第6話 偶像の楽園(2)

「ね、ペトラ。悪い人じゃなかったんだよ」

「そうですかね。私はまだ警戒していますよ。どう見ても犯罪者顔なので」

「し、失礼だな。食糧を分けてやったのに」

 モーダルとペトラは男から分けてもらった食糧をこれでもかという程に胃に詰め込む。怪しい男から貰った食糧を食すのは、ペトラは反対をしたのだが、モーダルはその反対を押し切るどころか全く聞かずにひょいとそれを掴んで口に放ったのである。ペトラも諦めたようにそれに倣い、それを口に含んだ。

 こつこつと三人分の足音が響く。

 モーダルは男に名前を聞いたが、男がそれに返事をすることはなかった。ペトラはそれを旅の手記に書き残す。いつものようにその行動をモーダルに笑われるが、彼女がそれに対して何かを言い返すことはなかった。意味がないと知っていたからである。

「楽園って、どこにあるのかな?」

「もうすぐだ」

 男は指をさす。その人差し指が指し示す方向を二人同じ動作で追いかけて、城壁を確認する。

 モーダルは珍しく「よかった」と溜息と共に零す。ペトラはそれを見て、隙をつかんばかりの勢いで「モーダルでも安心することあるんですね」と皮肉を込めて言葉を飛ばす。

「違うよ、ペトラ。僕の良かった、は助かった、のよかったじゃなく、やっぱり僕の勘は鈍っていなかった、の良かった、だよ」

「言い訳ですか」

「言い訳だよ」

 案外簡単に認めるモーダルに調子を崩され、それ以上の追及はやめる。ペトラは困ったように頬を膨らませ、普段では書かないようなこんなやりとりも、手記に残した。

「ついたぜ」

 男は何故かほっとした様子で言う。それを見て疑問を感じるモーダルだったが、その疑惑の出どころが確かではない為、口を噤むほかなかった。

 男は門番にカードをちらりと見せて、入国を許可される。楽園といいつつ、結構杜撰だな、とモーダルは思ったが、食糧を分け与えて貰っている手前、そんなことを口に出せるはずもなく、門番に会釈を済ませて、男に付いていくようにして楽園へと足を踏み入れた。

「ところで、あんたなにをしてきたんだ」

 唐突に門番に話しかけられ、ペトラは先へ進むモーダルの背中を見ながら足を止めた。

「旅です」とだけ手短に返して、ペトラを放って歩みを進めるモーダルを追った。

 門番が俯いていたことを、彼女は知らない。



「俺はここで一旦分かれる。三十六番街にいるから、夜になったら来てくれ。泊めてやる。食糧も大量にある、旅を続けるなら必要だろう。持っていくといい」

「至れり尽くせり。どうして僕らにここまで?」

 モーダルの当然とも言える疑問に、男は「楽園だから」と笑いながら返すのみだった。

 以前訪れた砂の街とは打って変わって、ここは本当に楽園という形容が相応しい程の物であふれかえっていた。

 モーダルが売り物の林檎を手に取り、齧る。その行動を見てペトラは慌てて懐から紙幣を取り出すが、モーダルにそれを制止される。

「売り物ですよ」

 ペトラが言う。

「そうだね。売り物だ。けど見てみなよ、ほら」

 そういってモーダルが顎で示す方向を見る。そこには林檎の価格が書かれた札があった。

「無料、ですか」

「うん、そうみたいだね」

 そこには、ゼロ、とだけ書かれた札が乱雑に置かれていた。

 林檎だけではない。そのすぐ隣にある西瓜も、携帯食料も、全て、無料である。

 ペトラはその事実が受け入れられず、口を大きく開ける。

「でも、これじゃあ国は成り立ちませんよ」

 言いつつ彼女も無料である林檎を手に取り、齧る。

 芯まで林檎を食い尽くしたモーダルは満足気に「本当、どうしてやっていけているんだろうね」とこぼした。ペトラが求める答えではなかった為、分かりやすく落胆する。

 そんなペトラを見て、モーダルは本当にわからないんだよ、僕にだってわからないことはあるんだ。と言い訳のように付け加える。

「今日、言い訳多いですね」

「うん。だけど、ペトラの頭が悪いってのもいけないと思うんだけれど」

 皮肉にそれを上回る皮肉で返され、行き場を失ったそれを処理することができず、ペトラはモーダルの脛を蹴った。彼女にできる唯一の反抗だったのは言うまでもない。

 モーダルは小声で「痛いよ」と、さしてそうでもなさそうに言った後、都市内部を見渡す。

「優しそうな都市だね、異様な程に」

 ペトラはその言葉を飲み込んで、首肯する。ゆらりとその長い髪が風に乗って揺れる。

 モーダルの言う通り、この都市は優しい。異常なまでに。行き交う人々はまるで何かを悟った賢人のような顔で闊歩しているし、食糧だって無料である。等価交換ですらない。この分だと、宿なども無料かもしれないな、とモーダルは思う。そうだとしたら、三十六番街にいかなくともいいか、とも。

 モーダルはもう一度その小柄な頭を縦横無尽に振って、都市を見渡す。

「さ、見て回ろうか」

 その言葉に追随するように、ペトラはやっぱり手記を取り出して、インクにペン先を浸す。ひらりとそれを開いて大きく楽園と書いた後、その下に林檎のことなどを書き記す。この手記ももう三冊目となっていた。それほど、彼らの軌跡は長い。

「おかしいね」

 ペトラは手記から目を離し、顔を上げてモーダルを見る。彼の目は既に好奇に歪んでいた。それを見て、また始まったか、と諦めを孕んだ溜息を漏らす。

「なにがおかしいんですか? 確かに、全て無料なのは変ですが。それ以外はなにも違和感ありませんよ」

「違和感がない、のが違和感だとは思わない?」

「……思いません」

「ここ、辺境だろう」

「ええ、まあそうですね」

 二人して携帯食料が途切れてしまう程迷った、そんな場所にぽつんと建築されている都市なのである。

「それなのに、どこにも旅の道具が売っていない。地図も、携帯食料も、護身用のナイフも、オイルも、なにもない。この都市からは誰も出て行かないのかな、楽園だから。とも思ったけど、旅人は来るだろう、僕らみたいに。楽園といいつつそのあたりの配慮がないのって、おかしいと思うんだけれど」

「……分からないです」

 モーダルの思考を邪魔しないようにと、ペトラはそれだけ言って俯いて押し黙った。

 しかし彼もそれ以上の疑問を彼女に投げかけることはせず、少しだけ息を吐いて普段通りの表情を顔に張り付ける。ペトラはモーダルのこの顔があまり好きではなかった。元々端正な顔立ちの彼がこういったハリボテの表情をすると、どこか偽物のような、全てが嘘のような気がしてしまうからである。もっとも、モーダルがそれを知る由はないが。

「ペトラ」

 モーダルはそれまで忙しく動かしていた足をいきなり止めて、その場に茫然とも言えるような状態で立ち止まった。急に立ち止まるモーダルに気付くことが出来ず、ペトラは彼の背中にぶつかってしまう。

「すみません」

 咄嗟にペトラは謝罪する。

「どうしたの。僕がこんなことで怒るわけないだろう」

 モーダルは疑問を隠そうともせず、彼女に伝える。

 しかしそれを見ても尚、ペトラは苦虫を噛み潰したような表情を崩すことはなかった。それを見てモーダルが「綺麗な顔が勿体ないよ」と普段言わないようなお世辞を繰り出す。

 ペトラは手に持っていた手記とインクの付いたペンを、モーダルの眼前でひらひらと躍らせる。

 察しの良いモーダルである。既に彼女の言わんとしていることに気が付いていた。

「まさかとは思うけど、インク、僕の服についた?」

「そのまさかですね」

 首を百七十度回転させ、無理に背中を見るモーダル。知識欲に塗れ、爛々と輝いていた彼の目に灰色が差し込むのに、そう時間は要さなかった。

「これ、高かったんだよ」

「知ってます。衣服に興味がないモーダルさんが唯一好んで買った服ですからね。しかし、私の主観になりますがその服はあまり高くなかったような気が……」

「僕の中では高額なのさ。この服を買わなければ本が何冊も買えたんだから」

 長い間続くかに思われた二人の問答は、意外にもモーダルの一声で一先ずの終息を迎えた。

「三十六番街に行こう。申し訳ないけれど、そこでこの服も洗濯してもらおう」

 と。

 ペトラはそれに首肯だけで返答して、彼らは重たい足取りで進路を変更した。

「そうだ、モーダルさん。さっき何を言おうとしてたんですか?」

 ちらりとモーダルを見上げる。

「言わない」

 珍しく不貞腐れ険しい顔になるモーダルを見て、こんな表情もできるのか、とペトラは安心にも似たなにかを感じて、少し笑うのだった。

 街中には四つの足音だけが響いていた。


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