040 家出・荒れてる・寂しいな


 家に帰っても、雪季の姿はなかった。


 靴もカバンもパジャマも、歯ブラシも見当たらない。

 一通り部屋の中を探し回ったあと、遥はベッドに座り込んで深い溜め息をついた。


 橙子を抱きしめているところを、雪季は確実に見ていた。

 そしておそらく、泣いていた。

 それが原因で、雪季は出て行ったのかもしれない。


 それにしても、どうして雪季はあそこにいたんだろうか。

 遥は首を振りながら考える。

 そういえば、以前雪季は言っていた。

 女の勘。

 ひょっとすると今回も、それが働いたのかもしれない。


「雪季……頼むよ……」


 時刻は夜の11時過ぎ。

 動いているとは言え、わざわざ電車を使ったとは考えにくい。

 雪季が駆け込める場所など、限られている。

 友達のところか、カラオケやネットカフェだ。

 パジャマがないということは、前者だろう。


 遥はスマホを取り出し、アプリから雪季にメッセージを送った。


『どこにいるんだ?』


 しばらく待ってみても、いっこうに既読マークはつかなかった。

 予想はしていたが、困ったことになった。

 遥はそのまま都波にもメッセージを送った。

 雪季が頼りそうな友達は、きっと彼女だろうから。


『雪季から何か連絡きてないか?』


 都波にしては珍しく、すぐに既読マークがついた。

 が、返事はない。

 訝しんで待っていると、突然スマホが震えだした。

 都波からの着信だ。


「もしもし?」

『お前、何した?』


 ぶっきらぼうにそう尋ねてきた都波の声は、不機嫌さを隠そうともしていなかった。


「な、何って……どういうことだよ?」

『さっきメッセージ来たぞ、雪季から。泊めてくれ、ってな』

「ホントか! それで、なんて?」

『理由を聞いても答えねえから、いいよ、って。もうすぐ着くと思う』

「そ、そうか……ひとまず良かった、無事で。ありがとな、都波」

『んなことはいいから、さっさと質問に答えろ。雪季に何した? 事と次第によっちゃあお前……』

「あ、ああ……まあ、その」


 遥はさっきの出来事を都波に話して聞かせた。

 電話の向こうの都波は相槌も打たず、黙ってそれを聞いていた。


「で、雪季にも連絡つかないから、都波に」

『……』


 都波は短い沈黙の後、ふぅっと吐息をついた。


『おっけー、状況はわかった』

「それで、今日はもう遅いから、泊めてやってくれないか? 悪いんだけどさ……」

『そのつもりで返事したからな。でもお前、勘違いすんなよ。アタシは雪季に頼まれたから承諾したんだ。お前に言われたからじゃねぇ』


 そう言った都波は、明らかに怒っていた。

 理由ははっきりとは分からないが、なんとなく後ろめたい気持ちで、遥は電話越しに頷いた。


「わかったよ……。とりあえず心配だから、雪季が着いたらメッセージくれ。あとは任せるよ」

『へいへい』


 気だるそうにそう言ってから、都波はまた少し黙った。

 まだ何か言いたそうな気配を感じて、遥は通話を切らずに待っていた。


『で、お前どうすんだよ』

「……どうするって?」

『その先輩ってやつと雪季、どっちか選ぶのか、どっちも選ばないのか。どうすんだ』


 遥は唸った。

 率直に遥の直面している問題を表現すれば、まさにそういうことだ。

 そしてその答えは、遥にはまだ見つかりそうにない。


 だが、どちらも選ばない、というのを当然のように選択肢に入れてくれているあたり、都波はやはり良いやつなんだろうと、遥はそう思った。


「……わからん」

『まあ、だろうな』

「どうすればいいのかなぁ、俺」

『知るか』

「だよなぁ」


 二人で同時に黙り込んでから、遥は「じゃ、よろしく」とだけ言って通話を切った。

 都波に任せておけば大丈夫だろう。

 それに雪季も、そうそう滅多なことはしないはずだ。

 落ち着いたら、きっと戻ってくる。


 遥は一つ深呼吸をしてから、夕食の準備をした。

 量の少な目のカップ麺にお湯を入れ、ぼーっと待つ。

 キッチンには、以前に雪季が買ってきたレシピ本が置かれていた。


(雪季、ちゃんと練習してたんだなぁ)


 ペラペラと本をめくると、綺麗な字で赤い書き込みがしてあった。

 オムライスのページの角が小さく折り曲げてあり、『遥に勝つ!』と書かれている。


「……無理だよ、まだまだ」


 パタンと本を閉じ、遥はカップ麺を食べた。シャワーを浴び、明日の支度をして、ベッドに入る。

 電気を消すと、部屋の中がますますしーんと静まり返ったように感じた。


 スマホを見ると、都波からメッセージが来ていた。


『雪季が来た。今日は泊める。めちゃくちゃ荒れてる』


 荒れてる。


 遥は雪季が叫んで暴れている姿を想像してみた。

 が、どうにもしっくりこない。

 それはちょっと、見てみたいな。

 呑気にそんなことを思いながら、遥はメッセージを返した。


『雪季をよろしく頼む』


 既読マークはすぐについたが、返事は来なかった。

 遥はスマホをテーブル脇のクッションに投げ、薄い掛け布団を被った。


「やっぱり、一人は寂しいな」


 仰向けのまま、天井に向かって声を吐き出してみる。

 当然返事はない。

 ここ一月ほどは、ずっと二人だった。

 もとに戻っただけ。

 そう思ってみても、やはり寂しさは募るばかりだった。


「……おやすみ」


 観念したように目を閉じて、呟く。


 遥は、雪季に会いたかった。

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