036 ピンチ・再開・この空気
ゴールデンウィーク明けの教室はクラスメイトたちの嘆きで溢れていた。
連休が終わり、中間テストが待ち受ける。
遥も例に漏れず、憂鬱な心持ちでどさっと席についた。
「おはよう、都波」
「うーす」
都波は向かいに座る雪季の頬を引っ張りながら答えた。
相変わらず二人は仲が良いらしい。
「いいなぁ、都波は余裕そうで」
「なにが?」
「テストだよ、テスト」
「あー」
「あー、ってお前……」
興味が無さそうに雪季にちょっかいをかけ続ける都波。
対する雪季は無表情で黙っていた。
「赤点取ったら焼肉な」
「え! それ本気だったのか!」
「当たり前だろーが。きっちり教わったんだから」
「そ、そんなぁ……」
遥は絶望感に肩をガクッと落とした。
たしかに先日の勉強会では、つきっきりだった絢音はもちろんだが、絢音の得意科目以外では都波にも教わった。
感謝もしているし、テスト範囲の理解も深まった。
が、赤点を逃れられる自信はまだない。
明らかにピンチだった。
「現代文は平気だろ。特にやばい英語と数学を中心にやれ。物理化学と日本史と公民は暗記しろ」
「か、簡単に言うなよ……」
「普段サボってるツケだろ。睡眠時間削れ」
「はぁ……そうするしかないのか」
「昨日は勉強したのか?」
「き、昨日……」
遥は思い出す。
昨日は日曜日で、朝は遅めに起きてのんびりしていた。
午後はバイトに勤しみ、夜は雪季と二人で気ままにゴロゴロした気がする。
「……しておりません」
「自業自得だな」
都波はあっさり言い捨てて、再び雪季に視線を戻してしまった。
だが、思えば雪季もテストはマズいはずだ。
なぜこの話の中で、こんなにも落ち着いているのだろうか。
まあ、雪季はもともとこんな感じではあるが。
まさか自分の知らないうちに、秘密の勉強会でもやっているのでは……。
「お、おはよ!」
「ん? ああ、絢音。おはよう」
「ちゃんと勉強してたの?」
「……聞かないでくれ」
「はぁ。もう、ホントに知らないわよ?」
「ま、まだ一週間ある……あるんだ……」
「あのレベルから一週間でどうにかなるとは思えないけど」
「あ、絢音ぇ……」
絢音はやれやれといった様子で首を振りながら、自分の席へと歩いて行ってしまった。
いざとなれば、また勉強を教えてくれないだろうか。
そんな甘い考えを打ち消し、遥はぼーっと勉強の予定を立てることにした。
◆ ◆ ◆
その日の昼休み、遥は早速勉強に取り掛かることにした。
家に帰ると怠けてしまうし、雪季の構って攻撃もある。
それにバイトの後はどうしても眠くなるものだ。
学校にいる間に少しずつ、暗記科目だけでも進めようと考えたのである。
食堂で買ってきたパンをかじりながら、日本史の教科書をじっくり読む。
正直授業もあまり聞いていなかったので、ほとんど初見のようなものだった。
「うーん、桓武天皇が長岡京……」
「遥」
「次がへ……ヘイジョウ天皇?」
「……遥」
「……なんだよ、雪季」
顔を上げると、ストローをくわえた雪季が前の席からこちらを見ていた。
手には紙パックのココアが握られている。
「今勉強してるんだぞ」
「ん、えらい」
「えらい、じゃなくて、何の用だよ?」
「ううん。見てるだけ」
「……」
「……」
「……見るなよ、気になるだろ」
「ん、気にしないで」
「気になるんだってば!」
「……遥」
「……なんだよ」
「……ヘイゼイ天皇」
「え、そう読むのか、これ?」
「……やれやれ」
「あ、こら! 感じ悪いぞ雪季! あっちいけ!」
得意げな顔で目を細めている雪季を、しっしっと手で追い払う。
そもそもなぜ、雪季が自分も知らない用語を知っているのか。
日本史は、雪季が特に苦手な科目だったはずなのに。
これは、ますます怪しい。
遥の言葉を受けても、雪季はいっこうに離れて行こうとはしなかった。
それどころか遥の机の横に回って、顔を覗き込んでくる。
視線が痛い。
「雪季、集中させてくれよ……」
「ん。どうぞ」
「どうぞって、お前なぁ……」
ふぅっと遥は大きく息を吐いた。
例のとある一件以来、雪季のこの構って攻撃は激しさを増していた。
昨日の夜も、またベッドに入ってこようとする雪季を追い出すので大変だったのだ。
思わず肩を竦めずにはいられない。
「おい、お前ら」
「ん?」
突然話しかけられ、遥は雪季と同時に声の方を振り返った。
渉が呆れ顔で立っている。
「なんだよ渉。何か用か?」
「いいや。ただ、ここが教室だってことはちゃんとわかってた方がいいんじゃないかと思ってな」
「えっ……あ!」
言われて、遥は慌てて辺りを見渡した。
それと同時に、さっきまでこちらを見ていたらしいクラスメイトたちが、一斉にサッと目をそらした。
みんな嫉妬と憎しみと羨望の混じったような、微妙な表情をしている。
しまった。
遥は恥ずかしさと気まずさに両手で顔を覆った。
休みが長かったせいで、学校での雪季との距離感をすっかり忘れていた。
これは、大失態だ。
ともすれば、雪季との同居を隠していたことさえ忘れそうになる。一度気持ちを切り替えなければ。
すっかり居心地の悪くなった教室で、遥は考える。
やはり、今ここにい続けるのは得策ではない。
遥は教科書とパンを持って立ち上がると、さっさと教室を後にした。
だが、当然のように後ろから、雪季がトコトコついてくる。
仕方ない、図書室にでもいけば、さすがの雪季もおとなしくしていることだろう。
二年生の教室がある二階から、図書室がある三階への階段を上る。
普段あまり来ない場所なので、少しだけ緊張する。
ところで、三年生と言えば。
「は、遥!」
「あ、橙子さん! こんにちは」
そう、橙子がいるのである。
階段を上がりきったところで、偶然にもブレザー姿の橙子に遭遇した。
バイトの制服もよく似合っているが、学生服を身にまとった橙子はそれ以上に美しかった。
「ど、どうした、こんなところで」
「ちょっと図書室へ。テスト勉強をしようかと」
「あぁ、そうか。それは感心……むっ!」
穏やかな笑顔だった橙子の表情が、突然強張った。
その視線は、遥の背後へと向けられている。
「……ん、こんにちは」
「き、貴様……!」
後ろから追いついてきた雪季と、鋭く目を細めた橙子が正面から向かい合った。
「……なんだ、この空気?」
遥はただ、呑気に疑問符を浮かべるだけだった。
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