第16話 ふあん
「あんなに美味しい料理は初めて食べましたよ。また食べに行きたいですね」
「そうね。私の舌に合う料理を作るなんてなかなかできる料亭だったわね」
「予算大幅オーバーして俺が払う羽目になったんだが、それでもいいと思えるくらい美味かったな」
俺達は得た報酬でそこそこの宿を借りていた。勿論全員の所持金を合わせても家など買える筈もないので、とりあえずは一週間分、全員の貯蓄から出し合って宿を借りた。
受付はエリスに任せていたのだが、なぜか一部屋だけしか借りておらず、全員で同じ部屋に宿泊することになってしまった。馬鹿である。
幸い、この屋敷には大浴場なるものが設営されてあり、風呂まで同じではなかった。温泉好きの俺にとってこの大浴場に期待感を隠せない。
「ですが、宿やご飯に結構な額を使ってしまったので、残りはそれほどありませんよ。それにメイが報酬の八割を持って行ってしまいましたし……」
そういってどこかばつが悪そうに下を向くメイ。そんな彼女に俺は笑いかける。
「気にすんな。少しずつ返してくれよ」
「からだで?」
「お金で」
平気な顔をしてめちゃくちゃな冗談をいうメイに戦慄する。……冗談だよな?
そこそこの金額を支払っているので、部屋に三人集まっていても狭いと感じる事はなかった。牢獄の二倍半くらいは広いのではないだろうか。なぜ俺は牢獄と比較しているんだろうか。こんな比較対象を知っているのは少数だろうな。
部屋にあるベッドにすとんと座って、部屋中をキラキラした目で観察しているエリスを見る。
「なにしてんだ」
「だってこんな部屋に泊まったことなんてないんだもの! 少し、ほんの少しだけだけれど興味が湧いてるの!」
そういえばこいつ、スラム街で暮らしていたとかなんとか言っていたっけ。それならば気持ちも理解できる。エリスはこのまま放っておくことにしよう。
俺はメイに目配せし、隣に座るように空いている右側をとんとんと指で叩く。そんな俺の意図に気づいたのか、メイはするすると身に纏っていた衣服を脱ぎ始め――
「――ってお前何してんだよ」
「身体で支払うのでは?」
「誰がんなこと言ったよ」
「冗談です。部屋が少し暑いので上着を脱ぐだけですよ。それとも何か期待しましたか?」
こちらを見ながら意地悪そうににこりと微笑む彼女から目を逸らす。
「……してねえよ」
「フィンが顔赤くなってるところ初めて見た! メイ、気を付けなさい。こいつあんたのこと狙ってるわよ!」
「ね、狙ってねえし!? 赤くもなってねえし!?」
「どうかしら。ほらメイ、こっちに来なさい」
「分かりました」
手招きするエリスの方へたたたと駆け出さんとするメイの腕を掴み、行動を阻止する。
「エリスさん! 助けてください! 狼が一匹紛れ込んでいます!」
俺の腕を振りほどこうと暴れるメイ。こいつ……! 緑の冒険者なだけあって純粋な腕力もある……!
「仕方ないわね。縄で捕縛しておきましょう」
「なにもしねえよ! 話があんだよ! そんな心配ならエリスも部屋なんか見てないでこっちにこい」
「嫌よ。襲われるもの」
「いや、お前は絶対に襲わない」
「絶対って何!? その固い決意はなんなのよ!」
「馬鹿は恋愛対象外なんだ」
「エリスさん、勉強して見返してやりましょう」
「メイまで何よ! こんなやつこっちから願い下げだから!」
きぃと歯を食いしばって俺を睨むエリス。怖い怖い。あれのほうがよっぽど狼の目をしている。
俺は軽く息を吸い込んで、吐き出す。深呼吸。
「とまあそんな事よりだな、これからの事を話しておこう」
「? 拠点も決まったしのらりくらりやっていきましょうよ。そんな改まってどうこうする話でもないでしょう」
「だからお前はいつまでも白なんだ」
「メイ、フィンにインフェルノ放ってもらえないかしら」
「今は室内ですので……」
「外ならいいのかよ!?」
安堵しかけたが、隣にいつも爆弾を抱えて行動をしなければならない事が確定したので、絶望の息を吐き出す。
「いいかお前ら。俺達には金がない。しかも収入源も安定はしていない。一歩間違えるだけで家はおろか食すら確保できなくなる。今日の飯は祝賀会みたいなものだ、これからは節約を心掛けてほしいんだよ」
「なるほど。確かにあまりどんどんと使っていいものではありませんね」
「メイのくせに良い事言うじゃねえか。エリスも見習ってほしいもんだ」
すとんと俺の隣に腰掛けるメイをちらりと見てから、俺は今後について考える。
エリスやメイがいる限り、ギルドからの保護は受けられるであろうし、なにせここは腐敗した街アイリスである、住人が仕事をしていないお陰で働き口はいくらでもある。先程の言葉に自分で否定を返すようで心地が悪いが、先の心配はまず必要ないだろう。
だが、それはまともな人間が真剣に金銭の使用先を決めていればの話である。
ここにいるのは馬鹿、馬鹿、普通の三人である。唯一まともな思考回路を保持している俺だが、何故かこの三人の中で一番発言権がない。エリスやメイが最終決定を下すので、俺の助言などはなんの役にも立たないのである。悲しい。
「そこでだ。定期的にクエストを受けていこうと思ってるんだ」
「なんで?」
「なぜですか?」
俺のそんな提案を不思議そうな表情で見つめる二人に嫌気が刺す。嫌気という矢が心臓深くまで突き刺さっているのを感じる。
大きく息を吐き出し、続ける。
「なぜってなあ……。今はまだいいがこんな生活できるのは金が尽きないうちだけだぞ」
「尽きた時の事は尽きてから考えればいいじゃない」
「そうですよそうですよ。メイは働きたくないのです。目標も達成しましたし少し休ませてくださいよ」
「もう十分休んだろうが。八十万に利子付けるぞお前」
「さ、さて! エリスさん! なんだか働きたくなってきましたね! 働いてさっさとお金を返したいですね!」
「フィン。脅しはよくないわよ」
失礼な奴らである。
「尽きてから考えるってそれじゃあ遅いだろ」
ベッドにどてんと寝転がって、天井を見ながら呟く。その反動で小柄なメイもころころと転がるようにしてベッドへと転がってきた。
「遅くないですよ。メイはいつもそうやって生きてきました」
「その結果が八十万の借金だろうが」
隣で寝転んで同じように天井を眺めているメイが、ぷくうと顔を膨らまして憤りを露わにする。
「仲間からお金を取るなんて酷いですよ! 言ってやってくださいエリスさん!」
「そうよ! フィン! もうあの八十万リルはメイにあげちゃいなさい!」
どーんという効果音が似合いそうなポーズで俺を指さしながら、メイの味方をするエリス。
「そうだそうだー! あげちゃってくださいー!」
「いやあ、あの八十万さえあれば今頃エリスはもう少し金を持っていただろうなあ……。六万ずつなんてことはならずに、三十三万ずつになっていたのになあ……」
「メイ、今すぐ返しなさい。私のお金を」
「ええ!? 久しぶりに一対二の構図になった気がします! 怖い!」
当然の結果だ。
もう一度二人の顔を見る。まるで危機感を感じていない顔をしていたので、自分でも気が付かないうちに大きな溜息が漏れてしまった。
「フィンさん。メイは今、良い事を思いつきました」
「お前らの考える良い事は例外なく悪い事なんだよ」
「し、失礼な」
「とりあえず聞いてやるよ」
ベッドから勢いよく起き上がり、とんとんと指でベッドを叩く。
そんな俺に向かって、まるで吠える前の獣のように徐にメイは口を開いて、
「お金がないのであれば、ギャンブルをすればよいのです!」
と、めちゃくちゃな案を提示した。
俺は手で顔を覆う。頭を抱えるとはこのことか……。むしろ今までこの思考回路で良く生きてこれたな。生存して尚緑の冒険者まで駆け上がっていることを称賛したい気分である。
「ギャンブルで全財産失ったんだろうが。懲りろよ。頼むから懲りてくれ」
既に後半は懇願になっていた。
「何を言っているのですかフィンさん! 悪知恵が聞いて呆れますよ!」
「はあ? お前まさか俺にイカサマやらせようとしてないか? 悪いが俺はそういうのが嫌いなんだよ」
「全く。本当に呆れて声も出ません。イカサマなんてギャンブルで一番やってはいけない行為ですよ。それが内容する熱さ、驚き、焦燥、全てが薄まってしまいますからね! ギャンブルは本物だから熱くなれるのです! 賭博は人生なのですよ! わかりますかフィンさん!」
「分からねえ」
「分かるわ!」
「なんでエリスが分かってんだよ……」
いつになく饒舌なメイをそれこそ呆れた目を持って見つめる。馬鹿二人と以前言った事がある気がするが撤回させてもらう。
大馬鹿が二人である。
「いいですか。ギャンブルには波があります。メイは既に底を味わっています。経験から言えば、これから先はどんどんと上に上がっていくはずなのですよ。これは確定事項なのです」
「病院行こう。病院。カジノじゃなく、先に頭の病気を治してもらいに病院に行こう」
「ふふふ。フィンさん、もう遅いですよ」
「はあ? お前の頭がか? 手遅れって事か?」
「ち、違いますよ! 後ろ! 後ろ見てください」
狼狽しながら俺の後ろを指さす。その指の先を確認するべく、俺も首だけを後ろに回して、後方を確認する。
「じゃ! 先に行ってるわよ!」
そこには、こちらにウインクを飛ばすエリスの姿があった。
よく観察してみれば、その手にはここを借りる為に出し合った一週間分の宿泊費が握られている。
「っ……! お前なあ!」
喋らないと思ったら裏でこそこそ脱走の手筈を整えていたらしい。いらないところにだけは気が回る女である。
「メイ! フィンの足止めは任せたわよ! 適当なところで気絶でもさせて後で合流しましょ!」
「了解です! すみませんがフィンさん、貴方を行かせるわけにはいかないのです」
「悪役の台詞じゃねえか!」
頭を抱えたくなるがそんなことをしている時間は無い。一刻も早くあの銀髪を止めなければ、俺達の家がなくなってしまう。
「大丈夫ですフィンさん! 勝ちます! 勝ちますので! 大丈夫です! 勝てばいいのです!」
「なんでそんな不確定な勝負に出なくちゃなんねえんだよ! 離せ! はやくあいつを止めないと大変なことになるぞ」
「一般人が緑の冒険者に勝てると思わないでください! 申し訳ありませんが、フィンさんにはここで寝ておいてもらいます。安心してください、二倍、いや三倍にして帰ってきますよ!」
エリスを追って外に出ようとする俺の腕を、行かせまいと強く握るメイ。どうやらその力の差は埋められないようで、冒険者を前に俺はただただ無力だった。道化師にでもなった気分である。
これからの事を考えるだけで、不安と焦燥で吐きそうだ。
ただ勝って帰ってきてくれと願うばかりである。
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