010 告白・ベタベタ・妥協案


 帰り道。

 雪季と並んで夜道を歩きながら、遥はぼんやりと物思いに耽っていた。


『そういうわけだから、もう諦めろよ、遥』

『そーそ。自業自得だ。水尾が協力しない以上、騙すのなんて絶対無理だよ』

『ん、無理』


 そんな結論に至り、集会はお開きとなってしまったのである。

 結局二人の協力はもちろん、雪季の理解も得ることはできなかった。

 それどころか、雪季は自分のことを……。


(なんでこんなことになったんだ……?)


 遥は強い目眩に見舞われた。

 ふらついた遥の身体を、となりにいた雪季が支えてくれる。

 心配そうな目で顔を覗き込んでくる雪季。

 原因はお前だよ、と遥は心の中で毒づいた。


「……雪季」

「ん、なに?」

「本当に俺のこと、その……好きなのか?」

「……ん」

「そ、そうか……」


 分かってはいたけれど、なにかの間違いというわけではなかった。


「……なんでなんだ? まだ会ったばかりなのに……」

「……ん。いろいろ」


 いろいろ。


 ダメだ、これは教えてくれそうにない。

 まあ実際、人が人を好きになる理由なんて、そう単純じゃないんだろう。

 いろいろ、というのは案外、本当なのかもしれない。


 具体的な理由が気にならないといえば嘘になる。

 しかし、それを知ったところでもはや意味もない。

 雪季は自分を好きになってしまった。

 今はそれが全てだ。


「……やっぱり雪季は、学校でも俺と普通に接したいん……だよな?」

「ん。そう」

「……そっか」

「……せっかく一緒に住んでるのに、寂しい」

「まあ……それはたしかに、そうだよな」


 遥は考える。

 雪季の気持ちだって、わからないわけじゃない。

 一緒に過ごすのにも慣れてきた。

 仲良くやれているという自覚もあった。

 なのに、学校では知らんぷりなんて、たしかに悲しい。

 なにも悪いことはしていないのに。


 何かいい方法はないだろうか。

 周りを納得させて、雪季とも普通に接することができる、いい方法は。


「……ん、遥」

「お、おう。なんだ?」

「……好き」


 雪季は立ち止まって、まっすぐ遥を見ていた。

 「好き」。

 そのふた文字が小さな口から発せられて、遥の耳に届く。

 顔が熱くなって、頭がぼーっとするのを遥は感じた。

 無表情の雪季の顔も、しっかりと赤くなっている。


(やば……可愛すぎる……)


 遥は気が遠くなるような思いがしていた。

 女の子を好きになったこともなければ、好きになられたこともない。

 そんな自分が、突然こんな美少女に、まっすぐ、好きと言われてしまった。

 のぼせそうになるのも当然のことだった。


「……ちゃんと言ってなかったから」

「あああ、あぁ……。その、ありがとう……」

「……ん」


 雪季はクルッと前に向き直り、再び歩き始めた。

 少し遅れて後を追う遥は、マンションに着くまで、ついに雪季のとなりに立つことができなかった。



   ◆ ◆ ◆



 うちに帰り着いた後の雪季は、いつもと様子が変わっていた。


「遥」

「おわっ、な、なんだよ!」


 ずばり、ベタベタしてくる。


 気分転換に部屋でテレビを見ていると、後ろから抱きついてきた。

 遥の身体の前で手を結び、肩に顎を乗せてくる。

 頬と頬が触れ合って、鼻息がかかった。


「や、やめろよ雪季!」

「ん、やだ」

「や、やだじゃない! やめなさい!」

「やーだー」


 フリフリと身体を揺する雪季。

 鼓動が早まるのが自分でも分かった。

 異性にこんなことをされる耐性が、遥にはなさ過ぎる。

 しかも相手は、風呂上がりの雪季だ。


「お、俺も風呂行ってくる!」


 雪季を振りほどくように立ち上がり、遥は洗面所に逃げ込んだ。

 バタンとドアを閉め、服を脱ぐ。

 シャワーを浴びながら、動揺した心を落ち着けようと胸に手を当てた。


「……やば過ぎる」


 どういうわけか、雪季の距離感が狂っている。

 もともとかなり近かったが、今日の一件があってから、さらに距離を詰められてしまっている気がした。


(そもそも、普通パジャマ姿で男に抱きついたりしないだろ……無防備にも程がある。相手が俺じゃなけりゃ大変なことになってるぞ……)


 遥は大きなため息の後、深く息を吸った。

 自分に気持ちを伝えたことで、吹っ切れているのだろうか。

 それとも、こちらの反応を見ておもしろがっていたりして。

 いずれにせよ、このままではいろいろとまずい。


 大切なのは、自分のペースを見失わないことだ。

 本来、遥はかなりマイペースな方である。

 きっと雪季が本当に知らない転入生だったとしても、そこまで興味は持っていないだろう。

 その気持ちを忘れずに、雪季のいかなる行動にも平常心で対応するのだ。


 よし。


 遥は決意を固めると、浴室を出て着替えた。

 髪を乾かして部屋に戻ると、雪季は遥のベッドでゴロゴロしていた。

 こちらに顔を向け、小さく手を振る。


「おかえり」

「ああ、ただいま」


 だいいちずっとあんな風に動揺していては、日々の生活がままならない。

 順応する。

 それが今、遥がすべきことだ。


「遥」

「なんだ、雪季」

「好き」

「…………おう」


 一瞬で動揺させられてしまった。

 自分の精神の脆さを思い知り、遥は絶望した。


「ゆ、雪季。好きでいてくれるのは分かったから、あんまり言うなよ……」

「ん、言う」

「言うな!」

「言うー」


 ダメだこりゃ。


 遥は肩をすくめ、テーブルに突っ伏して顔を伏せた。


「明日からどうするんだよ……」


 問題はまだある。

 もちろん学校でのことだ。

 一緒に住んでいます、だけでもマズいのに、しかも好かれてしまいました、なんて言ったらどうなるか想像したくもない。

 だが、隠すことはできそうにもない。

 一体どうすれば。


「……雪季」

「ん、なに?」

「やっぱり雪季は、バラしたいのか? みんなに」

「……ん」

「……そう、だよな」


 雪季がベッドから降り、遥の前に回り込んだ。

 腕に顎を乗せていた遥の頬を指でつつき、楽しそうにニコニコする。


「……バラすか、いっそ」

「……いいの?」

「その方が楽だろうしなぁ。でも、一緒に住んでるってのはさすがに内緒な! 仲が良いっていうのだけは、もうバラしてしまおう。そしたら、学校でも変に避けなくていいしな。それならどうだ?」


 精一杯の妥協案だった。

 これならギリギリ、セーフな気がする。

 それに、雪季も納得してくれそうだ。


 雪季は柔らかく微笑むと、嬉しそうに頷いた。

 遥は心の中で胸を撫で下ろしたが、明日からのことを考えると気が重かった。


「でもな雪季、勘違いするなよ。仲が良いってことはバラしても、抱きついたりはダメだからな、当たり前だけど」

「…………やだ」

「やだじゃない!」


 やはり、気が重くて仕方なかった。

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