第3話 砂上で踊る石像を見たことはあるだろうか。(3)

 例に漏れず次に訪れた家屋も、石造りであった。無造作に扉を開けてずかずかと侵入するモーダルを、ペトラは止める事が出来なかった。

 彼の知識欲は留まる事を知らない。

 二人は扉を開けた瞬間驚愕する。

 人が、いた。

 しかしそれは既に人と呼んでいいものか分からなくなっていた。人としての造形は保っているが、その全てが硬い。

 言うなれば、石像である。

 寝台に横たわり、寝顔のまま石になっている人間を見て、流石のモーダルも少々顔を顰めた。唯一、幸せそうな表情のまま石になっている点だけが救いかもしれない。

 ペトラは少しでもその菌から逃れようと、無意味な事とはわかっているが息を止めた。それを見たモーダルが「無駄だよ」とくつくつと笑う。

 モーダルは、どこから来るのかその行動力を遺憾なく発揮して、その石像に近づく。

「これ、人間だよね」

「この街の惨状を見るに、その推測が正しいと思います」

 未だ息を止めたまま、ペトラは呟く。そんな彼女を見てモーダルは苦笑し、その石像を観察する。知の果てを探求せんと隅々まで。

 モーダルはそれが横たわっている硬い寝台に優しく触れる。そして目を閉じ、今までの旅の軌跡を振り返る。数秒後、何かを思い出したかのように目を開いて、ペトラに手記を貸すよう告げた。

 渋々といった様子で、ペトラは懐からゆっくりと手記を取り出し、「丁重に」と一言付け加えてからそれをモーダルに手渡す。

 読んでいるのかいないのか判断がつかないようなスピードで、ぱらぱらとページを捲っていき、彼は目的の記述を発見する。

「やっぱり。レントゲンだ」

 彼の記憶の答え合わせに使われたのか、とペトラは溜息を吐くが、モーダルは意にも介さない様子で手記を片手にその寝台――レントゲンを目視する。

 幸せそうに眠っている人間に似合う器具ではないよな。と心中モーダルは思う。それを使用する時は、不変的でいて普遍的に、病魔に苛まれた時だけである。少なくとも彼の記憶の中で、レントゲンとはそういう物だった。体内に潜む魔物を外側から確認し、最善でいて安全な治療に臨む為の物であると、そう記憶していた。

 ペトラはモーダルを見上げ、その澄んだ瞳で手記を返せと訴える。モーダルはひらひらと申し訳なさそうに手を振って、「もう少しだけ」と一つ言った。

 ペトラが書き残したレントゲンに対する記述を熟読する。形状、使用方法、副作用、全てが記されたそれを読みながら、流石だな、とモーダルは思っていた。確かにこういう時の為に手記を常備しておくのもありかもしれない、と。

「ペトラ。少しだけ非人道的行為をしてもいいかな」

「いつもの事です」

 傷つけてしまわないように細心の注意を払いつつ、しかし迅速にモーダルはそれをスクリーンの前まで移動させた。

 ペトラは彼が今から何をするのかを理解する。

 体内を、撮影するのだ。

 石になるのは表面上だけなのか、それとも内臓まで石になってしまうのか。それを確認する為だけに、彼は死者を弄ぶのだ。

 ペトラの目は、彼を悪魔であると捉えていた。好奇心に支配されてしまった悪魔であると。

 モーダルは「ごめんね」と小さく呟き、レントゲンを起動させ、X線を石像に当てる。本来、無駄な被爆を避ける為に照射野を絞るのが当たり前なのだが、生憎モーダルは医者ではない。その設定の仕方も分からなければ、使用方法だってペトラの手記頼みなのだ。そんな人間が細部まで気を遣える筈が無く、石像はそれを一身に浴びていた。

 ペトラはモーダルに代わって石像に謝罪しつつ、結果を言うであろう次のモーダルの台詞を静かに待った。

「石だね」

「内臓までって事ですか」

 モーダルは首を横に振って、

「ううん、違うよ。これはただの石像だ。元々人間じゃないよ。その証拠にほら、」

 と言いながら、検査結果が記されているそのレントゲン写真を、ひらりとペトラの眼前に差し出す。

「内臓がない」

 モーダルが持っているそれに写るのは、ただの石像で間違いなかった。



「一体いつまで滞在するつもりですか」

「僕が満足するまで。これまでもそうだったろう」

 住人が居ない家屋を勝手に借りて、二人は一週もの期間石の街に滞在していた。初めは彼の気の済むまでここにいる事を決意していたペトラも、最早石の菌に怯えるだけとなっていた。

 モーダルは椅子にゆっくりと腰掛けて、足元を毛布で覆う。

「質の悪い冗談ですね」

 窘めるように言う。

「自分でもそう思うよ」

 ぱさりとつい先程掛けた毛布を床に落として、モーダルはにこりと微笑んだ。

「僕もついに、石像になってしまうのかもしれないね」

 肌色と灰色の中間辺りの色に変色してしまった硬い足に触れながら、モーダルはもう一度笑った。

 モーダルは石の病に犯されていた。しかし、そんな状況になっても彼の好奇は収まる事を知らずに、自らの足をレントゲン撮影した。

 その結果を、ペトラと共に確認する。

「やっぱり、石になっても骨はある」

「……。じゃああの人は」

 ペトラが最後まで言うのを待たずして、モーダルは「うん。石像だ」と言葉を飛ばした。

 自らを撮影したレントゲン写真をくしゃりと丸めて、屑籠に投げ捨てる。しかしそれに収まる事は無く、見当違いの方向にころころと転がっていった。

「僕の足、手記に残さなくていいの?」と、彼は笑う。しかしペトラは手記を取り出す事はせず、ただ一言「そういう気分じゃないです」とだけ告げた。

 大きく息を吸い込み、深呼吸の要領で吐き出す。ペトラはそんな彼を見ながら思考していた。

 これから彼は、どうするんだろう、と。

 いくら知の好奇心が旺盛だからと言って、自身が石と化してしまう事を看過するわけがないのだ。とここまで考えてすぐに、ペトラは自らのそれを否定する。

 彼は、そういう事をしかねない。そういう人間であるという事を静かに思い出す。

 モーダルはそんな彼女の考えを見透かしたのか、手をひらひらと頭上に掲げ、「僕も人間だ、自分が石になるなんて、できれば避けたいよ」と、そんな事も微塵も思っていない様子でけらけらと笑った。

 モーダルは、男にしては華奢なその指先で、何かを思考するように優しく自らの顎を撫でる。

「ピリカに会いに行こう」

 モーダルの真意が分からないペトラは、ふうと一つ溜息を吐いて、静かに首肯するだけだった。

「あ、そうだ。僕は今動けないんだった」

 わざとらしく頭を抱え、自分の足を撫でながら悲哀を演じるモーダル。

 ペトラは、「今回だけですよ」とモーダルの目の前にしゃがみ込む。

「いい仲間を持ったと、自分でも思っているよ」

 後ろ側から腕をペトラの首に回す。体温が直に触れる。

 人を背負っているとは思えない程、モーダルは軽かった。

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