第20話 すらいむ

 確かにいなくなっている。

「どこか出かけているだけじゃないのか? それとも俺達に嫌気が刺したとか」

「いえ。メイも初めはそう思ったのですが、こんな書置きがありまして」

 そういってメイが手渡してきたのは、一つの手紙だった。

 俺は部屋の明かりを灯して、その手紙の中身に目を走らせる。

「……これ、あいつの字じゃねえよな?」

「エリスさんの書く文字を見たことがないので何とも言えませんが、確かスラム街の出でしたよね? そんなエリスさんが文字を書けるとは思いませんし」

「つまりこれはあれか? エリスを攫った誘拐犯からのメッセージで、身代金とか、そういった無事に返す為の条件みたいなのが書いているってことか?」

「というかですね、メイは先に中身を読んだのですが、どうやらそれ、アイリスからの手紙のようなのです」

「アイリス……?」

 アイリスとは街の名称であり、そして俺の名前でもある、ということは俺の親族の名前でもあり、これはそのどれかから送られてきたものということである。

 その手紙には、俺の家出を咎めていることと、帰ってこなければエリスをどこかに飛ばす――言葉を選ばずに言ってしまえば、奴隷にする、ということがつらつらと書かれていた。

 思考する。大方、違法賭博場で俺の出身を明かしてしまった為、居場所が特定されてしまったのだろう。そして勧告のみでは帰ってこないだろうと判断したアイリス、つまり俺の父親が、エリスという人質を取る事で俺よりも有利に事を運ぼうとしているのだ。

 腐敗した街、アイリスと呼ばれている所以である。

 父親の悪政を変えたくて、俺は外に出た。その判断は間違っていないと、今でも思っている。しかし、周りの人間に迷惑をかけてしまっているのも、また事実なのである。

 なるほど、これは父親からの宣戦布告なのだろう。ならば受け取るしかない。

 俺はその手紙を破って、メイを見つめる。

「どうするのです?」

「助けに行く」

 メイはにこりと微笑んで、「はい!」とだけ言った。



「フィンさん、見損ないましたよ」

「うるせえ。俺にも考えってもんがあるんだよ」

 喧噪。老若男女が右往左往する空間。

 ある者は酒を飲み、ある者は簡易的な賭博をし、ある者は酩酊状態で踊り狂い、ある者は……ってここ本当にギルド内か? どこかの安酒が飲める店と間違えて入ってしまったのだろうか。悪政には悪者が寄ってくるのだろうか。腐敗している。

「で、なぜ今更ギルドへ? どう考えてもエリスさんはここにいませんよ」

「わかってるよ」

「ではなんですか? もしかしてエリスさんを諦めるつもりですか?」

「そんなわけないだろ、あんな奴でも割と長い時間過ごしてきたんだ。情ってもんが湧いてる。ペットみたいなもんだ」

「照れ隠しですね」

 頭を掻きながら、メイの指摘をかき消すように「あーそうだよ」と答えておいた。その返答を聞いて、メイは安心したのか、くにゃりと顔を破顔させ、俺を見つめた。

「悪知恵のフィンなんて広めて申し訳ないです」

「なんだよ急に。今更だし根も葉もない噂なわけでもない。全部事実だしいいよ、もう」

「言質取りました! 許されましたね! エリスさんも喜んでいるはずですよ!」

「てめえこの機に乗じて……! エリスが攫われて弱っていると思って油断していたら……!」

「油断大敵です!」

 二人でいつものようなやり取りを交わしてみるが、やはりというかなんというか、物足りなさだけが渦となって残っている。

 助けに行く、という決意を固め直し、俺は受付嬢の元へと歩を進めた。

「すみません、冒険者カードを作りたいんですけど」

 俺は二度目のそのセリフを、迷わず彼女に向かって告げた。

 メイが俺を驚きの表情を携えて見る。目で「貴族は冒険者になれませんよ」と言っていた。

 それは俺も覚えている。父親は、俺を大切に思っているのだ。だから過干渉なくらいに俺に関わるし、家に置いておきたいのだろう。自身の政治に巻き込むのではなく、心配だから、俺をそばに置いておこうとする。

 この貴族は冒険者になれない謎の制度だって、恐らくそれが関わっている。冒険者なんていう明日の生活も保障されていない職業、息子にはさせたくないのだろう。だからそういう制度をつくって、俺が冒険者になるのを阻止した。規制した。

 そういった俺に対する規制が重なって、結果悪政となっているのだ。

 受付嬢が俺を見る。記憶の糸を手繰り寄せ、そしてその結果俺を思い出したのか、「身分確認できるもの、お持ちですか?」と柔和な笑みを浮かべながら問うてくる。

 勿論、持っている。

 しかし、俺はフィン=アイリスであり、冒険者にはなれないし、カードも作れない。

 だから、

「持ってます。持ってました。これです」

 俺は貴族の証であるそれを、彼女に突き出す。瞬間、それを破って放棄した。

 受付嬢とメイの顔が驚愕に染まり、数秒がコマ送りのようになった錯覚を突破した後、たどたどしい声音で言葉を発した。

「き、貴族は冒険者には……」

「なれないんだろ? 知ってる。だから俺は貴族を辞める。身分も今ので確認できたはずだ。俺が冒険者になれない理由はなくなった。早くカードをくれ。時間がないんだ」

 いつまでと明言はされていなかったが、あまりにも行動が遅いとエリスを見放したと勘違いされてしまう可能性がある。人質としての効力を失った彼女がどうなるかなど、火を見るよりも明らかなのだ。

 あまり時間がない。この他にもやるべきこと、やらなければならないことはある。ここで時間を取られるのは得策とは言えない。

「……分かりました。少々お待ちください」

 そういって受付嬢は手続きを始める。俺は貴族から冒険者に成り下がる。それでいい。

 救出劇には、必要不可欠なのである。

 俺はメイを見る。

「メイ、スライム一万匹の駆除のクエストはまだあるよな? それを受注してくれ」

「!? なにを言っているんですか!? あれは軍隊を使って行うクエストであって……!」

 いつかの俺と同じことを言うメイに、少しばかり笑いが零れる。

「なにがおかしいんですか」

「なんにもおかしくねえよ。大丈夫だ、俺を信じて受注してくれ」

「それはエリスさんの為でもあるんですね?」

「当たり前だ。友達は大切にするが俺のモットーだからな」

「わかりました。受注してきます」

 たたたっと小走りでクエストボードに向かい、そこから俺の頼んだクエストを引き剥がして受付へと走るメイ。

 これでいい。

 そうしている内に冒険者カードが発行できたようで、俺はそれを受け取った後、直ぐに今までの経験を書き込んだ。

 白色の冒険者カードに、ミミックの捕獲、巨大蜘蛛(キラースパイダー)の討伐といった経験を書き込む。刹那カードが発光し、それが落ち着いたころには、色は緑に変化していた。

 巨大蜘蛛の戦果反映がなかったような気がしたが、気のせいだろうということで出かかった疑問をかみ砕き、飲み込む。

 それにしてもあっけなくエリスの色を超えたので、少しばかり笑ってしまった。

 しかし、足りない。

 エリスを救出するには、まだ力が足りない。

 向上した筋力をフルに活用して、俺はメイを連れてスライム討伐へと向かった。



「ヤバいですって、今からでも遅くありません、帰りましょう。エリスさんの救出にこれが関わっているとは思えません」

「できる事なら俺も帰りたいよ、本当。いやマジで」

 眼前に広がるは青。海でも空でもない青。モンスターの青。スライムの集合体としての青。強大で巨大な青。

 緑である筈の草原を、青がこれでもかと埋め尽くしていた。

 そして本来であれば、多くの冒険者を集めて対応するクエストであるのにも関わらず、ここにいるのは緑の冒険者二人である。

「無理がありますって! エリスさんを助けるのにこれが必要だとも思えません!」

「いや! 必要なんだって! 俺の親父は俺を取り戻す為ならなんだってするんだ! エリスを奪還させない為に、モンスターを雇っている可能性だってある! 強くなるのに越したことは無いんだよ!」

「それにしても! これは無理ですって! ほら、フィンさんが大きな声出したからスライムたちに気付かれましたよ! どうするんですか! どうしてくれるんですか! 責任を! 責任の所在はフィンさんにあるのですから! はやくなんとかしてください!」

「なんとかするって! その為にはメイが必要なんだよ! スライムの攻撃を躱しつつ俺の話が聞けるか!?」

 一万匹のスライムを目の前に、最弱モンスターとは言えども恐怖を感じてしまう。巨大蜘蛛の時でさえ覚悟していなかった死を覚悟するくらいには追い詰められていた。

 スライムが迫る。

 緑の冒険者になったことで付与された逃走スキルを使い、綺麗とは言えないまでもその攻撃を躱す。

「早く聞かせてくださいよ! 囲まれてます!」

「好都合だ! メイ! 自分に硬化の魔法をかけろ!」

「なぜですか!?」

「後で説明する! はやくしろ! 死にたくないだろう!」

「あーもう! 分かりましたよ!」

 メイはぶつぶつと小さく詠唱を行い、その効果の行き先を自らに合わせる。外見の変化さえないが、彼女は今この世で一番硬い物質となっている。

「硬化したな?」

「はい」

「よし」

「え、っちょっ! なにやってるんですか!?」

「見て分からないか? 縄で縛ってるんだよ」

 緑の冒険者になることによって追加された収納スキルを使用し、俺はそこから縄を取り出していた

「分かりますよ! 分かるからこそ聞いているのです!」

「数分後に分かるよ」

「なんですかそれ!? 怖い!」

 縄でぐるぐる巻きになったメイを見て、俺はにやりと笑う。

 完成した。

「ははは! できたぞ最強の武器が!」

「フィンさん!? まさかその武器って……嘘ですよね、嘘だと言ってください」

 縄で縛られながら、メイはその小さな顔をくるりと半回転させて不安げに俺を見つめる。

「忘れたか? 俺は悪知恵のフィン様だぜ! メイを先端に括り付け、それを振り回しながらスライムの群れに突撃する! 世界で一番硬い物質になってんだ、スライム程度一ひねりだろ! いくぜメイ! 覚悟を決めやがれ!」

「ちょっと待ってくださいよ! 作戦内容は理解できますし、効率的だとは思うんですが!」

「ならいいじゃねえか、何が不満なんだよ」

「メイの負担が大きすぎますって! それに武器になるのはフィンさんでも良かったじゃないですか!」

「駄目だ。巨大蜘蛛の討伐履歴を書き込んだときにもしやとは思ったんだが、武器として使われた時の経験は反映されないみたいじゃないか。意味ないだろ、それじゃあ」

「いや! 別にメイのレベルが上がってもフィンさんのレベルが上がっても作戦に支障はきたさないですよね!? だって一緒に行動するんですから!」

「うるせー! 気づくのが遅かったな! もう交渉の余地は残されていない! 黙って武器として消費されるがいい!」

「まさかこれって巨大蜘蛛の時の仕返しですか!?」

「ああそうだよ! 恨むなら過去の自分を恨め!」

「ああああああ!!!!」

 数時間後そこには、緑の返り血に染まった虚ろな目をした小柄な少女と、それを横目にスライム討伐の経験をカードに書き込みながら、にやりとした不快な笑みを携えている男だけが残されていたという。メイと俺である。

 俺は赤になったカードを見て、次の一手に向けて考えを進めていた。

 隣で俺を睨んでいる少女は、見なかったことにした。

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