050 返事・同盟・幸運を


「……と、いうわけなんだ」

「……」


 橙子が話し終えても、黒髪の少女は黙ったままだった。

 ただ、その表情は今にも泣き出しそうなそれに変わり、右手で口を押さえていた。

 肩がかすかに、震えている。


「だ、大丈夫か。どうした?」

「あ、あぁ、ごめんなさい……。ただ、人ごとのように思えなくて……」


 橙子は慌てて少女の背中をさすった。


 少女はそのまま、自分の恋愛について、語り出した。

 そして橙子には、彼女の言葉の意味がよく、わかった。


「それは……たしかに、他人事には思えないな」

「そうですよね……」


 少女の恋愛事情は、橙子のそれとよく似ていた。

 念のため細かいところはぼかして話していたし、少女の方もそうしているだろうが、それでも、自分と少女が同じような苦しみを抱えていることは十分に理解できた。


 特に、相手の男に急に告白した、ぽっと出の女。

 その存在が共通している。

 橙子にとってそれはもちろん、水尾雪季のことだ。

 しかも雪季は、遥と同居までしている。

 そのことはさすがに少女には話していないが、まさか向こうの女はそこまで厄介な存在ではないだろう。


 やはり、憎っくきは雪季だ。

 なんて恨めしい。

 なんて羨ましい。

 しかも遥と仲が良い。

 それが一番、腹が立つ。


「絶対、あの子より私の方が、あいつのこと好きです。どんなにあの子が可愛くても、それだけは譲れません」

「わかる、わかるよ。私も絶対、彼のことを一番愛している。彼を幸せにできるのだって、私しかいない」


 橙子が言うと、少女は潤んだ目でこちらを見つめてきた。

 ガシッと橙子の両手を掴み、祈るように合わせる。


「汐見さん! 頑張りましょう! 一緒に!」

「あ、ああ! そうだね! 頑張ろう!」


 どうやら意気投合してしまったらしい。

 橙子はこの不思議な出会いに感謝していた。

 きっと、少女の方もそう思っているに違いない。


 そして話題は、互いの想い人がどんな男か、ということに移っていた。


「あいつ、見た目は普通なんですけど、やたらお人好しだから、ちょっとだけモテるんです。しかもけっこう、やんちゃな女の子に気に入られたりして。中学の時は、悪い虫を追い払うのが大変でした」

「ほお。そういう意味では、私の彼とは違うね。彼は全然、モテないんだ。だから、まさか突然私の知らない女に告白されるなんて思いもしなかった。いや、油断していた私も悪いんだけれどね」

「そうなんですね。だけど意外です。汐見さんすごく綺麗なのに、そんな冴えない男の子が好きなんて」

「いやいや、冴えないというわけじゃないんだ。断じて違う」

「例えば?」

「彼は、こう、とにかく優しくて、まっすぐなんだ。それに、時々男らしいところもあって、それにやられてしまった。正直、彼がモテないというのが、私には納得いかなくてね。まあ、その方が私には都合がいいのだけれど」

「ふぅん。羨ましいです、好きな人がモテないのって」

「それはそうだろうね。君の苦労が察せられるよ」


 そこまで言って、橙子は手元のカフェオレに口をつけた。

 たくさん話して、喉が渇いていた。


「告白は、したのかな?」

「……はい、実は、昨日」

「おお! 凄いじゃないか! よく頑張った。緊張したろう?」

「しましたよ! だって、10年もあいつのこと好きだったし……」

「うん、素敵だね。それで、彼はなんて?」

「それが……告白の後、すぐキスしちゃって……」


 少女の言葉に、橙子は驚きを隠せなかった。

 ここまで話した印象に反して、意外と度胸のある子だ。


 少女は頬を赤く染めながらも、話すのをやめなかった。


「そ、それで……?」

「……答え、聞けませんでした。まあたぶん、キスしてなくても返事はもらえなかったと思います。あいつ、いろいろあるから……」

「そ、そうか……」

「……やっちゃったなぁ、私」

「ど、どうして、キスを?」

「えっ……いやぁ、なんか、抑えきれなくなったっていうか……結局、独占欲なんですけど」

「独占欲……か」

「言葉で伝えるだけじゃ、足りなくて……。それに、ああすれば今だけは、私のことだけ見てくれるかな、って」

「……きっと、君の思った通りになったさ。君にそこまでさせて、それでもよそ見するような男は、ダメだよ」

「えへへ……ありがとうございます。でも、あいつも苦労してるんですよ。だから、いいんです」


 そう言って俯いた少女の声は、深い慈愛に満ちていた。

 橙子はますます思う。

 こんな少女に選ばれたその男は、とんでもない幸せ者だろう、と。


「……私も、それくらいすればよかっただろうか」

「えっ、汐見さんも告白したんですか? その人に」

「ああ、したよ。ダメダメな告白だったけれど、言わずにはいられなかった。彼のことを思うなら、本当はそうすべきじゃなかったんだけれどね……」


 少女は不思議そうな顔で、橙子の言葉を聞いた。

 恋愛恐怖症については、やはり伏せておくことにしよう。

 赤の他人に気軽に話すべきではないだろうし、そんな情報でさえも、橙子は自分の手元に置いておきたかった。


「返事はどうだったんですか……?」

「……特別に思っている、とは言ってくれた。けれど、今は付き合えない、とも」

「そ、そんな……」

「仕方ないんだよ。彼にも事情があるからね。私が一方的に迫ったのが悪いとすら言える。しかし、やはりその言葉だけでは諦めきれなくてね。かと言って確かめる勇気も持てず、悶々としていたんだ。情けない話だね」

「そんなこと……」


 少女は心から橙子に同情してくれている様子だった。

 本当にいい子だ。

 この子も、頑張っている。

 そう思うと、橙子は勇気をもらえるような気がしていた。


「さて、話しすぎてしまったね。すごく、楽になった」

「いえ、私の方こそ……ありがとうございました」

「勉強の邪魔をして悪かったね。いい出会いだった。私は、帰ることにするよ」

「はい……。頑張ってください。私、応援してます」

「ああ。私も、君の幸運を祈っているよ」


 そう告げて、橙子は颯爽と立ち上がる。

 久しぶりに、いつもの自分を取り戻せたような気がした。

 勝負はもちろんこれからだけれど、次こそはきちんと向き合おう。

 どんな結果になろうとも。

 それに、待てと言われれば、いつまでだって待てる。


 自分は、彼のことがそれほど、好きなのだから。


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