第17話 こころがわり

 いつかの路地裏を一人で歩いていた。

 人一人として見当たらないその空間は、何故だかアイリスではないどこか別の世界のようで困惑してしまう。アイリスが持ち得る喧噪などそこには存在しておらず、ただ一つなにもないがそこにはあった。

 なぜ俺がこんなところを一人で歩いているのか、理由は簡単で明白、単純でいて瞭然、一つだけしかないし一言で語る事ができる。

 エリスとメイの後を追ってカジノに向かっているのである。

 幸い、その場所が裏通りにあるという事は知っていたし、迷うことはない。

 エリスが一人出て行った後、俺はメイと熾烈な攻防を繰り返し(防戦一方だったのは言うまでもない)、惜しくも敗北してしまった。そう、惜しくも。

 しかし、誰が言っているのかは知らないが、俺は悪知恵のフィンである。簡単にあんな年端もいかない少女に負けてやるほどできた人間ではない。メイは俺を気絶させたと思っているのだろうが、そんな考えは甘い。

 気絶しているフリをしてやり過ごしていたのだ。こんな簡単なトリックで人が騙せるかよと思っているかもしれない。しかし、俺はその考えに声を大にして否定を投げつけたい。

 まともな人間であれば、フリをしているだけだと気が付くであろう。しかし、相手はあのギャンブル廃人である。加えて頭もそれほどよくはない。ギャンブルへの執着が燃えがっている彼女を騙す事など、赤子の手を捻るくらい簡単なことなのである。いったい俺は誰に説明をしているのか。どうやら自分の頭もエリス菌に犯されてしまったのかもしれない。

 目的地へと一歩ずつ、しかし着実に近づいている。

「ちょっとー! なんで私が入れないわけ? 意味わからないんですけど!」

「そうですよ! お金なら持っていますよ!」

「こちらの銀髪のお姉さまはまだしも、メイシール様は一度ここで大負けして暴れたではないですか……。そんな方をここに入れるわけにはいきません……」

「メイ、貴方のせいじゃないの! どうしてくれんのよ! 今日は絶対に勝てる日なのに!」

「す、すみません……。ですが! お客様ですよメイ達は! そこをどいて通してくださいよ! さもなくば暴れますよ! いいんですか! 暴れますよ!」

「や! やめてください! なんとか事なきを得ましたが、あの時は建物が全焼するかもしれなかったんですから!」

「そんなことは知りません。そもそも、貴方方がしているのは違法ギャンブルですよ! い、ほ、う! いいんですか! 通報しますよ!」

「ええ、いいですよ。私共が運営している賭博場はアイリス上層部と密接な関係にあります。正式には認められていませんが、黙認はされておりますので」

「ぐぬぬ」

 ぐぬぬって本当に使う人居たんだ。……ではなく。

 エリスとメイが、あまりカジノとは思えないような作りの建物の前で暴れているのを発見する。どうやらなにか揉めているらしい。

「おい、お前ら。なにしてんだ」

 後ろから声を投げかける。唐突に表れた音の振動に驚いたのか、二人はびくんと身体を震わせてこちらに振り向いた。

「げ。フィンじゃないの」

 分かりやすく顔を歪めるエリス。

「フィンさん!? 確かに気絶させたはずなのですが……。仲間だと思って油断していました、申し訳ありませんエリスさん」

「しっかり気絶させておきなさいよ。追いつかれちゃったじゃない! ……いいわ! こうなったら今ここでフィンを気絶させてあげるわ!」

「しっかり悪党になっていて俺は悲しいよ」

 俺が裏切ったかのような台詞をつらつらと並べる彼女達に辟易する。

「お連れ様ですか? 申し訳ないのですが、この方達を連れて帰ってもらっても宜しいでしょうか……」

 憔悴しきった顔で俺を見つめる黒服の男に、軽く会釈する。

「迷惑かけてすみません。目離したら何しでかすかわからないんですよこいつら……」

 エリスとメイの首元を掴んで、俺はその店員と思しき彼に告げた。

「こらー! 離しなさい! 私はここでドリームを掴むのよ!」

「その前に現実を掴もうな」

「フィンさんフィンさん! メイはエリスさんのように馬鹿ではありません! しっかり、堅実に賭けますよ!」

 俺に引きずられながら、首をくるりと後ろに向けて宣言するメイ。

「堅実に賭けるとかいう言葉のちぐはぐ感、俺は好きだぜ」

「冗談ではないですよ!」

「それは俺の台詞だよ! 生活費を投げうってまでするギャンブルってなんだ! 冗談はやめてくれ!」

「「冗談じゃないわよ(ないですよ)」」

「それは冗談であってくれよ……!」

 二人を引きずりながら辿ってきた道を引き返す。賭博場から離れるにつれ、彼女達の顔が暗転していき、俺の顔が安心に染まる。ぎりぎりのところで連れ戻すことができてよかった。金銭は全て俺が管理することにしようと、重い荷物を抱えて路地を歩きながら固く決意した。



「今からでも遅くないわ。戻りましょう」

「そうですよ。いいんですか? 諦めてしまっていいんですか? 軍資金も時間もある現在が千載一遇のチャンスなのですよ! 考え直してくださいフィンさん!」

「なんで俺が諭されてんだよ。普通逆だろ。……俺がおかしいのか?」

 一週間分の賃料を先払いして、当面の不安を払拭してから俺達は部屋へと戻ってきていた。

「フィンがおかしいのよ。男ならガツンと勝負に出なさいよ!」

「お前らはガツンと行きすぎなんだよ。別にギャンブルは否定しないが、自分の金でやれ。俺を巻き込むな」

「全く。まるで分っていませんねフィンさんは。ギャンブルというのは、生活がかかっている程熱くなれるものなのです」

「俺は熱くなりたくねえんだよ」

 俺は自分の財布を固く握りしめ、ベッドに横たわっていた。窓から見える景色が綺麗だ。空が青い。

 この二人が破産するのはどうでもいいが、俺の持っている所持金だけは死守しなければならない。どうせ、負ければ俺に集ってくるのは火を見るよりも明らかなのだ。今持っている三万リルが生命線になると言っても過言ではない。

「というか、一旦状況を整理しよう。お前ら、今いくら持ってるんだ」

「四万リルも持ってるわ」

「同じく、メイも四万リルですね」

「お前ら、俺が奢った分の飯代後で返せよ」

 何故か俺よりも金を持っている二人に、何とも形容しがたい感情が湧く。そもそもなんでミミックとあんな死闘を繰り広げたのに合計で十一万リルしかないんだ……。諦めを孕んだ溜息を一つ零して、何の反省もしていない二人の顔を見る。

 というか四万リルもってなんだ。も、の意味を二時間半程問いただしてやりたい。しか、が正しいだろ。

「そもそもだ、あの賭博場は違法なんだろ。そんなところに行くんじゃねえよ。何されるかわかんねえぞ」

 ベッドから起き上がり、ずいっと身体を前のめりにさせて忠告する。

「メイ達を心配してくれているのですか? 前々から思っていたのですが、フィンさんはなんだかんだ言って優しいですよね!」

「違う。金の心配をしているんだ、俺は」

「照れ隠しでしょうか」

「んなわけあるか」

 なんともおめでたい頭である。

 二人の言動全てに倦み疲れ、溜息をついていた時。

 エリスが思い立ったようにいきなり目を爛々とさせ、勢いよく座っていた椅子から立ち上がる。その衝撃で椅子がからんと横たわるが、当の本人はそんなことは些細な事であるといった様子で、大きく口を開いた。

「フィン、貴方アイリスに思い入れがあったわよね?」

「……まあ、あるな」

 恐らく彼女は、ミミック討伐時の出来事を思い出して言っているのであろうが、まだ言っていない俺の秘密が露呈してしまったような気がして、すこしだけ言い淀んだ。

 こいつ、頭が悪い癖にいちいち細かい出来事だけはしっかりと記憶してやがる。脳の使い方間違っているだろ。

「そうなのですか?」

「ああ、メイは知らなかったか。俺にとってアイリスは大事な街なんだよ」

 こてんと首を傾げて疑問を表現するメイに、答えにも似た何かを提示する。

「そう。そんなフィンに言いたいんだけどね。貴方、あのカジノについてどう思っているわけ?」

 王手をかけたとでも言わんばかりのエリスの質問。それに答えようと脳内で解を導き出す。

「まあ、良くはねえよな。治安だって悪くなるし、なによりも違法だ。そんな場所と繋がりを持っているアイリスにも不信感を抱く」

「そうでしょうそうでしょう」

 なぜかにこにこと顔を綻ばせているエリス。喋らずに笑っているだけなら可愛いのにな……と関係のない事をどこか俯瞰的に感じた。

「だからどうしたよ」

「なに? まだわからないの?」

 心底馬鹿にしたような目をしながら、そこで一旦言葉を区切り大きく息を吸い込むエリス。


「あそこで大勝して、カジノごとぶっ潰しましょう」


 それはさながら勝利宣言のようで、少し笑えた。

 しかしながらそれは、あながち笑い飛ばせるような提案でもなかった。回りくどい言い回しになってしまったが、つまりはそれ即ち妙案である。

 俺はにやりと不敵な笑みを抱えて、

「エリスにしては良い事を言うじゃねえか」

「そうでしょうそうでしょう! 褒め称えなさい! 崇め奉りなさい!」

「それは嫌だ」

 いつも通りのやり取りを交わし合った。

「ぶっ潰すとは言いましても、どうやってあの中に入るのですか。メイは出入り禁止指定されているのですよ」

「じゃあメイは私達に全てを任せてお留守番でもしておきなさい」

「嫌ですよ! 絶対に嫌ですからね!」

 エリスの提案が不服だったのか、攻撃せんとばかりに飛び跳ね、腕を振り回しながら講義するメイ。でも悲しいかな、その身長差のせいで彼女の攻撃が銀髪を殴打することはなかった。

「でも、本当にどうやって中に入るつもりですか? 忍び込むのも無理がありますよ、負けすぎた客の脱走防止用に扉はひとつしかありませんし、牢獄にあったような魔法壁が張られています」

「詳しすぎだろ……。お前一回逃げようとしたことあるだろ」

「はい、ありますよ」

「潔すぎて怖えよ! 形だけでも否定してくれ!」

 ぶんぶんと振り回していた腕を納め、メイは深刻そうな顔で悩んでいた。

「まあ、中に入るだけなら俺がいればなんとかなるぞ」

 俺の呟きを聞いて、彼女達の顔が驚きや疑問に染まった謎の表情に変化する。

「ついてこい」とだけ告げ、俺は腰掛けていたベッドから起き上がり、部屋の扉を開け、つい先ほど通っていた道を引き返すことにした。同じことを繰り返している自分に笑ってしまう。

 ただ先程と唯一違うのは、三人の思いが一致しているという事である。

 これをきっかけにギャンブルにのめり込まないようにしよう、という事だけは深く心に刻み込んでおくことにした。

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