『フォロワー800人記念番外編』032.5 水尾雪季の敗北


 本日更新予定のエピソードが未完成の為、以前から告知していた番外編を掲載致します。リクエストをいただいた雪季のお話で、本編032と033の間に起こっていた物語です。

 明日からはまた、本編を再開致しますので、ご了承ください。申し訳ございません。


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 突然、目が覚めた。


 部屋はまだ真っ暗で、水底のように静かだった。

 喉が渇いている。

 むくりと起き上がり、水尾雪季はキッチンで一杯、麦茶を飲んだ。


 どうしよう。

 雪季は考える。

 時計を見ると、夜中の3時過ぎだった。


 リビングに戻ると、当然ながら、ベッドでは月島遥がスヤスヤと眠っていた。

 雪季は遥に近づき、音を立てないように顔を覗き込んだ。

 あどけない表情で目を閉じ、ゆっくり息をしている。


 雪季は心臓が高鳴るのを感じ、手で胸を押さえた。

 愛しい。

 たまらない。

 頬に触れたい。

 唇に……、それはさすがに、よくない。


「……遥」


 試しに声をかけてみても、遥は無反応だった。

 じっと見つめていると、不意に眉間や口がかすかに動く。

 その一つ一つに、雪季は嬉しい気持ちになって思わず身体を小さく揺する。


 昨日は、いろいろと大変だった。

 遥は恋愛が怖い。

 そんなこと、知らなかった。

 知らなかったからアピールしようと思ったし、アピールしてもいいんだと思っていた。

 嫌々でも構ってくれるのが嬉しくて、いつもちょっかいをかけてしまっていた。

 恋が怖いなんて、一言も言われなかったから。


 けれど、遥はどうやら本気らしかった。

 本気で恋愛が怖くて、雪季を、そして誰も、受け入れられずにいる。

 かわいそうな遥。


 自分は昨日、「待つ」と言った。

 きっとそれが、自分ができる一番の思いやりだ。

 待つ。

 いつまでも待つ。

 本気でそう思う。


 雪季は遥が好きだ。

 それもかなり、入れ込んでいる。

 遥と一緒にいると落ち着くし、安心する。

 優しいし、時々かっこよくて、だいたいいつもかわいい。

 思わず抱きついてしまっても、なんだかんだ言って許してくれる。

 運が良ければ向こうからも抱きしめてくれたり、頭を撫でてくれたりもする。

 そんなとき、雪季はどうしようもなく幸せになる。

 胸がときめいて、それまでよりももっと、遥のことを好きになってしまう。


 あんなことがあったのに、こんな調子で大丈夫だろうか。

 雪季は心配になる。

 しかも、二人暮らしだ。

 そのうち、自分は歯止めが効かなくなってしまうかもしれない。

 今だって、遥に触ってしまわないように、必死に我慢している。

 いや、少しだけならいいんじゃないか。

 きっと遥は起きないし、これは神様がくれたご褒美なんじゃないだろうか。

 神様が、えらいね雪季ちゃん、と、夜中にこうして目覚めさせてくれたのかもしれない。

 きっとそうだ。

 そうじゃなくたって、もう我慢は効かない。


 試しに、遥の頬をつんっと指で突いてみた。

 苦しそうに眉根を寄せて、すぐに無邪気な顔に戻る。

 ああ、やっぱりたまらない。

 雪季は興奮気味に目をパチクリさせると、もう一度つんっと頬を突いた。


 すぐにでも布団に潜り込んで、遥の腕の中に収まってしまいたい。

 きっと寝ぼけて、遥は抱きしめてくれる。

 そして朝には怒られる。

 遥は呆れたように、だけど優しく、こら、と怒る。

 恐くはないが、少し、申し訳ない気持ちになる。

 やっぱり、それはよくない。


 えらい、雪季。

 我慢した自分を自分で褒めてあげてから、雪季は遥の髪を触る。

 乱れた前髪を避けてあげると、まつ毛がぴくっと動いた。

 「んんっ……」と小さく、声が漏れた。


「遥」


 ……もう、どうしてしまおうか。

 愛しすぎておかしくなりそうだ。


 やはり少しだけなら、くっついてもバレないんじゃないか。

 バレなければ、それは罪ではない。

 むしろ、こんな顔で無防備に眠って自分を惑わす遥の方が、ずっと罪だ。

 そうだ。

 たしかにそのとおり。


 雪季はあっさり納得すると、両手で遥の頬を包んでみた。

 冷たくて柔らかな感触が手に伝わる。

 このまま顔を近づければ、唇が手に入る。

 昨日は思い切って頬にキスしてみた。

 怒られなかったけれど、さすがに遥は驚いていた。

 しかし眠っている時に、なんて、それは卑怯だ。

 卑怯だけれど、あの感覚が忘れられない。

 もう一度だけ、キスしたい。


 いや、ダメだ。

 それはダメ。

 雪季は必死に首を振り、誘惑に耐えた。

 待つと言ったばかりなのに、そんなのはよくない。

 せめて、頬に。

 いや、それもダメだ。


「……遥ぁ」


 そもそも、遥は自分のことをどう思っているのだろう。

 雪季は考える。

 悪しからず思われている自信はある。

 だって、みんな自分を可愛いと言ってくれる。

 遥だって、そう思ってくれているはずだ。

 自分の容姿に感謝したのは初めてだ。

 遥好みだといいな。

 どんなのが好みなのだろう。

 それが分かれば、髪型を変えたり、服装を変えたりできるのに。


 もし遥が自分を好きなら。

 そう仮定するだけで、雪季ははしゃいでしまう。

 嬉しくて嬉しくてたまらないが、今はそれどころではない。

 もし遥が好きでいてくれるなら、あとは恐怖症が治るのを待つだけだ。

 それまでは、今までよりもくっついたり、甘えたり、しないようにしよう。

 雪季はそう決意していた。

 決意を胸に、昨日は眠ったのだ。

 それが遥のため。

 そして自分のため。


「……うぅん」

「……?」

「……雪季」


 寝言。

 遥の寝言。

 今、遥は自分の名前を呼んだ。


 次の瞬間には、雪季はもう、遥の布団に潜り込んでいた。

 遥。

 遥。

 胸に顔をくっつけて、脚を絡ませる。

 腕を背中に回して、ぎゅっと抱きしめる。

 遥の匂いがして、酔ったような心地になる。


 無理だ。

 やはりできない。

 雪季はむしろ、今までよりもいっそう、遥に触れたくなる。


 いくらでも待つ。

 けれど、我慢はできない。

 したくない。

 遥が好きだ。

 くっついていたい。

 抱きしめていたい。

 抱きしめて欲しい。


 これは恋心への敗北だ。

 水尾雪季の敗北。

 しかし、栄誉ある敗北だ。


 きっと目が覚めれば、遥は驚くだろう。

 そしていつものように、こら、と怒るだろう。

 だが、それでいい。

 今はとにかく、こうしていたい。


 好きな人の熱と鼓動を感じながら、ただまどろんでいたいのだ。

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