第27話 十年前の悲劇


 少年は、誰もがその技術を純粋に学び、称賛しているのだと信じていた。

 妬みや僻み、恨みの感情など、美しい芸術の前には霞むとさえ思っていた。

 その感情が、どれほど深いかも分からずに……。

 少年が憧れ、夢を抱いていたのは、実の父だった。

 その腕は王国一とも言われ、どんなものでも完璧につくり上げる。

 社交界では、表と裏の世界があり、どんな者でもうまく立ち回れば上にのし上がれる。

 しかし、芸術の世界では素晴らしいものとそうでないものに分かれる。

 天才と無能。そこには天と地ほどの差がある。

 だからこそ、少年は自分の父を誇り、憧れていた。

 その技術は誰が真似しても真似できないもので、もはやそれは神の領域だとさえ言わしめた。

 そう、少年の父は芸術の神ミュゼリアの加護を得ていた。

 ある時、その加護を頼って、国王から船をつくってほしいという依頼がきた。

 少年の父は船を設計し、信頼できる職人に造船を手伝わせた。船の出来は完璧だった。

 しかし、船が船として機能するためには、海に出なければならない。

 お披露目のための着水式。

 豪勢な船ではあるが、国王が乗るのは安全が確保されてからだ。

 もし船に何かあった時のために、船に乗っていたのはベスキュレー家当主とその家族、そして造船に関わった職人たち。


『父上は、本当にすごい方なのですね。僕も、いつか父上のようになれるでしょうか』


 着水した船の上で、少年は父に言った。


『もちろんだ。お前は私の息子だからね』


 父はそう言うと、少年の頭を無骨な手で撫でた。

 父の船を見るために、大勢の人間が集まってくれている。

 少年は笑みを浮かべていた。


 そして、悲劇は起こる。突然に。


 まず、船の燃料部分が爆発した。

 父と職人たちはパニックを起こすことなく、問題を対処するために動き出した。少年も、父の手伝いをしようと駆けた。

 しかし、爆発は二度、三度と続いた。


『くそ、誰かが爆薬を仕掛けたんだ。しかも、的確に船の急所をついている……一体誰が…』


 乗船前に、最終点検はしたはずだ。

 それに、設計図は金庫に保管していたし、把握できる人間は限られている。

 しかし今、犯人捜しをしている場合ではない。

 このままでは船は沈む。そして、助かる手立てなどない。

 船が爆発したのは船着き場から離れた位置。

 観客の姿は見えても、陸地までの距離は遠い。

 避難用の船までもが爆発に巻き込まれ、使いものにならない。


『あなた、息子だけでも助けて!』


 少年の母が必死に懇願した。


『いやだ、僕も父上と母上と一緒に……』


『アルフレッド、これはベスキュレー家の人間を恨む誰かの陰謀だ。今助かっても、お前はまた誰かに狙われるかもしれない。それでも、私はお前に生きて、ベスキュレー公爵家を継いでほしい』


 そう言って、少年の父は船に積んでおいた木材と布で投石装置をつくった。


『お前一人なら、これで遠くに逃げられるはずだ。お前なら、海に落ちても泳げるな?』


 にっと微笑んだ父の顔を、少年が忘れることはない。

 涙ぐみながら、頬に口づけてきた母の顔を忘れることはない。


 そして、少年は見た。

 衝撃を受けている観客たちの中で、ただ一人笑っている男を……。


 少年が空に投げ出された直後、船は大爆発を起こし、沈んでいった。

 何が起こったのか、理解できなかった。

 冷たい海に投げ出され、どこかの岸に打ち上げられた。

 ふいに目に止まったのは深い森。“呪われし森”だとすぐに分かった。

 あの船の事故で、両親が一番に考えていたのは少年のことだった。

 息子を守りたい、と強く願っていた。


 ――僕がいなければ、もしかしたら父上はもっといい方法を思いついていたかもしれない。


 ――僕がいなければ、母上は自分のことだけを考えられたかもしれない。


 自分だけが助かってしまった事実と、もしかしたらという可能性に、少年の心は後悔と自責で潰されそうだった。


『僕がいなければよかったんだ』


 “呪われし森”で、少年は強く消えたいと願った。


 自分の存在なんて、なくなってしまえばいい、と。


 そして、少年は自分の姿を失った。


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