033 理由・堪能・今のなし

 ぱち、っと目を開けると、至近距離に雪季の顔があった。


「おわぁぁっ!! な、なんだよ!!」


 思わず上体を仰け反らせながら、遥は叫んだ。


 眠気が一気に吹き飛び、状況を理解しようと頭が無理やり回転を始める。

 だが、すぐにわかった。

 今は朝で、ここは自分のベッドの上だ。


「おはよう、遥」


 布団をかぶりながら、得意げな表情で雪季が言った。


「おはよう、じゃない! なんでここにいるんだ!」


 昨日は間違いなく、別々で寝たはずだ。

 不覚にも雪季を抱きしめたりしてしまったが、あの後駄々をこねる雪季をきちんと引き剥がして、それぞれのベッドに入った。

 なのになぜ、今目の前に雪季がいるのか。


「ん、潜入」

「潜入するな! この前、今日だけって言ってただろ!」

「…………言ってない」

「言ってた! ちゃんと覚えてるんだからな!」

「言ってないー」


 身体をふりふりと揺すりながら、雪季はこちらに腕を伸ばしてきた。

 そのまま脇に腕を回され、抱きしめられてしまう。

 やれやれ、結局いつもこうだ。

 遥には抵抗する元気もなくなっていた。


「ぎゅー」

「雪季……苦しい」

「はるかー」

「やめろったら……」


(なんだか今日は、いつもより余計に甘えたになってる気がするなぁ……)


 胸に頬ずりしてくる雪季の髪を眺めながら、しかし遥はどこか居心地の良さを感じていた。


 雪季は、待ってくれると言った。

 恋愛が怖い自分の気持ちを理解して、それでも良いと言ってくれた。

 きっと、それまでは雪季の気持ちが重荷だったんだろう。

 答えられない好意を向けられるのはつらい。

 けれど今、遥には雪季の愛情が、少しだけ嬉しくなっていたのである。


「遥の寝顔、可愛かった」

「なっ……まさかずっと見てたのか……」

「ん、堪能した」

「堪能するなよ! 恥ずかしいだろ!」

「かわいーい」

「だぁーっ! うるさいうるさい!」


 顔が真っ赤になるのを自覚して、遥は頭をぶんぶん振った。

 気分は軽くなったとは言え、相変わらず雪季は可憐すぎる。

 加えていつも以上にベタベタされ、遥は胸の高鳴りを隠せずにいた。

 特に今日は、俗に言う「好き好きオーラ」のようなものが半端ではない。

 雪季のことを好きではなくたって、男なら誰だってドキドキしてしまうだろう。


「ほ、ほら! 朝メシ食べるぞ」

「ん、もう少し」

「ダメだって! こら! はーなーれーろー!」

「んーーー」


 わぁーわぁーと騒ぎながら、遥はなんとか雪季を引き剥がした。

 さっさとベッドから立ち上がり、キッチンへ逃げる。


「トースト焼くから、そっちで待ってな」

「……ん、わかった。ありがと」


 名残惜しそうにドアの向こうに消える雪季を見送りながら、遥はホッと肩を撫で下ろした。

 胸に手を当てて、鼓動がおさまるのを待つ。


 まったく、心臓に悪い。

 遥は雪季の匂いと柔らかさを記憶から消し去りながら、ゆっくり溜め息をついた。

 明らかに、昨日までより雪季のアプローチが激しくなっている。

 ひょっとすると、昨日の一件で雪季のタガがはずれているのかもしれない。

 そうだとすれば、非常にまずい。

 ただでさえ、雪季は愛情表現が直球すぎるのに。


 オーブンの中で焦げ目をつける食パンを眺めながら、遥はスマホで時間を確認した。

 朝の9時半。

 今日は午後からバイトなので、昼までは昨日の復習をしよう。

 さすがの雪季も勉強の邪魔はしてこないだろうし、自分も勉強しなければいけないはずだ。


 だが、そんなことを考えてからリビングに戻った遥は、腕を広げて待っていた雪季にすぐに捕まってしまった。


「遥、ぎゅー」

「あー、分かった分かった。皿持ってるんだから、危ないだろ」

「はるかー」

「こら雪季。とりあえず座れって」

「やーだー」

「ゆーきー!」


 さっきから何をやってるんだ、自分たちは。


 遥は心底呆れながら、なんとか雪季を座らせた。

 二人で向かい合ってトーストを食べながら、のんびりテレビを見る。

 お互いのトーストが無くなったことを確認してから、遥は意を決して雪季に話しかけた。


「雪季、前々からちゃんと言わなきゃダメだと思ってたんだけどな」

「……ん、なに?」


 キョトンと小首を傾げる雪季。

 言うまでもなく可愛い。

 が、今はその気持ちを頭から追い出す。


「冗談抜きに、やっぱりくっつくのは禁止だ」

「やだ」


 間髪入れずに否定される。

 予想通りと言えばそうだが、これくらいで引き下がっていては意味がない。

 今日こそきちんと、けじめをつけておかなければ。


「あのな、付き合ってもない男女が一緒に住んでるのですらアレなのに、くっついたりするのはおかしいだろ?」

「……おかしくない」

「おかしいの! そこは否定するなよ!」

「ん。……じゃあ付き合お?」

「付き合わない!」

「なんで」

「……昨日話しただろ? 恋愛が怖いんだってば、俺は」

「……それが理由?」

「えっ? ……あ、ああ、そうだよ。だから待つって言ってくれただろ?」


 呆れ調子で遥が言うと、なぜか雪季は驚いたように目を見開いた。

 それからすぐに顔を赤くし、薄っすらと笑みを浮かべる。


 一体どうしたんだ、雪季のやつは。


「……じゃあ、怖いのが治ったら?」

「……え」

「……」

「……あっ」


 机に身を乗り出し、雪季はグイッと遥の顔を覗き込んできた。

 目をぱちっと大きく開き、遥の瞳を黙って見つめる。


 遥は一気に顔が赤くなるのを感じた。

 不覚だ。この質問は。


「……い、今のなし」

「だめ」

「なし!」

「だめ!」

「あーー、勉強! 勉強しよっと!」

「だーめー!!」


 ガタガタと机を揺らしながら、遥と雪季はわーわーと喚いた。


「遥、私のこと好き?」

「好きじゃない!」

「嘘!」

「嘘じゃない! さっきのは言葉の綾だ!」

「ずるいー!」

「ずるくない!」

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