004 おはよう・買い物・手を繋ぐ
目が覚めると、なぜか布団を着ていた。
昨日も初日と同じく、雪季がベッド、遥は絨毯の上で眠った。
当然、掛け布団は無し。
にも関わらず、なぜ今自分は布団の中にいるのか。
眠い目をこすりながら、ぼーっとする頭を無理やり回転させる。
が、分からない。
なんとなく、腕の中に温もりを感じる気がした。
(……なんだ? やけにあったかいな……)
頭よりも先に、視界がはっきりした。
目の前には黒い艶のある髪。
薄い水色の生地も、わずかに見えた。
(うーん……抱き枕なんて買ったっけ……?)
「……おはよう、遥」
腕の中から、ぱちりとした目が二つ、上目遣いにこちらを覗いていた。
途端、遥の寝ぼけた頭はサーっと冴えていった。
「わぁぁぁあ!!」
「……うるさい」
目と鼻の先にあった雪季の目が、ジトッと遥を睨んだ。
なぜこうなっているのか、遥には全く理解ができなかった。
「な、な、何やってんだ!」
「ん、おはよう」
「おはようじゃない!」
遥は慌てて布団から飛び出し、壁まで後ずさった。
昨日はたしかに別々で寝たはずだ。
なのになぜ、こんな状況に。
「昨日、寒かったから」
「さささ、寒かったけども! 俺、大丈夫って言ったじゃん!」
「でも、震えてた」
雪季によると、遥は寝付いた後もしばらく寒そうに震えていたらしかった。
起こすのも申し訳なく思い、雪季はこうして布団だけ持って、一緒に絨毯で寝ることにしたという。
本音を言うと、自分が無意識に雪季を引っ張り込んだというわけではなさそうなことがわかって、遥は心底安心していた。
「それは! ……いや、まあありがたいけどさ……」
「風邪引く」
「一日くらい平気だって……」
「ん、ダメ」
「け、けどなにも、くっついて寝なくたっていいだろ!」
遥が震える声で怒鳴るが、雪季は布団で顔の下半分を隠し、目をそらして黙ってしまった。
(あれ? なんだ、その反応は……)
「……くっついてきたのは遥」
「ひぃぃぃいいい!!」
恐れていたことが起きてしまった。
「……強引だった」
「許してくれぇぇえ!!」
ポッと頬を赤らめる雪季と、頭を抱える遥。
良心の呵責と不甲斐なさでボロボロになりながら、遥は今日も雪季と並んで歯を磨いた。
◆ ◆ ◆
と、いうことで。
「布団を買いに来たぞ!」
「……おー」
駅前の大型デパートの前で、二人で右手を突き上げた。
意外とこういうとき、雪季はノリが良い。
日曜日のデパートは人でごった返していた。
はぐれないように注意しなければ。
「布団は三階だ。行くぞ、雪季」
言いながら振り返るが、返事がない。
というか、すでにいない。
いつのまに。
「なんでだよ……。おーい、雪季!」
人混みの喧騒に紛れて、名前を呼んでみる。
少し離れたところで、雪季はフロアマップを見ていた。
「あ、こら雪季。はぐれたらどうすんだよ」
「ん、地図」
「場所は俺が分かってるから大丈夫だよ。さ、行くぞ」
「……じゃあ、はい」
「ん? なんだ?」
雪季はいつもの無表情のまま、こちらに手を差し出してきた。
一体どういうことだろうか。
「手。繋ご」
「……なんでだよ……」
「はぐれないように」
「……嫌だ!」
「なんで」
「普通嫌だろ!」
「ん、私は嫌じゃない」
「だからなんでだよ!」
はっ、いかん。
振り回されている。
遥は一度深呼吸した。
これまでの色々な出来事から、雪季の性格はなんとなく分かってきている。
無口だが、人懐っこくて距離感が近い。
ひょっとすると、一人暮らしの寂しさの反動がきているのかもしれない。
遥自身も、全く分からない気持ちでもなかった。
だが、流されてはいけない。
このままなし崩し的に距離を縮められ続ければ、なにか大変なことになる気がする。
それだけは避けなければ。
「とにかく、手はダメだ!」
「……分かった」
意外にも、雪季はそこであっさりと折れた。
なんだ、てっきりもっと強情かと思ったのに。
まあ、何はともあれ、一安心だ。
「じゃ、行くぞ三階へ」
「ん。ぎゅー」
「おわっ!」
雪季はあろうことか、遥の二の腕にしがみついてきた。
まるで、完全な恋人同士のようだ。
たしかに手は繋いでいない。
が、これはそれ以上に……
「は、放せ雪季!」
「ん。はぐれる」
「はぐれない!」
「んー」
振りほどこうと腕をぶんぶん振ってみるが、雪季はますますしっかりとしがみついてくる。
力づくで引き剥がす度胸もない。
「だぁー! わかった! 手繋ぐよ! だから放せ!」
「ん。そうする」
パッと二の腕から離れ、雪季は改めてこちらに手を差し出してきた。
恐る恐るその手を軽く握ってみると、柔らかく、滑らかな感触が伝わってくる。
思わず顔が熱くなるが、雪季は薄く笑うだけだった。
(なんて危険なやつなんだ……)
遥は心の中で頭を抱えた。
遥は恋愛が怖い。
だがこのままでは、なにか自分の中で大切なものが壊れてしまう気がする。
(……いや、でも待てよ?)
手を繋いだまま三階へのエスカレーターに運ばれながら、遥は考える。
手から伝わる柔らかさと温度を忘れられるように。
(べつに、俺さえ変な気を起こさなければ、何も問題ないんじゃないか?)
自分みたいな平凡な男を、雪季のような規格外の美少女が気にいるとは到底思えない。
なら、たとえスキンシップが増えても、自分さえ負けなければ何も起こらないのではないか。
そうだ、その通り。
遥は自分の聡明さに感心した。
なんだ、簡単な話じゃないか。
しかも自分は恋愛が、本当に怖い。
憎んでいると言っても良い。
いくら雪季が可憐でも、好きになんてならない。
多少、ドキドキしてしまうだけだ。
(それに同居生活するなら、仲良くなれるのに越したことないよな)
遥はうんうんと深く頷いた。
覚悟は決まった。
意思を強く持ち、心に余裕を忘れずにいれば負けることはないはずだ。
「よし! 気合い入れて選ぶぞ、布団!」
「ん」
寝具売り場の入り口で、再び士気を高めた。
(見てろよ親父。俺は絶対に、誰も好きになんてならないからな!)
おかしな情熱を燃やして、遥は心の中で雄叫びを上げた。
しかし遥は気づいていなかった。
恋とは、自分が好きにならなければ始まらないというほど、単純なものではないということに。
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