060 疑問・父親・許さない


『親父さんは、空港で雪季ちゃんと会うって言ってた。今日は近くのホテルに泊まるはずだ。今からなら、帰りを考えなければ電車で行ける』

「ホテルって、はぁ、どこの!?」

『そこまでは知らない。どうするんだ?』

「もう向かってるよ!」


 空港方面の電車に飛び乗り、荒くなった呼吸を落ち着ける。

 酸素が足りず、頭が回らない。

 時間も時間なだけあって、ほかの乗客の姿はほとんどなかった。


「あぁ……くそっ!!」


 雪季の様子がおかしかったことに、今さら合点がいく。

 あの時、「ホントに今日だけ」と雪季が言ったのが、まさかそのままの意味だとは。

 自分の鈍さに嫌気がさし、遥は膝を叩いた。


 電話をかけても、メッセージを送っても、雪季から反応はなかった。

 なぜ雪季は、電源を切っているのか。

 そう考えて、父親の言葉が思い出される。

 「雪季ちゃんも納得してるらしいし」。

 もし、それが本当なら。脱力感に襲われ、遥はイスに腰掛けた。


 もしそれが本当なら、自分のやっていることは、間違っている。

 何も考えずに行動してしまったが、これで良かったのだろうか。

 浮かんだ疑問を、遥は首を振って搔き消した。


 もしそうだとしても、雪季の口から直接その言葉を聞かない限り、納得はできない。

 ちゃんと会って、二人で話す。

 少なくとも、それだけはしなければならない。


 電車を乗り継いで、空港の最寄駅に着く。

 閑散とした改札を出ると、全く知らない景色が広がっていた。

 遠くに見えるビル街の灯りが、非日常感を加速させる。


 タクシーを使おう。

 そう考えて、駅前のロータリーを見渡す。

 数台のタクシーが停まっている一角へ向かって、遥は駆け出した。


「ちょっと、いいかな」


 タクシーに手を挙げる直前、遥は逆に一人の男性に声をかけられた。


 急いでいるのに。

 思いながらも振り返ると、背が高く、スーツ姿にメガネを掛けた男が、穏やかな表情で遥を見ていた。

 理知的で細面の、優しさと几帳面さが同居したような男だった。


「なにか用ですか? 俺、急いでて」

「雪季ならいないよ」

「えっ……?」


 男の言葉がなかなか脳内で正しく変換されず、遥は身体を硬直させて立ち止まった。


 雪季はいない。

 なぜ、雪季のことを知っている。

 この男は、誰だ。

 いや、考えられる可能性は、ただ一つ。


「こんばんは。君が月島遥くんだね。初めまして」

「……あんたは」

「うん。雪季の父親、水尾です」


 やはり。

 遥は敵に遭遇した野生動物のように身構えた。

 なぜここに。

 いや、今はそんなこと、どうでもいい。

 探す手間が省けたというものだ。


「……雪季はどこですか」

「ホテルで休んでいるよ。僕は君に、会いに来たんだ」

「……どうして、俺がここへ来ると知ってるんですか」

「いや、知っていたわけじゃない。ただ、来るなら必ず、ここを通る。来なかったら来なかったで、それも好都合だったけれどね」


 男は淡々と言葉を紡いでいく。

 確かに、雰囲気が雪季によく似ている。


 遥は敵対心を隠し切れず、睨むように言った。


「雪季と会わせてください」

「なぜ?」

「話があるからです」

「僕が聞くよ。保護者だからね」

「あなたじゃダメなんですよ。雪季に会って直接、どうしたいか聞く。でないと納得できません」

「君の納得は必要ない。明日から、君とは無関係になるんだから」

「無関係なもんか! 友達だ!」

「友達?」


 途端、男の目が鋭くなった。

 怒っているような、軽蔑しているような眼差しだった。


「その友達のために、君はこんな時間に、ここまで来たのかい?」

「そ、そうです。雪季は大切な友達です。その友達に会いに来て、何がいけないんですか!」

「……君の考えを当てようか」

「……どういうつもりですか」

「君は、雪季を友達だなんて、思っていない」

「そ、そんなことありません! 何を根拠にそんなことを!」

「直感だよ。違うなら、聞き流せばいい。君は雪季を、悪しからず思っている。平たく言えば、愛している。けれど、その気持ちに名前をつけられず、燻っている」


 男の言葉に、遥は反論することができなかった。

 違う。

 そう思っているはずなのに、声が出ない。


「雪季が消えて、自分の手元から離れて、君は初めて尻に火が付いた。そして、今になってうろたえている。雪季を失いたくないと、そう思ってもがいている。そうだね」

「……そ、それは」

「君は雪季に会って、何と言うつもりなのかな。ただ、雪季の本心を聞くだけでいいのかな。それでもし、雪季が本当に君と離れてもいいと言ったら、君はそれで満足なのかな。どうなんだい? 月島遥くん」


 言葉が出ない。

 心臓を締め付けられるように息が苦しくなり、顔が歪むのが分かる。


 自分は、その時何と言うのだろう。

 雪季がさようならと言ったら、はいさようならと、そう言えるのだろうか。

 雪季の本心を確かめる。

 そのためにここへ来た。

 そのつもりだ。

 しかし、本当はどうだ。

 自分は、雪季を。


「君は、雪季を引き止めるために来た。そうだろう?」


 遥は、拳を強く握りしめた。

 その通りだ。

 自分は雪季を取り戻したくて、失うのが怖くて、帰ってきてくれと頼むために、ここまで来た。

 それなのに、きっと雪季もそう思っている、そう自分に言い聞かせて、雪季のためだと言い訳をして、ここまで来てしまった。

 そしてそれは、自分が雪季のことを。


「おこがましいよ、遥くん」

「……」

「交際するつもりも、覚悟もない癖に、女の子を自分の元に置いておこうなんて、おこがましいにもほどがある。そんなやつに、僕の大切な娘は預けられない」

「うっ……」


 思わず半歩後ずさって、遥は唇を噛んだ。


 めちゃくちゃだ。

 けれど、男はそれもわかっているというような様子で、堂々と遥を見据えていた。

 道理が許しても、自分が許さない。

 そう言わんとしているのが伝わってくる。


「これは覚悟の話だ。僕には君に、それから雪季に、恨まれる覚悟がある。そのリスクを負っても、曲げられない気持ちがある。君には、自分の望みを貫く覚悟があるのかい。その代償を、背負う覚悟があるのかい。どうなんだ、月島遥!」


 遥は黙っていた。

 男も、何も言わない。

 だらんと下がった腕が、夜風を受けてかすかに揺れる。

 俯いていた顔を上げ、まっすぐこちらを見ている男を睨み返した。


 胸に手を当てて、自分の鼓動を読み取ってから、遥はゆっくりと、大きく息を吸い込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る