を閉じた。

 彼女は最高の歌を紡ぐために、集中力を高めている。

 その邪魔は、誰にもさせない。


「マーディアル、悪いな。私は妻のお願いには弱いんだ」


 シエラが起こす奇跡を信じる。

 それが、アルフレッドの選択だった。

 冷静になって考えれば、生きているのか死んでいるのか分からないような男の発言を信じようとする方がおかしかったのだ。

 アルフレッドは自嘲気味に笑い、強制的に解毒剤とその解毒法を聞き出すことに決めた。


「一言書けば、あなたのかわいい花嫁は助かるんですよ?」


 まだ、マーディアルはアルフレッドの心を揺さぶれる気でいる。


「死人は死人らしく、黙って安らかに眠っていてくれないか」


 一瞬で間合いを詰めて、アルフレッドはマーディアルの動きを封じる。

 直接触れたその肌は、驚くほど冷たかった。

 そして、皮膚と骨だけの感触に、ぞっとする。マーディアルからは、生気を感じない。

 感じるのは、憎悪の念だ。人間を憎んだ、魔女の呪い。

 マーディアルはアルフレッドの腕に拘束されながらも、にぃっと笑った。

 この男は、復讐を諦めてはいない。

 この男は憎悪や執着、復讐の意志だけで魔女の呪いを引き寄せ、動いているのだ。

 もう、身体は死んでいるというのに。


「どうしてそんな姿になってまでベスキュレー公爵家に固執する……?」


 人間の欲とは、醜いものだ。

 自分の望みをかなえるために、他者を傷つけても良しとする。

 ずる賢く、他者を蹴落とすことができる人間が、のし上がっていく。

 だからこそ、アルフレッドは人間を遠ざけた。自分も欲を持つ同じ人間だということが嫌で嫌で仕方なかった。

 欲のせいで、あの悲劇は起きたのだ。

 そして、そんな人間の本質は昔から変わっていない。

 “呪われし森”がその証拠だ。

 魔女は、遠い昔に人間にすべてを奪われた。共存を望んでいた魔女もいたはずなのに、自分達の立場が危うくなることを恐れて、魔女という存在を消した。

 アルフレッドは、最後の魔女であったグリエラを思い出す。

 彼女は人間のせいで一人森に隠れ住むことになったのに、人間を恨んではいなかった。

 それどころか、同胞の残した呪いを解こうとしていた。そして、透明人間になったアルフレッドを助けようとしてくれた。


「ふふふ、自分だけが悲劇の主人公気取りですか? 私だって、あなたにすべてを奪われたのに? こうして魔女の呪いによって生きながらえたのは、あなたを絶望させるためなのですよ」


 たった一つの執念。

 先にアルフレッドから家族を奪ったのはマーディアルだというのに、そんなことは彼の頭にはない。

 あるのは、自分のものを奪われたという意識だけ。

 取り返そうにも、もうベアメス家は没落し、アルフレッドを偽物だと証明したとしても、死人である彼が社交界で返り咲くことなどできはしない。

 そしてそれを、マーディアルは理解している。

 だからこそ、シエラを人質にしたのだろう。

 本当に、アルフレッドの絶望だけを望んでいるから。

 しかし、アルフレッドは大人しく絶望する気はない。

 醜い人間の中にも、美しいものがあると教えてくれた存在がいたから。

 ふわりと、シエラの歌が音楽ホールに光を運ぶ。

 美しく、優しいメロディーは、人の欲にまみれた音楽ホール内に明るさを取り戻す。

 そして、その場にいる人間をやわらかく包み込んだ。

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