第2話 おちつくべき

 悲痛すぎる叫びにも似た咆哮に少し身を引いてしまう。うるせえな。ボリュームをあげろとは思ったが限度があるだろ。

 しかし、その叫びは俺の心を深くまで突き刺した。何故なら俺自身も同じような境遇だったからである。家出を決行してから少ないとは言えない時間を過ごしているのだ、必然的に金も底をついてしまっている。こんな非常識アホ美少女と同じ境遇なのはいささか辛いものがあるが、少しの同情はくれてやる。

「……そうか。お前も大変なんだな」

「な、なによ急に優しくならないでよ」

 ぽんと労いの意を込めて肩を叩く。わかるぜ、その気持ち。そして財布の事情も。冒険に赴く理由も。

「そういった事情があるのであれば尚更、他のレベルの高い冒険者に付いていったほうがよろしいのではないですか? フィン様の実力の程は分かりませんが、不確定な事柄に託すよりも強さが確定している冒険者に依頼するほうが安全では?」

 先ほどのエリスの台詞を聞いていた受付嬢が、こてんと首を傾げながら言葉を挟む。

 暗に俺が弱いって言ってんじゃねえか。さっきはこういう可愛い人と冒険がしたいみたいなことを言ったが取り消しだ。俺は孤高の戦士になるのだ。一生受付嬢やってろ!

 そんな子供じみた発言は脳内にしまっておく。理性ある大人なので。

「依頼したわよ」

「え? そうなの?」

 受付嬢の些細な疑問に、エリスは小さな声で答えを提示する。さっきの大声は何処へ隠した。

「そうよ。全部『性格が無理』って断られたけどね」

「そりゃあ英断だ」

「うるさい」

「痛ってぇ! 無表情で蹴るのやめろよ! 今痛いより先に怖いが来てる!」

 エリスに蹴りを入れられた脇腹をさする。折れてないよね……? 折れてたらこいつを訴えよう。

「まあそういうことならパーティ入りを考えてやらんこともない」

 顎を手で擦りながら一拍置いて言う。よく考えればエリスと俺の利害関係は一致している。どちらも、明日を生きるための資金がほしいのだ。

 ならば、仲間になるのも吝かではない。

 エリスは俺を利用したいと考えているようだが、この馬鹿のことだ。利用する算段などなにも考えていないはずだ。逆に俺がこいつを利用してやる。女だろうと容赦はしない。男女平等パンチを食らうがいい。ふはは。悪役になってしまったような気もするがまあいいだろう。

「本当に!?」

「ああ」

 首肯する。

「じゃあ早速クエストを決めるわよ! ついてき――むぐぅっ!?」

「まあまあ待ちたまえ。エリス君」

 キラキラと目を輝かせてクエストボードに向かおうとするエリスの口を塞ぎ、制す。

「なによ。ここまできてやっぱりなしとかぜーーーったい認めないから」

「なに。そんなことは心配しなくていい。俺は一度やると決めたことは必ずやる男だ」

「それならいいけど……。で、なんなのよ」


「報酬の取り分を決めようじゃないか。エリス君」


 高らかに、しかし静かに吠える。

 一番重要な部分である。九対一など絶対に認めるわけにはいかない。

「何言ってるのよ。私が九でフィンが一よ」

 力強い口調でエリスは言う。ふはは、その余裕綽々な態度をとっていられるのも後数秒だけだ。自分の頭の悪さを呪うがいい。

「本当にいいのか? それで」

「な、なにが言いたいの」

「エリスは今日の宿もないと言っていたな」

「ええ、恥ずかしながらそうね」

「俺がこれを断れば、エリスはクエストに行けず、金も手に入らなくなるわけだ」

「…………」

「それを頭に入れてもう一度よく考えたまえよ、エリス君」

 一瞬の沈黙。思考の沈黙が空間を漂う。

「五対五でいいわ」

「交渉決裂だ。その辺の道端で就寝するんだな」

「ちょっ! 卑怯よ! 冒険者同士は対等っていう暗黙の了解があるでしょうが!」

「おいおい、俺はまだ『冒険者』じゃないぜ? それにその鉄の掟を破ったのはお前が先だろう」

「分かったわよ! 六対四でいいわよ!」

「……」

「七対三」

「…………」

「八対二」

「………………」

「あーーーーー! 分かったわよ! 九対一でいいわよもう!」

「よしエリス! そうと決まれば早速クエストを見に行こうぜ! 善は急げってやつだ!」

 後ろで受付嬢が「悪魔……」と呟いていたような気もするが、俺は盗聴スキルを持っていないので何も聞こえなかった。という事にしておこう。

 さて、冒険の始まりだ!



 二人してクエストボードの前に佇んでいた。

 ギルド内にあるその板。ここに様々な依頼が貼られており、その詳細を確認することができる。

 白から白金までの色の紙があり、自分のレベルに見合ったクエストを選択することができるようになっている。選べるクエストに制限はないが、俺達は白の冒険者である。多少報酬が少なくとも、白色のクエストを選択するほうが無難なのは間違いない。

「じゃあこれにしましょう」

「馬鹿かお前は」

 そう言ってエリスが指を刺したのは白金のクエスト。報酬百万リル。報酬は高いがその分内容が鬼である。比喩ではない。本当に、鬼を倒すのだ。街を荒らしている鬼の討伐がこのクエストのクリア条件である。

「なんでよー! 百万よ!? 百万あったら一年暮らせるわ……」

「お前は今までどれだけ貧しい生活を送ってたんだ。それにエリスの懐に入るのは十万だぞ」

「そ、そうだった……。でも十万でも頑張れば三か月は……いや半年?」

「継続的に働くという意思はないのかよ」

 流石アイリス。腐敗した街と呼ばれる理由が垣間見えた。

「仕方ないわね。じゃあこれは?」

「ドラゴンの討伐ぅ? 俺達がドラゴンに討伐されてしまうだろうが。却下」

「ならこれは? スライムの討伐」

 ぺりりとクエストボードから紙を引き剥がし、俺の目の前に突き出してくるエリス。

 その紙をまじまじと見る。スライムはこの世界における最弱のモンスターだ。色も白。これならばあるいは……。

「これいいじゃねえか。報酬も悪くない。というか良すぎるくらいだ。これに決め」

「でしょう! では早速」

「いや待て。何をそんなに急いでいる。怪しいぞ。もう一度確認させろ」

 何かを隠すようにしてそそくさとそのクエストを受注しに行こうとするエリスを制し、言葉を投げる。

 だらだらと冷や汗を流しながら「ナニモナイワヨ」と言っているエリスを見て、俺は確信する。何かを隠蔽していると。

 エリスから紙を取り上げる。すると先ほどまで白だった紙がみるみるうちに白金へと変貌を遂げる。

「おい、なんだこれは」

「……隠蔽スキルよ」

「つまりあれか? お前のそのスキルで色を一時的に白にしたってのか?」

「……」

「沈黙は肯定と同義であると知れ」

 危なかった。知らず知らずのうちに死地へ自ら赴くところだった。こいつ、やはり危険な女である。

 もう一度クエストの内容を隅々まで確認する。

「おい! スライム一万匹の駆除!? できるわけないだろ! 個人で受けるクエストじゃなく軍隊とかを使ってやるようなやつだぜこれ!? お前本当に頭悪いんだな!」

「だって報酬が……」

「百万だぞ!? 一万匹倒してやっと百万! 時給換算したら一円にも満たねえだろ! これならまだドラゴン討伐のほうが良いわ!」

「でしょう!? さささ、ちゃっちゃとドラゴン倒しちゃいましょ!」

「てめぇ初めからそれが狙いか! ドラゴンもスライムもいかねえよ!」

「鬼退治は?」

「言わずもがな」

 エリスにクエストの選択権を渡してしまった事を後悔し、反省する。冷静に考えればすぐにわかることだった。この女がまともなクエストを選択するはずがないと。

 気を取り直して自分の目でクエストボードを確認する。一先ず、白以外のクエストは確認する必要がない。白のうち、俺達でもクリアできそうな簡単なものを……。この際報酬は多少少なくてもいい。どうせ俺に九割入ってくるのだ。困るのはエリスだけである。自分さえよければそれでいい。

 吟味する。それこそ、数の少ないスライムの討伐であったり、果ては草むしりまで。お世辞にも報酬は良いとは言えないが、仕方がない。エリスも今日の宿のために納得してくれるだろう。

 そう結論付けて、俺は白色の紙に記された『スライム二匹の討伐。報酬一万リル』をボードから引き剥がす。これならばそれほど危険でもないし、報酬も妥当だ。千リルあれば宿くらいは何とかなるだろう。その環境はさておき。

「おいエリス。これなんかどう……ってあれ?」

 隣にいたはずのエリスが忽然と姿を消している。

 ――なんだか、とてつもなく嫌な予感がする。

「フィン! クエスト受注してきたわよ! 感謝しなさい!」

 どーんと無い胸を張って高らかに宣言するエリス。

 手に持っているクエストの紙を放り投げ、エリスに詰め寄る。

「おい、お前まさか白金の……」

「なーに言ってんの。白金は冗談よ」

「……冗談には思えなかったが。まあ白金じゃないならいい。何を選んだんだ?」

 どうやら俺が考えていた最悪の事態は避けられたようだ。一先ず、仮初の安心を体内に吸収させる。

「ミミックの討伐。赤のクエストよ! 報酬三十万リル! 良いでしょぐぇぇっやめてからだゆらさないで!」

「今すぐキャンセルしてこいこの馬鹿! 赤だぞ? 分かってんのか!?」

 エリスの肩を持ち、自らの頭の悪さを反省させるためにがくんがくんと前後に揺らす。揺れるたびに長いロングの髪が靡く。

 様々なランクのクエストがあり、そのランクは色で分けられていると言った。その内情は、白、青、黄、緑、赤、銀、金、白金である。白金が伝説級であることを考え、それを除外するならば、この銀髪のアホは上から三番目の上位冒険者専用のクエストを引っ張ってきたということになる。

 とんでもない馬鹿である。大馬鹿だ。報酬の取り分につられて仲間になってしまった事を後悔するがもう遅い。

「脳震盪で死んだらどうすんのよ! それにもうキャンセルできないわよ。私もフィンも無一文でしょう? キャンセル料がいるのよ」

「そのまま死ね! ……俺は多少持ってるよ。エリスのために金を払っているような気分で少し癪だが仕方ない。これは命にかかわるからな。キャンセル料はいくらだ」

 今持っている金額を頭の中で計算する。確か六万リルくらいは貯蓄が――


「十万リル」

「――よーしエリス! ミミック退治に出かけようか!」


 憧れの冒険者だったが、既に逃げ出したくなっている俺だった。

「何泣いてんのよ。冒険がそんなに楽しみだったの?」

「嬉し涙なわけないだろうが!」

 どうやら俺は、とんでもない女とパーティになってしまったようだった。

 得た教訓は、善は急がないほうがいいということだ。

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