第19話 きえる
「またのご来店お待ちしております」などというセリフを後ろ側で聞きながら、俺達は裏路地に放り出されていた。理由は単純で明白、簡潔であり明瞭、軍資金が尽きたのである。
路地に吹き込む冷たい風を一身に受け止めながら、俺はエリスとメイを見つめる。二人がなにを考えているかは分からないが、タイミングよく彼女たちも俺を見ていた。
「フィンさん。貴族のつてを使ってお金を借りる事ができる場所を紹介してください」
メイが真顔で至って真面目に俺に頼みごとをする。めちゃくちゃな内容のそれも、検討するか否かで迷っているくらいには追い詰められていた。
「ねえフィン。私達はあのミミックを討伐したのよ? 大丈夫よ、お金が尽きるくらいどうってことないわ。また稼げばいいじゃない、ね? だからそんなに怒らないでよ」
賭博の魔力に憑りつかれる間も無く無一文になってしまった俺にとって、その提案は考えるに値するものではあった。
「いや、別に怒っているわけじゃないんだ」
溜息と共に言葉を吐き出す。
「そうなの? 心配して損したじゃない!」
「怒っているわけじゃない、怒っているわけじゃないんだが……」
「怒っていなければなんですか? 自分で言うのもおかしいですが、メイ達は怒られてしかるべきことをしたと思うのですが」
「自覚はあったのな。……まあ正直俺も乗り気になってたし、それについては咎めねえよ」
「ならなぜそんな暗い顔をしているのです。もっと明るくいきましょう!」
「……。いや、実際問題宿とかどうすんだよ? まあ一週間分の代金はもう支払っているとはいえだな、飯とか、色々あるだろ」
「それなら大丈夫よ、ゴミ箱を漁れば飢えを凌ぐくらいはできるわ」
「スラム街の話を基準にすんじゃねえよ。俺は腐っても貴族の出なんだ」
「正直メイもゴミを漁って生活はしたくありませんね」
空っぽになった三人で路地を歩く。人間の終着点かもしれないな、などと意味の分からないことを意識の外側で思考していた。それくらい追い詰められていると言い換えてもいい。
かつかつと足音だけが虚しく響く。
(……。本当、これからどうしよう……。というかなんで俺はこいつらと行動しているんだ……。切り離すタイミングはあった筈なのに……)
損切が遅れた自分自身を恨みながら、俺達は借りている宿へと向かうのだった。
○
「温泉に浸かろう」
宿に戻った俺達。
エリスとメイに向かって高らかにそう告げた。
俺のそのセリフを聞いて、メイが表情を歪ませて「この状況でですか?」と問うてくる。この状況に陥った理由の一人だというのになんだその言葉は。これからは賭博狂人(メイ)を信用するのはやめておこうと固い決意を胸に抱いた。
「この状況だからこそだ。他にやる事もないし、今くらいは現実から目を背けてもいいだろ」
「いや、だめでしょう」
「アホのくせに偶に核心ついてくるのやめてもらっていいですかね」
エリスが俺を見て嘲るように笑う。悪知恵のフィンもこの程度か、と言われているような気がして少し腹が立った。腹が立ったので今後一切こいつのことは無視しようと思います。馬鹿は馬鹿のまま暮らしていてほしいものだ。
「てかな、お前らがギャンブルだの酒だの言っているのと同じように、俺だってやりたいことがあんだよ、それが入浴だ。俺は家を出てからまともな風呂に浸かったためしがないんだ。なにせここはアイリス、腐敗した街。まともな風呂なんて無いんだよ。つまり久しぶりの入浴なんだ。楽しみにしてたんだよ」
室内に設置されてある朴訥な椅子にどしんと腰掛けながら、俺は口を開いた。
「ではフィンさんは家出をしてから一切入浴していないと?」
「ええ……。あんた、家出してから随分と時間経ってるでしょう。いくらなんでも汚すぎるわ。私達、こんな人間と冒険していたのね。メイ、離れなさい、多分病気になるわよ」
「そうですね。病原体(フィン)さんには近づかないが吉です」
「吉です。じゃねえよ。まともな風呂に浸かるのが久しぶりなだけだ。……よく友達に向かってその顔できるなお前ら」
「友達じゃないもの」
「ああ、お前とは確かにそうだな」
「冗談だってば! 傷つくじゃない! やめてよ!」
「お前が先に吹っ掛けて来たんだろうが!」
「仲良しですね」
仲良しではないと思う。相性が合わな過ぎて、それが(互いを信頼し合っているからこそ交わし合える冗談)に思われているだけだ。そう思う。多分。
……まあ正直嫌いではないので、なんとも言えないが。
「じゃ、さくっと温泉入りましょうか。行くわよ、メイ、フィン」
「なんでお前らと一緒に入んなきゃなんねえんだ。ナチュラルに俺を誘うなよ」
エリスは恥ずかしそうに下を向く。頬が赤く染まっていることが、それを見なくても判別できる。こいつも羞恥の感情あるんだ。驚愕が勝つ。
「……スラム街ではそれが普通だったのよ」
「あー、なるほど」
そういえばエリスはスラム街出身だったな。
メイが思案顔になりながら、俺達を見て口を開く。
「何言っているんです? ここの大浴場は混浴ですよ。人もいませんし貸し切りです、フィンさんが他の女性を襲うこと心配もありません。さあ行きましょう」
「居たとしても襲わねえよ。というかエリスは分かるがなんでお前も俺と一緒に入りたい側なんだよ」
「冒険者は時間が命に直結するんですよ、男女別で入っている時間などないのです。勿体ないのです。それが身体に染み付いていますし、現にほかの冒険者と一緒に入ったこ」
口を塞ぐ。
「それ以上は言わなくていい。俺がお前に抱いているイメージが崩れてしまう気がするんだ」
「ともあります」
「言わなくていいんだよ! 言うなよ!」
「ちなみに女性冒険者です」
「ありがとう、イメージを大事にしてくれてありがとう」
「ねえ、私も混浴したことあるんだけど、私のイメージは大丈夫なの?」
「ああ大丈夫だ。イメージそのままだ」
「一回だけ殴っていいかしら」
「メイは良いと思います」
「俺はだめだと思います」
俺は椅子から立ち上がり、ベッドにその身体の預け先を変更し、どてんと寝転がる。天井の染みが顔に見えて少し怖くなった。夜なら泣いてる。
「もう俺は部屋についているシャワーとかでいいや、お前ら入って来いよ」
「別に気にしませんよ?」
「俺が気にするんだよ」
はあと一つ溜息を吐いて、俺は目を閉じる。不貞寝する。寝る。起きない。仕事もしない。明日のことだって考えない。スラム街の暮らしも悪くないかも。寝る。
窓から差し込む夕方のオレンジが、俺達を染め上げる。
寝転がっている俺を見て、「では、遠慮なく」と一言置いて去っていく二人。「フィンさんが入っていいですよ」「いやいや、女の子を差し置いて……」みたいなやり取り無いんだ。いいけど。いいんだけど。本当に行くんだ。いいけど。いいんだけど!
軽くシャワーでも浴びて寝よう。
それがいい。
○
「フィンさん、フィンさん。起きてください」
「ああ? お前今何時だと思ってんだ……」
強制的に起床させられた寝惚け眼を擦りながら、俺は時計を探す。ぼやけた視界に写っているのは、「三時半」を指している時計だった。
「お前なあ……夜這いに来るにしてももう少し時間考えろよ……、三大欲求の中の二つを同時に消化することは不可能なんだよ。今は睡眠欲様の勝利なの。だからお前も自分のベッドに戻って眠れ……」
「違いますよ!」
「違うってなん……本当にどうした? なにかあったのか」
いつになく真剣な表情を持って俺を見据える彼女。俺は微睡に浸っていた脳を無理矢理たたき起こして、目の前にいるメイを見つめる。
空気が張り詰めている。今にも切れそうな程空間というものが膨張しているのを感じていた。
メイは小さく息を吸い込んで、俺の目を真っ直ぐと見て口を動かす。
「エリスさんがいません」
瞬間、俺は左側――エリスが寝ていた場所を確認する。そこに存在していたのは、空になったベッドと、乱雑に置かれている毛布のみだった。
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