007 下校・不機嫌・抱きしめる


「おい遥ー、ゲーセン行こうぜ」


 六限が終わり、放課後。

 真っ先に遥に声をかけてきたのは親友の渉、ではなく、悪友の都波(となみ)だった。


「お前、部活は」

「めんどいから今日は休むー」

「またかよ」


 自由人の都波にはよくあることだった。

 だが二年生にして女子テニス部のエースである都波には、顧問もあまり文句が言えないらしい、本人曰く。


 遥はチラッと雪季の方を見た。

 雪季はすでにクラスメイトたちに囲まれており、あっさり帰れそうにない。


 さすがに、こんな日にゲームセンターへ行く気にもならないので、断って帰ることにした。

 メッセージアプリで、今朝のうちに交換していた雪季の連絡先に『先に帰ってる』とメッセージを送っておく。


「悪い都波、今日は帰るよ」

「なにぃ? アタシの誘いを断るとは、偉くなったな」

「マジでごめんよ、また誘ってくれ」

「ちぇっ、わかったよ。じゃあ部活行くかー……」


 都波は渋々というように教室を出て行った。

 遥もカバンを持ち、昇降口へ向かう。


 靴を履き替えていると、ポケットの中のスマートフォンが震えた。

 画面を見ると、メッセージの通知だった。


『やだ』


 送り主は雪季。

 遥は思わず頬を掻いた。


『一人で帰れるだろ?』

『帰れない』

『なんでだよ……』

『どこ?』

『昇降口だよ』

『行く』

『来るなよ!』

『もう着く』


 ヤバい。


 遥は急いで靴を履き、ダッシュで校門へ向かった。

 少なくとも、学校の中で二人でいるところを見られるのはマズい。

 追いつかれるのは校門の外にしなくては。


『どこ?』


 すぐに雪季からメッセージが来た。


『学校の外で待ってるよ』

『ダメ』

『ダメじゃない』


 殆どの生徒が何らかの部活に所属しているため、下校中の生徒は少なかった。

 校門を出て、遥は民家の間の細い路地に入る。

 ここなら、まあ誰かに見られることはないだろう。

 再びメッセージを受信する。


『どこ』

『赤い車の家の脇道』


 待っていると、雪季がとことこと駆けてきた。

 見るからに不機嫌そうな顔をしている。

 むすっと頬を膨らませ、ジト目で遥を睨む。


「雪季、一人で帰れるだろ……」


 出来るだけ小さな声で、遥は言った。


「寂しい」

「子供か!」

「子供じゃない」


 雪季はますます不機嫌そうに顔をしかめた。

 遥のブレザーの裾をギュッと掴んでくる。


「……学校でも寂しかった」

「寂しいって……賑やかだったろ?」

「……遥が来てくれなくて」


 しょぼんとした表情でそう言う雪季に、不覚にもドキッとしてしまう。

 遥はドギマギする気持ちを抑え、路地の先へと雪季を引っ張って行った。


「こっちの道からなら、まあ、一緒に帰っても大丈夫だろう」

「……遥」

「な、なんだよ」

「……学校では、ずっと知らんぷり?」

「……う、うーん、まあしばらくは、そうかな」

「やだ」

「雪季……無理言うなって」

「なんで」

「そりゃあ、一緒に住んでるのがバレたらヤバいだろ……」

「遥、昨日は学校でも仲良くするって言った」


 どうやら覚えていたらしい。

 遥は自分の不利を感じて冷や汗を掻いた。


「で、でもなぁ雪季……」

「……ふん」


 雪季はプイッとそっぽを向いて、それっきり黙ってしまった。


 どうすればいいんだ……。

 遥はかつてない難題に頭を抱えた。



   ◆ ◆ ◆



「ごちそうさまでした」

「……ごちそうさま」


 夕食を食べ終えても、雪季の機嫌はまだ直らなかった。

 困ったもんだ。

 遥は食器を片付けながら頭を捻る。

 当の雪季はさっさとシャワーへ行ってしまった。


 そもそも、なぜ雪季はこんなにも自分を構わせようとしてくるのか。

 遥はベッドに座って腕を組み、考える。

 が、もちろん全くわからない。

 ただでさえ雪季の思考は読みづらいのに、こんな難問に答えが出るわけがなかった。


(まあ、そりゃあ転入したばっかで、心細いのは分かるけどさ)


 今日の雪季は、ほとんど一日中、クラスメイトたちに囲まれていた。

 さすがの雪季も気疲れしただろう。

 もうちょっと助けてやっても良かったのかも知れない。

 だが、初対面であるはずの初日から親しくしているのは、どう考えてもおかしい。

 理由を詮索されれば、全ての事情が露呈するのは時間の問題だ。

 ここは、徐々に仲良くなっていく演技でクラスメイトたちを欺き、雪季と親しく接してもなんとも思われない状況を作るしかない。

 今日の様子では雪季がそれに協力してくれるとは思えないが、やるしかないだろう。


「はぁ……」


 思わずため息が出る。

 家での二人暮らしよりも、学校での振る舞いの方が難関が多そうだ。

 昨日や一昨日は、そこまで考える余裕がなかった。

 この状況の危険性を見誤っていた。

 鈍い自分を遥は恨んだ。


 そうこうしているうちに、雪季がパジャマ姿で戻ってきた。

 火照った顔で遥のところに近づき、交代を促す。


「あぁ、おかえり」

「……ただいま」


 言葉を交わしてくれるまでは回復したらしい。

 遥は少しだけ安心しつつ、サッとシャワーを浴びた。


 洗面所で着替え、うーんと唸りながら髪を乾かす。

 ドライヤーの音を聞いていると、なんだか考え事が捗る気がした。

 結局答えは出ないのだけれど。


「……ん?」


 ふと、鏡に映った背後のドアが少しだけ開いたのに気がついた。

 しばらく見ていると、ドアの隙間から雪季がチラリと顔を覗かせた。

 様子を伺う野良猫のような目で、鏡越しに遥の目を見つめていた。


「なんだよ。どうした、雪季」


 何かあったのかと、遥はドライヤーを止めて声を掛けた。

 雪季は顔をサッと引っ込め、返事もしなかった。


「なんなんだ、一体……」


 再びドライヤーをつけると、また雪季の顔が覗いた。

 しばらくそのままにしてみても、雪季は黙ったまま遥を見つめ続けている。


 気になって仕方ない。


「雪季、何か用か?」


 雪季は、今度は引っ込まずにジッとしていた。

 少し待ってみると、雪季はバツが悪そうにうつむきながら、ゆっくりと洗面所に入ってきた。


「なんだ?」

「……ん」


 雪季はそのまま遥の背中に抱きついてきた。

 顔を背中に埋め、頬をくっつけてくる。


「おわっ! おい! やめろ雪季!」

「……ん」

「ん、じゃない! いろいろ問題だから! 離れなさい!」


 振りほどこうと背中を揺するが、雪季はますます抱きしめる力を強めてくる。

 離れてくれる気配はない。


(くそぅ、どうすりゃいいんだ……)


 遥は心を無にし、背中の感覚を殺すことに徹した。

 そうだ、誰も抱きついていないし、柔らかいものも当たっていない。

 煩悩退散、南無。


 ゴォーというドライヤーの音だけが、狭い洗面所に響く。

 真顔で髪を乾かし続けるが、ふと自分の腰にある白くて細い手に目がいってしまった。

 キュッと結ばれたその手を見ると、デパートでこの手を握った時の感触が鮮明に思い出された。


(いかんいかん。何も考えるな、俺)


 髪を乾かし終えてドライヤーを片付けても、雪季は抱きついたままだった。

 説得する気力も起こらず、しばらく遥は鏡の前に立ち尽くしていた。


「……遥」

「な、なんでしょうか……」

「……さっきはごめんなさい」


 自分の背中に隠れて顔は見えないが、なんとなく雪季が落ち込んでいるのが分かった。


(ひょっとして、それが言いたかったのか)


 遥は全身の力が抜けるのを感じたが、グッと踏ん張って答えた。


「いいよ。俺こそ、ごめんな」


 雪季はコクっと頷いた。

 なんとか仲直りはできたらしい。

 ただ、学校での問題が解決するわけではなかった。

 明日以降の行動方針を、改めて考えなければならない。


 それと。


「……いい加減離れなさい」

「……やだ」


 こっちもなんとかしなければならなかった。

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