048 きっと・悔しい・俺がいる


 案の定、金曜日のテストはボロボロだった。

 色々ありすぎて勉強できなかった上に、本番も集中できなかった。

 普段と変わらない様子の絢音も、普段と違ってよそよそしい雪季も、遥にはどちらも気になって仕方がなかったのである。


「絶望だ……色々と」

「大袈裟だなぁ、相変わらず」


 向かいに座る渉が、薄い笑みを浮かべながら言う。

 渉はいつもこんな調子だ。

 人の苦労も知らないで、全てわかったような様子で笑っている。


 遥はなんとなく悔しくなって、フライドポテトを数本まとめて口に入れた。


「大袈裟じゃないんだって、今回はさすがに」

「へぇ、そうか」


 昼のファストフード店は賑やかだ。

 親子連れやカップルのほかに、遥たちと同じ高校の生徒も少なくないように見える。


 遥は昨日あったこと、それからついでに、橙子にも告白されていたことをまとめて話した。


 渉と二人だけで話すのは、最近の遥には珍しいことだった。

 去年はしょっちゅうだったが、今年に入ってからは都波との仲が深くなって、雪季も現れた。

 絢音とるりも加わって、近頃はたいていいつも騒がしい。

 そのせいか、親友の渉にまだ話せていないことが、たくさんあった。


「ふぅん」

「ふぅん、って……それだけかよ」

「まあ、いつかはこうなるんだろうと思ってたからなぁ」

「えっ。そうなのか」

「ああ。望月はずっと、悩んでたし」


 そうだったのか。

 遥は驚きながら、そりゃそうか、とも思った。

 渉はいろんな相手からそういう相談をよく受けているし、細かいことにもよく気がつく。

 絢音が渉に相談していたとしても、不思議ではない。

 それどころか、ごくごく自然だ。


「それに、その橙子さんって生徒会の人だろ? 確か、会計だったか」

「あぁ、そうそう。さすが渉」

「さすが、じゃねぇよ。また、ビッグネーム行ったなぁ」

「行ってないって」


 渉はしばらく黙っていた。

 顎に手を当てて、ジュースのストローをくわえる。

 遥も一口コーラを飲んでから、またポテトを食べた。


「どうすんだよ、それで」

「……どうしよう」

「情けないやつめ」

「うるさいな。だからお前に頼ってるんだぞ」


 失礼な。

 遥はポテトでビシッと渉の方を指した。


「……真面目な話だけどな」

「お、おう」

「お前今、誰かを選ぼうとしてるのか? それとも、誰も選ばない方法を考えてるのか?」

「……うぅん」

「なんだ、迷うのか? 俺はてっきり、後者かと」

「いや……多分そうなんだけどさ」

「たぶん、ねぇ」

「……三人とも、俺の恋愛恐怖症については、よく知ってるわけだろ」

「まぁ、そうみたいだな」

「……じゃあ、なんで俺に告白するんだろうか」


 遥には、それが疑問だった。


 自分は誰も選べない。

 間接的にそう宣言しているはずなのに、どうしてみんな、告白してくるのだろう。

 好きになられてしまったのは、仕方がない。

 その気持ちは誰にも止められない。

 遥にだって、それはわかっているつもりだ。

 だが、好きになることは、告白することとイコールではない。

 ましてや、遥は恋愛が怖い。

 それは明言している。

 なのに、なぜ。


「……まぁ」

「お……おう?」

「水尾さんが、したからだろうなぁ」

「えっ……」

「水尾さんが、お前に告白しちゃっただろ。知らずに」

「あ、ああ。あの時はまだ、雪季には話せてなかったから」

「たぶん、焦ったんだ、二人とも」

「焦った?」

「お前が水尾さんに取られるって、そう思ったんだろ。たとえお前が恋愛が怖くても、誰かと付き合う気があるのなら、立候補したい、ってさ」

「……そ、そういうもん、なのか?」

「まぁ、それと」


 渉は静かだった。

 少しだけ視線を上に向けて、凛々しい目を細めている。

 その目は、遥には見えていないものを見ているようだった。


「悔しいだろ、やっぱ」

「悔しい? なにが?」

「自分が一番相手を好きなはずなのに、それが知られてない。嫌だろ、そんなの。伝えていいなら、誰かが伝えたなら、自分の気持ちだけお前に知られてないなんて、俺なら嫌だ」

「……なるほど」

「望月も言ってたよ。自分の想いは10年ものだ、って。だから、お前が水尾さんだけ気にしてるのが、嫌だったんだろ」

「えっ、10年?」

「あ、やべっ」


 渉はわかりやすくうろたえて、額に汗を掻きながら口を押さえていた。


 10年。

 それは、もしかしなくてもそういうことだろう。

 絢音は、自分のことをそんなに長い間、好きだったのか。

 昨日から驚くことばかりだ。


「望月にしばかれる……」

「渉にしては珍しく、迂闊だなぁ」

「聞かなかったことにしてくれ……」

「いや、無理だから、さすがに」


 遥が笑うと、渉も釣られるように笑い出した。

 少しだけ、気が楽になったように感じる。

 やっぱり、渉に相談してよかった。

 遥は腹を抱えながら、そう思っていた。


「で、結局、どうするんだよ」

「……わからん。でも、誰も選ばない、なんていうのも、ありだと思うか?」

「恋愛に、ありもなしもない。付き合うとか付き合わないとか、こうすべきとか、そんなのは全部、きちんと決まってもいない、いい加減なルールなんだから」

「……なるほどなぁ。たしかに、そうかも」

「だから問題なのは、お前がどうしたいのか、だ。誰も選びたくないなら、そう伝えるしかない。誰かを選ぶなら、誰か一人に決めなきゃいけない。答えを出すのは、自分だ」


 渉は飄々としていた。

 ただ当たり前のことを言うかのように、気負わず、気取らず、自然体だった。


「……難しいなぁ」

「でも、お前もわかってるんだろ? 恋愛恐怖症を治すには、恋愛をするしかない。もう一度傷つく覚悟がないなら、一生逃げ続けるしかないんだ」

「……あぁ、そうだな」

「まあただ、俺が思うには、だ」


 渉は人差し指をピンっと立て、内緒話でもするかのように口に当てた。

 こういうキザな仕草も、渉がやるとイヤな感じがしない。


「難しく考えず、好きな女と付き合ってみればいい。裏切られたり、傷つくのがお前は怖いんだろうけど、お前には俺がいる」


 怪しく目を細めて、渉はニヤリと笑う。


「困ったり、失敗しそうになったら、俺を頼ればいい。都波だっている。何だかんだ、あいつも助けてくれるだろうさ。いいか、お前は一人じゃない。ちゃんと相談さえしてくれりゃ、助けてやれる。親友で、中身も外見もイケメンな俺が、絶対に守ってやる。だから、踏み出してみろよ。ひとりでうじうじ悩んでばっかりの、アホ遥くんよ」


 いつの間にか、渉は優しい目をしていた。

 心の底から思いやってくれているような、深い笑みだった。


 遥は恋愛が怖い。

 厳密に言えば、相手に入れ込んで、その上で、裏切られるのが怖かった。

 どれだけ相手を信頼していても、いや、信頼していればいるほど、そうして傷つくのが怖くて仕方なかった。


 だが、渉は言っているのだ。

 そうなる前に、自分が手を貸してやる、と。

 痛みを、和らげてやる、と。

 思えば、そういう発想は遥にはなかった。

 一度経験した遥にとって、裏切りとは周到で、唐突で、残酷なものだったから。

 助けてもらおうなんて、到底思いつかなかった。


「渉……」

「ま、それは当然、お前がその三人の中の誰かを、ちゃんと好きなら、の話だ。好きじゃないのに、助けてもらえるから付き合うなんてのは、俺は認めない。その時は助けない。いいな?」

「あ、ああ……それは、もちろん」

「よし、決まりだ。やっとおもしろくなってきた。るりにも教えてやらないと」

「あっ、お前親友の悩みを!」

「バーカ、恋バナってのは、もっと楽しくやるもんなんだよ」


 無責任だ。

 けれど、たしかに一理あるかもしれない。


 きっと大丈夫だ。


 気楽そうに笑う渉を見ていると、遥は自然とそう思えてくるのだった。

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