014 おバカ・台風・雨宿り



「まあ、かえって良かったんじゃないか。説明する手間も省けたし」


 学食のテーブルで、パンを手に持った渉が言った。


 結局、遥と雪季の関係はクラス中の知るところとなった。

 もちろん、一緒に住んでいるというところだけは隠して。


「だなー。面倒な駆け引きする必要もなくなったし、結果オーライだろ」


 イチゴミルクのストローを咥えながら、都波が言う。


 正直、遥も肩の荷が下りたような心地がしていた。

 クラスメイト達も遥を恨むというよりは、おもしろい事件に騒げて楽しい、というだけに見えた。


 遥たちは食堂で昼食を摂っていた。

 隣には雪季、向かいに都波と渉。

 この一件でお馴染みになってきた四人だった。


「今回は森野先生に助けられたな。まあ、偶然だろうけど」

「あの人ヤバイって……。一歩間違えれば大問題だぞ」

「まあ、ああいうところが人気の理由とも言えるけどな」


 たしかにそうかもしれない。

 遥は深く頷いた。

 それに森野先生からは、なんとなくだが思いやりを感じる。

 他の先生に同じことをされていたら、遥は怒っていたかもしれない。


「何はともあれ、これで普通に生活ができるよ」

「同居してることは隠しとくのかよ?」

「当たり前だろ!」

「言っちまってもおんなじだろー、もはや」

「家が近いってことにするよ。それ以上は無理だ」


 さすがに、同居のことまでバレたら色々とマズいに決まっている。

 今はまだ笑い話のような扱いで済んでいても、同居が知れればさまざまな憶測が飛び交うに違いない。

 これは遥自身と、それから雪季のためにも、譲れないラインだった。


「それにしても雪季、お前なかなかやるなぁ。もっとアホかと思ってたぜ」


 都波が邪悪な笑みを浮かべて言った。

 当の雪季も、なぜか得意げに頷いている。


「どういうことだよ?」

「バカなお前には分からねぇだろうが、あの公開告白で、雪季は敵を牽制したんだよ。遥は自分が狙ってるから手を出すな、ってな」

「んん? なんだよ敵って」


 遥には本当になんのことかさっぱりだった。

 恋愛経験もなければ鋭くもない遥の、これが限界だった。


「説明すんのもめんどくせー。自分で考えろ」

「えぇ……。なんだよ、気になるだろ」

「ん。遥はおバカ」


 不本意なおバカ認定を受けて、遥は憤慨した。

 が、考えてみれば、今までもこんなことは少なくなかった気がする。

 あまり気にしないことにして、遥は手元の親子丼を口に運んだ。



   ◆ ◆ ◆



 放課後、遥は昇降口で絢音と出くわした。


「あれ、絢音じゃん」

「えっ? は、遥!」


 絢音は不自然に後ずさると、なぜか顔をそらした。


「絢音も帰りか? 部活は?」

「……今日は休みよ」


 ああ、と遥は心の中で頷いた。

 そういえば、都波がそう言っていた。

 絢音は都波と同じくテニス部に所属している。

 それほど仲良くはないようで、教室で一緒にいることは滅多にないけれど。


「台風来てるでしょ、今。それでよ」

「あぁそっか。サッカー部はあるらしいけど」

「あそこの顧問、厳しいから」

「うん。渉が嘆いてたよ」


 そんな会話をしながら、自然と二人で昇降口を出る。


 ちなみに、今日は雪季とは別々に下校だ。

 授業が終わるなり、都波に連れられてどこかへ行ってしまった。

 どうやら都波は、雪季のことをなかなか気に入っているらしかった。

 無事に友達ができてよかった。

 それに都波なら安心だ。

 なんだかんだ言って、都波は面倒見がいいのである。


「一緒に帰るか、久しぶりに」

「……べ、べつにいいけど」


 あまり良くなさそうな絢音の反応も、遥は特に気にならなかった。

 絢音は自分に当たりがキツいことがよくあるが、嘘はつかない。

 絢音がいいといえば、それはもういいのだ。

 昔からそうだった。


「でも、すぐ道別れるでしょ」

「ううん。今日バイトだから、けっこう一緒だよ」

「……ふぅん。そう」


 校門を出て、一緒に同じ方向へ歩いた。

 他にも中止になった部活があるらしく、普段よりも帰宅する生徒が多かった。


「……あ! そう言えば遥、あんたなんなのよあれ! 水尾さんの!」

「うわ、そうだった……。あんまり深く聞かないでくれ。教室で話した通りだよ……」


 差し当たり、雪季と親密になった経緯は、先週末の休日に学校外で知り合ったということにしてあった。

 絢音にも同居のことを話そうとは思わなかった。

 なぜか、絢音はものすごく怒るような気がしていたからだ。


「違うわよ! 知り合ったきっかけはわかった。私が気になってるのは、あの……」

「ん?」

「……水尾さんが、あんたのこと好きっていう、あれよ! なにあれ!」

「うっ……それは、その……なんていうか……」

「どうせなんか汚い手でも使ったんでしょ! でなきゃあんな可愛い子が、あんたのこと好きになるはずないわ! それもこんな短い間に!」

「き、汚い手ってなんだよ! だいいち絢音だって、俺の恋愛恐怖症は知ってるだろ!」

「どうだか! 水尾さんが可愛くて、そんなの忘れちゃったんじゃないの!」

「んなわけないだろ……。なんで好きになられたのか俺にも分かんないんだよ……。困ってるんだからな、俺も」

「……ふぅん」


 絢音はジト目で遥を睨みながらも、怒気を和らげてくれた。


「……まぁでも、付き合ったりしないんでしょ? どうせ」

「ああ。そもそも、付き合って欲しいとも言われてないし」

「なによ、それ」

「ホントのことなんだから仕方ないだろ」


 絢音は訝しげだった。

 顎に手を当てて首を傾げている。


「とにかく、雪季とはただの友達だよ」

「……まあいいわ、今は信じてあげる」

「ずっと信じててくれよ……」


 遥はため息をついて肩をすくめた。

 だが、絢音に直接弁明できたのは幸運だった。

 できることなら、親しい相手にはちゃんと事情を話しておきたい。

 もちろん、同居していることは言わないけれど。


 その時、遥の頬にポツッと水滴がぶつかった。

 それを皮切りに、一気に激しい雨が降り始める。

 二人は屋根のある建物に急いで駆け込み、タオルで濡れた服と髪をサッと拭いた。


「急にきたなぁ、雨」

「部活なくてよかったわ、ホント」

「折りたたみ傘じゃ心許ないなぁ」

「仕方ないでしょ。……あれ?」

「どうした?」


 見ると、カバンの中を探っていた絢音の顔が硬直していた。

 一体、なにがあったのか。


「……無い」

「無いって、傘か?」

「ええ……。入れるの忘れたのかも……」


 いつも用意のいい絢音には珍しい。

 つまり、今あるのは遥の折りたたみ傘一本だけだった。

 ううんと唸って、遥は腕を組んで考える。


「いいわ。先に帰って。私はここで、雨が弱まるまで待ってみる」

「バカ、台風来てるんだから、多分しばらくこのままだろ」

「じゃあどうするのよ」


 二人はしばらく黙り込んだ。

 こういう場合、残された方法はそう多くはない。


「……二人で入るか」

「い、嫌よ! 恥ずかしい!」

「……そう言うと思ったよ」

「……もういいわよ。あんたはバイトあるんでしょ。遅れちゃダメなんだし、先に行って」

「そう言われてもなぁ」


 遥はまた考える。

 幼馴染だと言っても、絢音は女の子だ。

 女の子を残して、一人で傘を差して帰るなんて、できるわけがなかった。


 よし、と一つ頷くと、遥は言った。


「傘、貸すよ。俺はバイト先まで走るからさ」

「え、や、やめてよ! あんたが濡れ放題じゃない!」

「どうせバイトの時は着替えるし、帰りは向こうで傘借りるからさ。それに、絢音の家の方が遠いだろ?」

「でも、あんたが風邪でも引いたら……」

「へーきへーき、バカは風邪引かないの。じゃ!」


 反論される前に、傘を置いて遥は屋根の下を飛び出した。

 タオルを頭から被り、身体でカバンを隠す。

 バイト先までは走って10分ほど。

 これならなんとかなるだろう。


 後ろで絢音が叫ぶのが聞こえたが、気にせず走り続ける。

 そう言えば、雪季は大丈夫だろうか。

 傘、持ってればいいけど。

 そんなことを思いながら、遥は跳ねる雨水の中を全力で駆けていった。

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