031 ずるい・勉強・まずかった


「っしゃ、やるか!」

「おー!」

「おーっ!」

「おー」

「ちょっと、お店なんだから静かにしてよ」


 望月絢音は騒ぐ四人の同級生を宥めながら、六人がけのテーブルに勉強道具を広げた。


 予定通り、遥と雪季のための勉強会が金曜日に開催された。

 メンバーはあの日焼肉屋で決まった四人に加え、同じく部活のなかった渉と、その彼女、合わせて六人だ。

 なかなかの大所帯である。


 各々飲み物を注文し、続いてノートと教材を出したところで、みんなの視線が一人の少女に集まった。


「るり、自己紹介」

「あ、はい! どうも、椎葉しいばるりです! 渉くんの彼女です! よろしくね!」


 渉に促され、天真爛漫、というイメージがぴったりな椎葉るりが、主に都波と雪季に向けて自己紹介した。

 遥と絢音はるりとは面識があるが、都波と雪季は話すのは初めてなはずだった。


「俺たちまで参加させてもらって悪いな。まあ俺とるりは勝手にやっとくから、気にしないでくれ」

「渉は超賢いから、なんでも聞いてね! 私にはなにも聞かないでくださーい!」


 るりはあははと笑いながら、隣の渉に向かって小さく拍手した。


 るりの言う通り、渉も優秀な成績の持ち主だ。

 特に理系科目が強い。

 絢音、渉、都波。この三人が揃っているというのは、確かに教わる側の三人にとってはかなり恵まれた状況だと言える。


「ん、雪季。よろしく」

「おー! あなたがあの噂の転入生、水尾雪季ちゃんね! 評判通り、超可愛いねぇ!」

「ん、るりも可愛い」

「うおぅぅー! ありがとう雪季ちゃん! 感激だー!」


 相変わらず騒がしい。

 絢音は肩を竦めながらも、そんなるりのことを少し羨ましく思った。

 自分もこんな風に裏表なく、ストレートに感情表現ができればいいのに。

 そうすれば、こんな窮地に陥ることもなかったかもしれない。


「んでんで? そちらは都波愛佳さんだね?」

「うっす」

「うっす! よろしく!」

「へーい」


 こちらは随分とあっさりとしたもので、二人の会話はそれっきりだった。

 実に都波らしい。


 やがて飲み物が揃い、六人はわりとまじめに勉強に取り掛かった。

 絢音の向かいに座る遥は、どうやら英語を重点的にやるらしい。

 教科書のテスト範囲のページを広げ、英文を読み直している。


 眉間にしわを寄せる遥の顔を、バレないように見つめてみた。

 やはり、特段美形というわけではない。

 なのにこうも鼓動が高鳴るのが、自分が遥に恋をしているということの何よりの証拠だった。

 今更その事実を疑うわけではもちろんないけれど。


 あの日、焼肉屋で遥たちと出会った日、テニス部の二年生たちと一緒に肉を焼いていた絢音に、メッセージが届いた。


『都波さん:遥と雪季発見。28番テーブル』


 以前の部活中での一件もそうだったが、都波はなぜか、自分の恋路を応援してくれているようだった。

 その後も都波からのメッセージは続き


『都波さん:いいのか? このままじゃ雪季に差をつけられる一方だぞ』

『都波さん:もうすぐラストオーダー。来るなら早く来い』

『都波さん:さっさと来てなんか誘えや。部活休みの日あんだろーが』


 という流れで、今に至るのである。

 それに都波は、遥を勉強会に誘う直前に怖気付いた絢音の足を、テーブルの下で蹴ったりもしてきた。

 かなり痛かったが、今となっては感謝している。

 都波の援助に報いるため、そして何より自分のため、なんとしても雪季よりも優位に立たなければ。


「絢音ー」

「……えっ? なに!」

「……ここがわからないんですが」


 遥は気まずそうな様子で、英語の教科書の練習問題を絢音の方に向けて見せてきた。

 ページを確認すると、どうやら品詞の問題らしい。


「……遥、あんた」

「は、はい」

「まさかこんな基本的な問題も……」

「ひ、ひぃぃぃ」


 両手で顔を覆いながら仰け反る遥。

 いつのまにここまでできなくなっていたのか。

 絢音は思わず眉根を寄せた。


「……to不定詞でしょ、これ」

「とぅ、とぅーふていし……」


 だめだこりゃ。

 絢音はガクッと肩を落とした。

 分からないところがあれば都度解説する、というスタイルを取ろうと思っていたが、これは付きっ切りで教えなければ話にならない。


「雪季、ちょっと席代わって。私、遥の隣行くわ」


 テーブルが大きいので、向かいよりも隣の方が教えるのには向いている。

 席を移動するため、絢音は荷物を持って立ち上がった。


「……やだ」

「やだじゃないでしょ。教えるためなんだから」

「ん、ずるい」

「ずるくないわよ」

「ずるいー」


 雪季はそう言いながらも、しぶしぶという様子で席を移動した。

 それを機に、渉とるり、都波と雪季という組み合わせで勉強を見ることになり、席の調整が行われた。


「よろしくお願いします……」

「基礎からいくから、一つずつ確実に理解してね」

「……はい」


 それからは、また各々で自由に勉強を進めた。

 どうやら遥は途中で基本がごちゃごちゃになっているらしく、そこを探り出すのにそこそこの時間を要した。


「じゃ、これは?」

「……③?」

「どうして?」

「……なんとなく」

「はい、ダメ。なんとなくなんて言ってる間は成長しないの」

「はい……」

「ここもう一回読んで。ちゃんと解説してあるから」

「はい」


 頭を掻きながら、辛そうに教科書を見つめる遥。

 思わず頭を撫でたくなる衝動を抑え、絢音はジッと待った。


「……読みました」

「はい。じゃあこの問題は?」

「……①」

「理由は?」

「……関係代名詞のwhatだから?」

「あら、正解。よくできました」

「お、おぉ……! やった!」

「えらいじゃない。もう次から間違えないでしょ?」

「ま、まぁ多分」


 いぇーい、と小さく拳を作る遥。

 そのままハイタッチを求められ、絢音は動揺しながらもそれに応じた。

 パチっと静かな音が鳴る。

 遥の手に触れたのなんて何年振りだろうか。

 手に残る遥の体温を、絢音は切ない気持ちで握りしめた。


 もしも遥と付き合ったら、きっと毎日こんな感じなのだろうなと思った。

 それは想像する限りすごく幸せそうだった。


 二時間ほど勉強が続き、六人には少し疲れの色が見え始めていた。

 渉の提案で休憩を取ることになり、絢音たちはそれぞれケーキなどを注文した。


「うーん、めちゃくちゃ勉強した気分だ」

「渉くん、私はもう限界だよ……」

「予定では6時までだから、まだまだだぞ」

「ろ、6時……あと4時間……」

「……ん、過酷」

「おめーら根性ねぇな」


 みんなでデザートを食べながら、雑談を楽しむ。

 学校のこと、遥と雪季のこと、渉とるりのことなどが話題だった。


「じゃあ、ホントに雪季ちゃんは好きなんだねー、月島くんのこと」

「ん、好き」

「お、おい雪季……」

「いーねぇいーねぇ、青春だ」


 会話の中心はるりだった。

 このメンバーの中では一番お喋りで、興味の対象も多いからだろう。


「でも雪季ちゃんは大変だねぇ。恋愛恐怖症の月島くんを攻略しなきゃいけないわけだし」

「あっ……」

「お、おいるり!」


 突然、六人の間に沈黙が降りた。

 絢音も思わず口に手を当てる。

 渉は首を左右に振り、遥は下を向いていた。


「あ、あっれ~……これ、言っちゃまずかった……?」


 この場で遥の恋愛恐怖症を知らないのは、雪季だけだ。

 絢音、都波、渉の視線は自然と、ポカンと首を傾げている雪季の方に集まった。


「……恋愛恐怖症?」

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