047 違う・足りない・私にも


「ど、どうぞ、雪季さん……」

「……いらない」


 遥がテーブルに置いたオムライスに、雪季はプイッとそっぽを向いた。

 頬を膨らませ、顔を赤くして、つんっとしている。


「せ、せっかく作ったんだし、食べてくれよ……」

「……」


 ダメだ、聞く耳を持ってくれない。

 遥は重い溜め息をついてから、自分のオムライスを一口すくって食べた。

 相変わらず美味しいが、今日は少しだけ酸っぱい気もする。

 味付けは間違っていないはずなのに。


 絢音はあの後、雪季に一言だけ声をかけて、さっさと帰って行ってしまった。

 そこからが大変で、遥は問い詰めてくる雪季に事情を説明する羽目になった。

 遥の話を聞いた雪季は、当然というか予想通り、暴れた。

 以前の家出事件で都波に聞いた話と同じように、泣きじゃくりながら縋り付いてきた。

 その雪季を落ち着けて、今やっと夕飯を作り終えたところなのである。

 泣き止んではいるものの、残念ながら機嫌は直っていない。


 遥は思った。

 都波、その節はありがとう。

 さぞ苦労しただろう、と。


「いい加減、機嫌なおしてくれよ、雪季」

「……ふん」


 雪季は強情だった。

 だが、遥の方にも言い分はある。

 絢音に告白されたのは、突然だった。

 正直、遥は直前で気づいていたのだが、だからといって、告白されるのを防ぐことなんて、普通はできない。


 それにそもそも、遥は今、雪季を宥めている場合でもないのだ。

 絢音に、告白されてしまった。

 しかもそのすぐ後に、キスまでされた。


 未だに、信じられない。

 あの絢音が、自分のことを好きだったなんて。

 橙子に告白された時よりも、ずっと驚いた。


 どうすればいいのだろう。

 いや、思えば絢音は、どうして欲しい、とも言わなかった。

 もちろん、付き合ってくれ、とも言われていない。

 となると、動揺しているというだけで、何も考えることはないのかもしれなかった。

 いや、そういうことにしておこう。

 一度に抱えられる問題の数には、限りがある。

 今は雪季だ。

 彼女の機嫌を直さなければ、色々と大変なのである。


「何を怒ってるんだよ。告白されたのは不可抗力なんだから、仕方ないだろ……」

「……違う」

「えっ、違うのか? てっきり、絢音に告白されたのを怒ってるのかと……」

「……告白は、いい。絢音は、頑張った」

「が、頑張った……のか」


 まあ、好きな人に告白をする、というのは、やはり大変なのだろう。

 そういう意味では、絢音も頑張ったのだろうとは思える。

 が、どうしても相手が自分となると、違和感が拭えない。


「……それじゃあ、何に怒ってるんだ?」

「……ん、橙子さんの時と同じ」

「同じ……?」


 雪季の言葉の意味を図りかね、遥は首を傾げてみせた。

 それを見た雪季は、ますます不機嫌そうな顔になる。


「キス! 遥は無防備!」

「えっ……あ、そういうこと……」

「……初めて、絢音に盗られた」


 雪季はまた頰を膨らませると、目元に涙を滲ませた。

 遥は慌てて雪季の頭に手を乗せ、撫でるようにさする。


「あ、あれは不意打ちだったんだよ……。まさか、絢音がそんなことするなんて思わないだろ……?」


 遥がそう言ってみても、雪季は全く納得していない様子だった。

 遥の胸を両手でぽかぽかと叩いてくる。

 地味に痛い。


「わ、わかったからやめろよ雪季、悪かったって!」

「遥はわかってない。絢音の気持ちも、私の気持ちも」

「わ、わかんねぇよ、そんなの……」


 ぽかぽかぽかぽか。

 痛みよりも徒労感と申し訳なさで、遥はぐったりと身体から力が抜けてしまった。


 自分は鈍感だ。

 その自覚はある。

 特に恋愛に関しては、それが顕著だ。

 けれど、わからないものはわからない。

 それに、恋愛恐怖症の自分には、相手が自分を好きかどうかなんて、言ってしまえば関係はない。

 相手の気持ちがどうであれ、遥の答えは変わらないのだから。


「……私も、する」

「……え?」


 雪季は謎のセリフと共に、のそのそと遥の隣へ移動した。

 身の危険を感じて、遥は後ずさる。

 オムライスは一旦ストップだ。


「……キス」


 四つん這いで迫ってくる雪季の目が、いつかのような獣の目になっている。

 まさか。

 遥はさらに雪季から距離を取るが、とうとう部屋の隅に追い詰められてしまった。


「ま、待て雪季! それはホントに……!」

「ん、絢音にはした」

「したんじゃない! されたの!」

「ん。私にもされればいい」

「よくない! 落ち着けったら!」


 言いながら、遥はベッドの方に移動する。

 が、これが悪手だった。

 雪季は猫のような俊敏さで遥の前に回り込むと、遥の腰を掴んでベッドに押し倒してきた。

 咄嗟のことで踏ん張りが利かず、そのまま雪季にのしかかられる。

 雪季の目はますますギラついていた。


「ゆ、雪季……?」

「……今日は、我慢しない」

「ひぃっ!」

「毎日、我慢してた。もう限界」

「ちょっ、ホントに待てって!」

「待たない」

「ダメだって! ちょ、ゆ……!」


 きっと冗談だろう。

 なんだかんだ言って、また何事もなく終わるのだろう。

 遥は最後まで、そう思っていた。

 本気で抵抗もしていなかったし、雪季にもその気は無いだろうと、高を括っていた。


 だから、自分の口を柔らかいもので塞がれたことが、しばらく理解できなかった。


 息ができなくなる。

 鼻先同士が触れ合って、雪季の匂いがする。


 はぁっ、と息を吐きながら、雪季の唇が離れた。

 全ての映像がスローモーションに見える。

 口の中に、微かな味と熱が残る。

 遥は身動きもできず、ただ呆然と固まっていた。


「……いい気味」

「ゆ……雪季……!」

「……足りない」


 再び、強引にキスされる。

 強すぎる刺激に頭が回らなくなる。

 全身が痺れて、視界がぼやける。


「……っはぁ」

「……はぁ、はぁ。ゆ、雪季……お前なぁ……」

「……どれだけ好きかわかった?」


 雪季は真っ赤な顔でそう言うと、素早く立ち上がってリビングを出て行った。

 ドアの音から察するに、シャワーへ向かったのだろう。


 まだ感触の残る唇を押さえながら、遥は部屋の中に立ち竦んでいた。

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