049 ずばり・似ている・悩み事


「お待たせいたしました、アイスカフェオレでございます」

「ありがとうございます」


 汐見橙子はトレイに載った飲み物を受け取り、椅子の高いカウンター席に腰かけた。


 今日はテスト期間2日目の放課後、金曜日だ。

 気分を変えて勉強するため、橙子は駅前のカフェに来ていた。

 とは言っても、彼女にとっては定期考査などに大した重要性はないので、使うのは大学受験用の問題集である。


 ノートを開き、シャーペンを持つ。

 普段ならそのまま集中状態に入るのだが、最近の橙子はそうもいかなかった。

 原因は明白だ。


『……橙子さんのことは、好きです。きっと、特別に感じてる』


「……ふふ」


『だけど、やっぱりこれは恋じゃなくて、親愛というか、尊敬や憧れみたいなものなんだと思います……』


「……はぁ」


 あの時の言葉が、何度もリフレインする。

 ここ数日の橙子は、ずっとそうだった。


『……今は、その……橙子さんと恋人にはなれません』


「はぁぁ……」


 問題集を読む目が滑り、文字が書けない。

 頭が働かない。

 橙子は完全に参っていた。


 ずっと想いを寄せていた男に、告白をしたのである。

 バイト先の後輩、月島遥。

 彼はとある事情から、恋愛に強い恐怖感を持っている。

 それを聞かされた上でも、橙子は想いを告げずにはいられなかった。

 それほど愛しているし、何より、ライバルがいるのだ。

 同居関係という、恐ろしいアドバンテージを持った、強力なライバルが。


 ただ、どうやら結局、そのライバルも自分も、遥の恋人になれてはいないらしかった。

 遥は「今は」という言葉を使った。

 それは文字通り、「今は」という意味なのだろうか。

 それとも、「ずっと」という意味なのか。

 英単語の意味はいくらでもわかるのに、橙子にはそれがずっとわからずにいた。


「……はぁぁあ」


 深い深い溜め息が、何度もこぼれる。

 あれからもう、何百回と数えただろうか。

 どれだけ吐き出しても、心の中の不安やもやもやは減らず、それどころかどんどん増しているような気さえした。


 仕舞いには、恋愛が怖いままでいいから一緒にいてくれ、なんて言ってしまった。

 その時は本気でそう思ったし、今でもその気持ちは変わらない。

 が、あれはさすがに、遥のことを考えなさすぎた。

 事実、遥はその言葉には何も答えなかった。

 きっと、困らせてしまったに違いない。


 あれから、遥には会えていない。

 バイトのシフトは被らず、そのままテスト期間に入ってしまった。

 少なくともあと4日は会えないだろう。

 だが、半分悲しく、半分安心している自分がいることにも、橙子は気づいていた。

 会うのが怖い。

 会ったら、拒絶の言葉を聞かされるかもしれない。

 それは、嫌だ。

 耐えられない。

 その時のことを想像すると、胸が張り裂けそうになる。

 ああ、やっぱり告白をするべきではなかったかもしれない。

 いや、そんな弱気でどうする。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。

 そして虎穴に入った者は、成果に関わらずそれを誇るべきだ。

 しかし。


「はぁ……」


 おや?

 橙子は不思議なことに気がつく。

 今、自分の溜め息に別の声が重なったような。


 橙子は口を閉じ、耳を澄ました。


「……はぁぁ」


 やはり、聞こえる。

 女の声だ。

 自分がいるカウンターの、隣の席だろう。

 なんとなく親近感を感じて、相手にバレないように様子を伺ってみた。


 橙子と同じ制服。

 つまり、同じ学校の生徒らしい。

 同学年の顔は大抵頭に入っているので、おそらく、下の学年だろう。

 その女子高生も教科書を開いて、勉強モードだ。

 教科書から察するに、二年生か。

 橙子ほどではないが、美人だ。

 切れ長の目が大人びていて、長い黒髪が美しい。


 なぜか、橙子はその少女に声をかけたくなった。

 誰かと話したかった、というのもあるが、今の彼女の表情が、最近鏡で見る自分のそれと、よく似ていたのである。


「悩み事かな」

「えっ……あ、はい。まあ」


 少女は一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに柔らかい目つきになった。

 もしかすると、向こうも橙子に通じるものを感じたのかもしれなかった。


「ずばり、それは恋の悩みだろう。違うかな」

「え、すごい。どうしてわかるんですか?」


 少女はすっかり警戒を解いた様子で、橙子の方に身体を向けてきた。

 橙子もそれに応えるように、少し身体の向きを変える。


「私も同じだからだよ。恋愛というのは、厄介なものだね」

「……そうですね」


 少女もずいぶんと、参っているらしかった。

 やはり恋愛、恐るべし。

 同時にこんな美女を二人も苦しめるとは、不届きなやつだ。

 橙子は怒りと悔しさに拳を握った。


「おっと、すまない。私は汐見橙子という。推測するに、君はうちの高校の二年生だね」

「あ、はい。あの、私は」

「いや、名乗らなくていい。私たちは行きずりだ。それに恋の相談は、匿名の方が良いだろう」

「え、でも……」

「私は生徒会で会計をしている。それなりに名前が知れてしまっているから、いいんだよ」


 橙子が言うと、少女はクスッと笑ってから、コクンと頷いた。

 儚げな笑顔が可愛らしい。

 この少女を悩ませているらしい男は、どうしようもないやつだ。

 橙子は憤りを隠せない。


「私の話を聞いて欲しい。そしてもしよければ、君の話も、聞かせてはくれないだろうか」

「ええ、いいですよ。ちょうど私も、誰かに話して楽になりたかったので」


 少女は照れ臭そうにはにかみながら、教科書をカバンにしまった。

 橙子も一度、勉強道具を片付ける。


「私には、好きで好きでたまらない男がいてね」


 橙子が話し出すと、少女はまるで自分のことのように、真剣な表情になった。


 言葉を紡ぐ橙子の視界の端に、少女のカバンが映った。

 珍しいキーホルダーがつけてある。

 マヌケな顔をした、妙に愛嬌のある猫のキャラクターだった。

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