第4話 砂上で踊る石像を見たことはあるだろうか。(4)

「どうも。元気にしていたかな。ピリカ」

 モーダルは軽快に挨拶を投げかけて、柔和な笑みを浮かべる。彼女がそれに答える事は無く、俯いたままだった。

 初めてピリカに遭遇した時と同じ状況だった。椅子に腰かけ、足元を毛布で覆う彼女を囲むようにして、二人は立っている。

 モーダルはその笑みを崩さないまま、ピリカの目の前に座る。

「僕の足もピリカと同じように石になってしまったよ」

「私のせい、ですよね」

「うん。君のせいだよ」

 歯に衣着せぬモーダルの言葉に、ペトラは憤慨する。多少の責はあれど、元はと言えばこちら側からこの街に訪れているのだ。ピリカを責めるのはお門違いも甚だしい。

「一つだけ、石化に対する抗体を持つ薬餌があります。それを、使ってください」

 モーダルの足を間近に、ピリカは小さくそう呟く。

 ペトラは苦悩する。ピリカのその言葉に深く逡巡する。薬を貰えるのは有難い、だがしかしそれを受け取ってしまえば目の前にいる彼女はどうなる。元々はピリカ本人が使う予定だった物の筈なのである。そんな大事な物を、外側から来ただけに過ぎない旅人が受け取ってしまっても良いものなのであろうか。

 そんなペトラを見て何かを感じたのか、ピリカはもう一言付け加える。

「なら、お金を置いていってください。できれば、この辺りの都で使える通貨を」

 衣嚢から一枚の硬貨を取り出し、親指で弾く。くるくると空中で二秒ほど回転した後、それは元の位置が予め決められていたかのようにピリカの掌へと帰還した。

 ペトラは、この通貨と同じ物をくれと言っているのだと瞬時に理解する。幸い、ピリカが持っている通貨は、ペトラもモーダルも所持していた。

 これで、罪悪感が帳消しになるわけではないが、しかしそれでいて薄まるのは確実である。ペトラは、自分を犠牲にするピリカに最大の尊敬を払いつつ、あるだけの硬貨と紙幣を取り出し、ピリカに手渡そうと手を伸ばす。

 しかし、その行為は突然現れた華奢な腕により阻まれてしまう。

「ペトラ。もう少しだけ、ピリカの話を聞かせてもらってもいいかな。薬餌を恵んでもらうのはそれからでいいだろう」

「何言っているんですか。そんな事をしている間にも石化が」

 モーダルの足は既に石となり、動かなくなっていた。現在進行形で悪化しているその病に、何故かモーダルではなくペトラが焦燥を感じていた。「大丈夫だよ。もう少しだけ」と言うモーダルを、止める事は出来なかった。

 ゆっくりと、しかし確実に、彼は灰色の虚像へと変貌を遂げる。

「ピリカ、なんでその薬餌を自分で使わない」

「それは、私のせいで貴方達が石に」

「僕らが来る前から君の石化は進行していた。その時にそれを使えば、誰に咎められる事も罪悪を感じる事もなく、君は人間に戻れた筈だ。それとも、石になってしまうのが好きなのかい?」

 そんな会話をしている間にも、モーダルは石化する。それまでは足で留まっていた筈の灰色が、ついには腹部まで達していた。

 モーダルはピリカの返答を待たずに続ける。

「それに、両親が出て行った時にピリカも一緒に付いていけば良かったじゃないか。その時は石になっていて動けなかったという論も、薬餌がある時点で既に破綻している、」

 そこで一度言葉を止める。同じように空気も止まった気がした。


「お前、嘘をついているだろう」


 身体の半分が石になってしまったモーダルを見下ろしながら、ピリカは衣嚢から瓶を取り出し、一気に中身を飲み干す。

 みるみる内に彼女の足元が肌色という精彩を取り戻し、灰色の偶像はその残滓も残さず泡沫に溶ける。

 ピリカは勢いよく立ち上がると、自身がそれまで座っていた椅子を蹴り飛ばし、口を開いた。

「いつから気づいた」

「おかしい点はいくつもあった。石の病気に悩まされているのに、全ての建造物が石ベースだったり。自身の足が石になっているのに、落ち着いていたり。大方、石化の菌もそれに対する抗体も自ら生成していたんだろう」

「でもまあ、決め手はレントゲンと人間じゃないただの石像を見てからだ。石の病気は本当にあるぞ、そしてお前達もいずれこうなる。っていう君なりの警告だったのかな。……あれは君が造ったのかな。精巧でよくできている。こんな事をして旅人から金銭を奪うよりも、その道で活躍したらどうかな、と僕は思うんだけれど」

 既に身体の八割が石になっているモーダルが矢継ぎ早に言う。彼が自身の命令で動かす事が出来るのは、腕と表情のみとなっていた。

 ペトラは目の前で起こっている事象が未だ受け入れられず、ぽかんと口を開けたまま固まっている。そんな彼女を見て、モーダルはペトラまで石になってしまったのかと一瞬だけ焦りを感じるが、彼女の全てが肌色である為、自らの心配は杞憂で終わったのだと理解した。

「もう僕らからは金銭を奪えないよ。ピリカ、諦めて薬餌を渡せ」

「断る。と言ったら?」

「力尽くで」

「そんな身体で? もうお前が動かせるのは腕だけじゃないか」

「君は石化の菌やそれに対する抗体まで作れるのに、案外頭が良くないみたいだ」

 モーダルは懐から一つの試験管を取り出す。それを見せつけて、脅すようにゆらゆらと揺らす。

「これは、東の国で流行している病の菌だ。まあ、ワクチンとも言うんだけれど。別の国ではそれ程脅威でない病原体も、別の場所ならば殺戮兵器に変わる。君ならわかるだろう」

「……その国では研究しつくされたウイルスでも、この国では新型のウイルスだ。それに対する対抗策が、一つもない」

「正解。地頭が悪いだけで、やっぱり勉強はしているんだね。僕と似ているよ、その知の好奇心」

「一緒にしないでほしいね」

 ペトラは彼らのその会話の応酬をただぼんやりと見る事しか出来ない。しかし彼女も旅人である。思い出したかのようにサッと手記を取り出して、その会話を一語一句違わず書き残す。今は理解できなくとも、未来の自分が理解してくれていると信じて、彼女は未来に向けてペンを走らせる。

 モーダルはその菌が詰まった試験管を地面に叩きつける。当然それは割れて、破片と菌が室内に飛び回る。

 ピリカは一瞬驚愕に染まった顔をするが、すぐにモーダルの意図を理解する。

「なるほど。この菌に対する薬餌と石化に対する薬餌を交換ってわけだ」

「そういう事だね」

 ピリカはすんなりと、部屋の片隅に置いてある薬餌を投げるようにしてモーダルに渡した。石化している為、上手く受け取れないかと思えたモーダルだが、案外容易くそれを手中に収める事が出来た。

 モーダルはそれを先程のピリカに倣って一気に飲み干す。石化に恐れ、事を急いだわけではない。こういった特殊な薬品は、それ相応の服用方法があると理解していたからである。だからモーダルは、それを一気に飲み干した。

 するすると身体の力が抜けていく感覚がモーダルを襲う。睡眠薬ではない、石化が溶けていく感覚である。

 灰色だった彼の身体は、健康的な肌色になる。

 無事人間に戻ってこれたと判明して、モーダルは似合わない安堵の溜息を吐き出した。

 手を開いたり、拳を握ったり、と一通り自身の身体が普段通り動くのを確認してから、モーダルはピリカに薬餌を手渡した。

「いらない」

 それをピリカは床に叩きつけ、散乱させる。突然のその行動にペトラは驚き、ペンを止める。

「だよね。やっぱり君は僕と似ているよ。人から教えられた知識は、自らの物とは言わない。この菌に対する抗体も、また自ら生成するんだろう」

「ええ」

 首肯する。

「ですけど! ピリカさん、貴方このままじゃ死んでしまいますよ」

 ペトラは大きな身振りで口を挟む。それを見てモーダルとピリカはくつくつと笑った。あまりにも二人が似ている為、ペトラはそれ以上何かを言う事もなく、黙る。

「モーダルとペトラだったかしら」

「なにかな。最後にまた、僕を楽しませてくれるのかい、ピリカ」

 僕ら、とは言わなかった。

 ピリカは徐にその小さな口を開き、言う。

「ここは石の街じゃなくて、医師の街よ。ワクチンをつくる事なんて造作もないのよ」

「なるほど。それは驚いた。だからメスやレントゲンがあったのか」

 モーダルはペトラに目配せをする。それを確認してすぐにペトラは手記を閉じた。

 なぜならそれは彼らの中で、ここで学べることはもう無くなった、という事を伝える合図だったのだから。

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