016 色目・ライバル・モテ男


「意味わかんないわ! なんなのよあの子!」


 思いのほか強くコップを置いてしまい、大きな音がした。

 食堂の喧騒の中ではその音も周りには聞こえないが、目の前の渉は別だ。


「荒れてるなぁ、望月」

「そりゃあ荒れるわよ! 転入してきていきなり遥に色目使っちゃって……ふん!」

「色目って……また古風な」


 渉はやれやれと言うふうに首を振る。


 絢音の誘いを、渉は事情も聞かずに承諾してくれた。

 彼女に断りも入れたようで、今は絢音と一緒に食堂で昼食を摂っている。


 さすがの察しの良さ。

 モテる男は違う。


(それに比べて、あのバカ遥は……)


 絢音は苛立ちと焦りで深いため息をついた。


「そもそも、まだ遥のこと何も知らないくせに好きなんて、説得力無いのよ!」

「まあまあ」


 渉の苦笑いにも、絢音は鼻息を荒くするだけだった。


「でも、いい子だぞ、水尾さん。俺もちょっと仲良くなったけど、意外と感情表現豊かだし」

「そ、そりゃあべつに、悪い子だなんて言ってないわよ。でも……」

「まあ、超美少女だからなぁ」


 渉は愉快そうなニヤケ顔で、ゆっくりと水を飲んだ。


「ついに尻に火が付いたんじゃないか、幼馴染様も」


 意地悪な渉の言葉に、絢音は唸って俯いた。

 覚悟していたセリフだとは言え、実際に言われると酷く気が重い。


「今までとは違って強力なライバルが出てきたわけだし、ちゃんと行動しないと横取りされるぞ?」

「う、うん……」


 絢音の遥への気持ちは、すでに渉にも話してあった。

 いや正確には、勘付いた渉に問い詰められて、少し前に白状したのである。

 今ではたまにアプローチに協力してもらう関係になっていた。


 絢音から見た遥は、基本的にモテない。

 だが、この「基本的に」という部分が曲者だった。

 絢音の知る限りにおいても、遥のことを好きだという女子は今までもたしかに存在した。

 遥は決して容姿が整っているわけではない。

 ごくごく普通の、あまり目立たない男だ。

 しかし、昔から他人に優しく思いやりがあって、包容力もある。

 だから遥と仲良くなった女子は、時折遥のことを好きになってしまう。

 そして何を隠そう、絢音もその一人だった。


「あいつには恋愛恐怖症もあるからなぁ。これまではなんとか耐えてたが、今度こそマズいんじゃないのか?」

「……マズいのよ、本当に」

「告白すりゃあいいのに」

「無理言わないでよ!」

「無理なもんか。現に、水尾さんはしたんだ」

「それは……! 年季が違うもの……。私の想いは10年ものなんだから」

「だったら尚更、もっと必死にならなくていいのか?」

「……分かってるわよ!」


 思わず、またため息が出た。


 本当は気づいている。

 自分はこうやって言い訳を並べて、遥に拒絶される恐怖から逃げているだけの臆病者だと。

 今まではそれでも良かった。

 幼馴染というポジションに居座って、ある程度遥の『特別』でいられた。

 だが、水尾雪季が現れてしまった。

 絢音も変わらなければならない。


「まあ、俺が口を挟む問題じゃないってのは分かってるよ。ただ俺としては、あいつの彼女になる女の子は、やっぱりいい子じゃなきゃ嫌だ。だから、望月のことは応援してる。頼むぞ、幼馴染」


 渉は爽やかに、それでいてゆっくりとそう言った。

 やはり、モテる男は言うことも違う。

 絢音は感謝と感心の入り混じった思いで頷いた。


「ところで遥のやつ、なんか今日元気ないんだ。望月、何か知ってるか?」

「えっ。そうなの?」

「ああ。顔色悪いし、口数も少ない」


 少し考えを巡らせて、絢音は昨日の出来事に思い至った。

 まさか。


「どうしよ……私が原因かも……」

「どういうことだ?」

「昨日、帰りに大雨降ったでしょ? 部活中止になってたまたま遥と一緒に帰ったんだけど……」

「それで?」

「私、傘忘れちゃって……それで、遥が貸してくれたのよ。あいつ、雨の中走ってバイト行っちゃって……」

「……なるほど」


 ひょっとすると、いや十中八九、遥は風邪を引いたのだ。

 バカは風邪を引かない、なんてことは全くなかった。


「まあ幸い金曜日だし、土日で治ればいいけどな」

「どうしよ……ホントにどうしよう……」

「べつに望月のせいってわけじゃないだろ。気持ちはわかるけど、あいつが自分からやったことなんだし」

「そ、そうだけど……」


 絢音は罪悪感で胸が締め付けられていた。

 渉の言うことももっともだが、自分さえいなければ、という思いがどうしても消せない。

 なにか償いがしたかった。


「遥、一人暮らしだし……。体調崩した時に一人って、すごく辛いと思う……」

「え? あー、まあ、うん、そうだな……」

「……どうしたの?」

「い、いやぁ……べつに」


 なぜか渉の様子がおかしいが、今はそれどころではなかった。

 何か自分に、できることはないだろうか。

 絢音は考える。


「……明日、看病しに行こうかしら」

「えっ!」

「だって! 一人じゃ心配よ……誰か側にいればちょっとは安心でしょ?」

「で、でも望月! 部活は? 部活あるだろ!」

「一日くらい、なんとか言って休むわよ」

「い、いやぁ……家行くのはやめた方が……」

「……どうしてよ」

「いやまぁ…その、ほら! 高校生の男女が二人っきりっていうのは……やっぱり」


 珍しく歯切れが悪い渉に、絢音は訝しんだ目を向けた。

 とはいえ、たしかに渉の言うことも一理ある。

 それに、遥と二人で一つ屋根の下、というシチュエーション自体、絢音自身も耐えられる自信はなかった。


「……分かったわよ。家に行くのはやめるわ」


 絢音が言うと、渉は自分の胸に手を当てて肩を撫で下ろしているように見えた。

 なにか怪しい。

 だが、渉は普段から秘密が多い人間だった。

 追及しても無駄だろう。


「でも、ホントに心配だわ……」

「ただの風邪なら、寝てれば治るさ。あいつも、寝込んだ時のことくらい考えてるだろ」

「……だといいけど」


 渉にはああ言ったが、本当に看病に行かなくても大丈夫だろうか。

 絢音は悩んでいた。

 それに、行動しろ、と言ったのは渉だ。

 打算的だが、雪季に差をつけるチャンスでもある。

 そうだ、看病とまでは行かずとも、何か食料を差し入れしよう。

 うん、それがいい。


 そんなことを思いながら、絢音はコップに残った水を一気に飲み干した。

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