第2話 砂上で踊る石像を見たことはあるだろうか。(2)
「詳しく聞かせて貰ってもいいかな」
モーダルは少女を傷つけないように、言葉を慎重に選択しながら言った。彼の言葉は揺蕩うように空間を彷徨って、やがてそれは剣となり、石を刺す。
ペトラは今度こそ驚愕に染まった顔をして、しかしそれを書き残さんと申し訳なさそうに手記を取り出す。
そんな二人を見ながらその少女は、重たい顔で口をひらいた。
「病気とされています」
「病気、ねえ」
彼女のその台詞は、突拍子もないようでいて的を射ていた。身体が石になってしまう病気など聞いたことも見たこともないが、今現実としてそれは彼らを襲っている。帝都には届かない菌が、この場には漂っているのかもしれない、とモーダルは推測した。
ペトラも同じ解に辿り着いたのか、顔を蒼白に染めて、小声でモーダルに話しかける。
「大丈夫ですか? この場に居れば私達も石になってしまうのでは?」
ペトラの懸念は正しかった。もし仮にこれが本当に病気だと言うのであれば、この街に滞在するのは危険である。幼子でも到達できるその答えに対し、しかしモーダルは首を横に振る。
「僕は、知識を求めている」
「……。勝手にしてください」
「と言いつつ、一人で逃げないところ、僕は大好きだよ」
「諦めているんですよ」
諦観を引っ提げ、ペトラは嘆息する。
モーダルは赤子を見るような優しい目つきで、もう動けなくなった目の前の少女を観察する。
「いきなり、石になったのかい?」
少女はその小さな首を静かに横に振って、「違います」と答え、続けた。
「少しずつ、変色が始まって」
当初の事を思い出し、まだ動かす事の可能な上半身をぶるりと震わせる少女に、一言「申し訳ない事を聞いた」とモーダルは謝罪し、しかしそれでいて尚好奇は沸々と溢れ出ていた。
――興味深い。
と、内心モーダルは思っていた。勿論、本人の目の前でその言葉を口に出す事はしないが、既に彼の目は旅人の瞳となっていた。そんなモーダルをペトラは窘めようとするが、彼の好奇の念がそんな些細な事で収まる事はないと知っている為、半ば仕方なく口を噤んだ。
「また申し訳ない事を聞いてしまうが、両親は?」
「います。だけれど、石になってしまう事に怯えて出て行ってしまいました」
この荒野の中、身一つで外に出るなどあり得ない、とペトラ口を開きかけたが、その言はモーダルによって制止される。
石になってしまうよりは、幾分マシだろう。と彼の目は告げていた。
無理矢理だがペトラは納得を抱え、押し黙る。
「なるほど。心苦しいと思うけど、最後にこれだけ質問させてほしい。この街にいる人間は全て石になってしまったのかな」
「わかりません」
そんな少女の台詞に呼応するようにして、少女の後ろで、試験管に入っている灰色の液体が動いた。
少女が足に掛けていた毛布までも、少しだけ動いたような気が、モーダルはしたのだった。
モーダルはペトラに向かって目配せする。これは彼らの中で、ここで学べることはもう無くなった、という事を伝える合図だった。つまり彼は、この場を後にして街を探索しようとペトラに告げているのである。
長年彼に付き添い旅をしてきたペトラは、その暗号にも似た合図をしっかりと受け取り、手記を取り出してここであった事を記録する。
モーダルは「ありがとう、また来るよ」と言い残して、今度こそ本当に扉をひらいた。こんな石の街にも太陽は差別することなくその攻撃的な光を放っている。そんな自然光が部屋を照らす。これまで暗闇にいた為、唐突に表れたその陽光に目が耐える事が出来ず、瞼で光の侵入を阻んだ。
思い出したようにモーダルは振り返り、
「そうだ、君の名前は?」
と問うた。
少女は静かに「ピリカ」とだけ答えると、まだ動く右手で毛布を手に取り、足元に被せた。
「行きましょうか」
「……こんな事まで手記に書くの?」
ちらりと視界に映る彼女の手記には、モーダルが扉を開いたという事や、部屋に試験管が転がっていた事まで書かれていた。「当たり前です、そんなに気になるなら見せてあげましょうか?」とペトラは答えるが、それ以上モーダルが手記について詮索する事はなかった。
そんな二人の背中を見ながら、ピリカは全てを諦めたように薄く笑った。
○
「ペトラ。もう少しだけこの街に滞在してもいいかな」
「駄目です。と言っても無駄なんでしょう」
「うん。大正解」
申し訳なさそうに笑うモーダルに、ペトラはそれ以上言葉を突きつける事を諦める。
石を踏みしめていた。
「この街、人間だけじゃなく道路も家も石で出来ているんだね。不思議だと思わない? 石になってしまう病気が流行ったら、石自体を嫌いになるのが普通だよね」
家の破片であろう石を右手で拾って、モーダルは呟く。
疑問形で話すモーダルだったが、ペトラがそれについて何か返答する事はなかった。こういう時の彼は、自分で自分に問いを投げかけているという事を知っていたからである。
照りつける日差しから逃げるようにして、二人は陰を歩く。
唐突にモーダルはその歩みを止める。彼の後ろに付いていくようにして歩いていたペトラが、突然立ち止まった彼の背中に衝突し、頭を打つ。
文句を垂れ流すペトラに、軽く心にもない謝罪を済ませて、モーダルは目の前の家屋の扉を勢いよく開けた。
知識の為ならば、多少の非常識は平気で行うモーダルにペトラは嘆息しながらも、彼の後を追って家屋に侵入した。
「ふぅん。誰も居ないか」
どこか寂寥感を漂わせて呟くモーダル。そんな彼とは裏腹に、ペトラは家屋に誰も居ない事を喜ばしく思っていた。自らを石にしてしまいかねない病原菌を持っている人間など、居ないほうが良いに決まっている。
ころころ、と間抜けな音を立てて、試験管がモーダルの足にぶつかる。なんの警戒もなく彼はそれを手に取って、眺める。
「なにか入っていた跡があるね」
試験管に反射する歪な自身の表情に、モーダルは少し笑う。
「当然じゃないですか。試験管とはそういうものですよ」
ペトラはいつものように手記とペンを取り出し、目の前の出来事を字に残す。「小説家にでもなるのかい?」と言うモーダルの皮肉には笑顔で応じておいた。
机の上に散乱するのは数多くの刃物。またもモーダルは警戒もなしにそれを手に取り、観察する。まるでペトラという人間などいないかと思わせるその態度に、憤りを感じなくはなかったが、言っても無駄だろうとペトラは無表情でペンを走らせた。
「これ、手術器具だよ。メスだ。東の国で使われていただろう」
ペトラは手記をぱらぱらと捲り、彼と行った東の国についての記述を探す。
「ありました。本当ですね。つまり、この家の持ち主は医者という事でしょうか」
「まあ、そんな簡単な話じゃないと思うんだけどね」
ぽつりとそう呟くと、興味を失ったのか元の位置にメスを戻す。
モーダルは隅々まで部屋を観察する。そしてもうこの家では得るものは何もないと判断したのか、ペトラに目配せした。ペトラはそれを受け取り、手記を懐に仕舞う。
「さ、次の家を見て回ろうか」
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