013 油断・裁判・怒ってる?
次の日の一時間目は英語だった。
予想に反してクラスメイト達から昨日の詮索を受けなかった遥は、すっかり油断していた。
担任兼英語教師、森野先生が教卓に着く。
その姿をぼんやりと眺めていた遥は、森野先生が黒板を強く叩く音で、ビクッと肩を震わせた。
(なんだ? 一体どうしたんだ?)
「えー、授業の前にひとつ、大事な話があります」
森野先生が険しい表情で教室を見渡した。
いつも適当で、厳格とは程遠い性格の彼女には珍しい。
クラスの生徒達は遥も含め、緊張の面持ちで森野先生を見つめた。
「なにやら昨日から、おかしなうわさがこのクラスに流れているようね」
物々しい雰囲気だ。
しかし、うわさとはなんのことだろう。
遥は考える。
心当たりが何もない。
たまたま自分の耳に入って来ていないのか。
都波や渉は知っているのだろうか。
「私はうわさが嫌いなの。本当か嘘かわからない話に振り回されるなんて馬鹿らしいじゃない。だから、さっさと白黒はっきりつけたいのよね。みんなもそう思うでしょ?」
どうやら、クラスの多くの生徒は合点がいっているらしかった。
うんうんと頷く者、おーっと拍手する者、なぜか遥の方をチラチラ見ている者。
当の遥はなんのことかさっぱり分からない。
ただ話が進むのをぼけっと待っているだけだった。
「じゃ、手っ取り早く本人に説明してもらいましょうか。ねぇ、月島、水尾」
「……えっ?」
全員の視線がバッと遥と雪季に集まった。
完全に我関せずという心持ちだった遥は、戸惑いながら周囲を見渡した。
雪季だけはなぜかやたらと落ち着いている。
「あんたたちには昨日から、『なぜか付き合ってる説』が浮上してるわ! 別にそれは構わないけど、そうならそうと、違うなら違うと、ちゃんと宣言しなさい! 正直、気になって仕方ないわ!」
森野先生がチョークでビシッと遥達を指すと、教室中が堰を切ったように盛り上がった。
「そうだそうだ! どうなんだよ月島ァ!」
「私見たよ! 昨日あの二人、一緒に帰ってたもん!」
「転入して来てからまともに話してなかったクセに! どういうことだ!」
「抜け駆けしやがったのか月島ァ!」
次々と飛び交う野次に、遥は困惑を隠せなかった。
なぜこんなことになっているんだ。
クラスメイトたちはともかく、森野先生という人間を舐めていたのかもしれない。
この人は普通じゃない。
「と、都波! どうすればいいんだ!?」
「諦めて白状するしかねぇだろ。やべぇな、森野のやつ」
さすがの都波も苦笑いしていた。
やはり、観念するしかないらしい。
「とりあえず月島、水尾、二人とも前に来なさい」
「えぇ……」
「ん。行こ」
雪季は相変わらず落ち着いていた。
対して遥はもう目が回りそうになっている。
まさかこんな展開になるなんて。
黒板の前から、渉と目が合った。
明らかに笑うのを我慢している顔だ。
都波を見ると、同じような顔をしていた。
薄情なやつらだ。遥は心の中で泣いた。
「結論から話しなさい。あんたたち、付き合ってるわけ?」
「……あの、これは一体」
「質問に答えなさい」
有無を言わさぬ森野先生の厳しい視線。
お手上げだった。
「……付き合っていません」
遥の答えに、クラスメイトたちはさまざまな叫び声を上げた。
「助かったぁぁぁあ!!」
「なんだ、つまんね」
「でも、じゃあなんで仲良いの?」
「はい静かにー! 質疑応答は後!」
森野先生が生徒たちを鎮め、再び遥たちに向き直った。
「じゃあ、ただの友達ってこと?」
「……はい」
「いいえ」
遥の答えの直後、雪季がそんなことを言った。
遥は驚きを隠せない。
一体何を言いだすんだ、この人は。
「水尾、どういうこと?」
「ゆ、雪季!? 落ち着け! 何も言うな!」
「こら月島! 尋問の邪魔しない!」
雪季の表情は謎の決意に満ちていた。
遥は直感する。
これはマズい。
確実に、マズい。
「やめろ雪季!」
「……遥、好き」
雪季の言葉に、クラス中が大騒ぎになった。
悲鳴や叫びがあちこちから飛び交う。
「えぇぇぇえええ!?」
「終わった……」
「きゃーーー!!」
「なんで!? なんでなんで!?」
「公開告白じゃん! 水尾さんやるぅ!」
「うるさいうるさい! 他のクラス授業中なんだからねー!」
森野先生の制止も、今回ばかりは効果が無かった。
しかも、渉と都波も一緒になって騒いでいる。
あの裏切り者どもめ。
遥は恨めしい気持ちで教壇にしゃがみ込んだ。
「遥」
興奮冷めやらぬ喧騒に隠れて、雪季が声をかけてきた。
雪季に後悔した様子は全くなく、むしろ満足げだった。
顔が少しだけ赤い気もする。
「……怒ってる?」
「……ちょっとな。でも、いいよ、もう」
「……ありがとう」
それっきり、雪季は何も言わなかった。
クラスの騒ぎが収まるまで、遥と雪季は黒板の前で、のんびりしゃがんで待っていることにした。
なるようになるだろう。
もはや、そう思うしか道はなかった。
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