002 電話・トラウマ・おやすみ
オムライスを平らげた雪季は、続けてシャワーを浴びたがった。
遥は洗面所の着替えや洗濯物を一通り片付けて、新品のバスタオルを雪季に渡した。
申し訳なさそうに浴室の扉を閉める雪季を見送ってから、遥は真っ先にスマホで国際電話をかけた。
もちろん、相手は父親だ。
『もしもーし』
「おいこら、アホ親父」
『親に向かってアホはダメだぞぉ遥』
相変わらずの能天気な声だった。
『その様子だと、もう雪季ちゃんとは会ったな?』
「会ったよ。どういうつもりだ」
『手紙読んでないのか? 二人の方が安心だろー、なにかと』
「読んだ。事情も言い分も分かった。けど親父、俺の体質知ってるだろ」
『あぁ、恋愛恐怖症か?』
父親の言葉に、遥は呆れて電話先で首を振った。
「そうだよ」
月島遥は、恋愛が怖かった。
遥の父親は数年前、妻と離婚していた。
理由は夫のDVだとされたが、それは妻の計算高い工作によってでっち上げられたデタラメだった。
遥の父親の主張は認められず、少なくない慰謝料を奪って妻は二人の元を去った。
『もう忘れろよー、あんなこと』
「忘れられるわけないだろ。俺は、親父と同じ目にはあいたくないんだよ」
しかしその一年後、妻には浮気相手がいたことが発覚した。
妻は浮気相手と結婚するためにDVをでっち上げ、慰謝料を結婚資金にあてていたのだ。
あんなに優しかった母親が、自分と父親を捨てた。
しかも、これ以上ないほどに冷酷な仕打ちまで加えて。
遥はそのとき思った。
自分は恋愛なんてするもんか。
愛して騙されるくらいなら、初めから愛さない方がずっと幸せだと。
『俺はたまたま見る目がなかっただけさ』
「俺は親父の息子だからな。その残念な目を受け継いでるかもしれないだろ」
『遥……』
父親は日本にいた頃、恋愛を毛嫌いするようになった遥に何度か説得を試みた。
しかし遥は耳を貸さず、結局誰のことも好きにならないまま、高校生二年生になってしまった。
「分かってるさ、親父の思惑は。女の子と同居させて、俺の恋愛嫌いを無理やり治そうって、そんなとこだろ」
『うっ……さすが俺の息子、鋭いなぁ。でも、雪季ちゃん可愛いだろ? あの子ならお前だって』
「同居はする。水尾さんは何も悪くないからな。けど、親父の思い通りにはならないよ、俺は」
『あーあー、強情なやつめ』
「それを宣言したかっただけだよ。じゃあな」
『えっ、もう切るのか? もっと親子の交流を』
父親のセリフが終わる前に、遥は通話終了のボタンをタップした。
やれやれ。
思わずため息が出る。
お節介な親だ。
あの件で一番傷ついてるのは自分の方なのに。
スマホをベッドに投げると、ちょうど雪季がバスルームから出てきた。
着ている水色のパジャマは、雪季が背負っていたリュックサックから出てきたものだ。
他にも歯ブラシやその他の生活必需品など、この日に必要そうな物は一式揃っていた。
さっきは電話であんなことを言ったが、パジャマ姿の雪季はまた一段と可憐だった。
(……なんつー美少女を送り込んで来たんだ、あのアホ親父は)
遥は邪念を振り払うように立ち上がり、雪季に一声かけてから自分でもシャワーを浴びた。
さっさと上がってジャージに着替え、髪を乾かす。
(親父の企みは置いておくとしても、単純に同居って大変だよな)
そんなことを考えながらドライヤーの電源を切り、遥はリビングに戻った。
◆ ◆ ◆
大変ポイントその1、寝る場所。
「とりあえず、今日は俺が床で寝るから、水尾さんは俺のベッド使ってくれ」
二人で並んで歯を磨いた後、遥は雪季にそう言った。
当然ながら、まともな寝具は一組しかない。
スペース自体はなんとかなるが、今日のところは片方が床で寝なければならなかった。
「……いいの?」
「ああ。たまに疲れて床で寝てることあるし、その時と一緒だよ」
「……ありがとう」
遥の中に他の選択肢はなかった。
恋愛嫌いを自称する遥だが、そのせいか、異性にはかえって優しいのである。
「じゃあ、おやすみ水尾さん」
声をかけてから、電気を豆球にした。
暗闇の中で、雪季がのそのそと布団に潜り込むのが見えた。
遥もクッションを枕にして横になる。
(なんか、大変な夜だったな)
これからどうしよう。
遥は考える。
まずは必要なものを買い揃えなければならない。
それから、ルールを決めよう。
お金の使い方も、今までより慎重にならないといけない。
「……水尾さん?」
「……なに?」
「本当にいいのか? 男と二人暮らしなんて、普通嫌だろ?」
ずっと気になっていたことだった。
いくら親が決めたからと言ったって、年頃の女子高生が年頃の男と同居なんて、嬉しいわけがない。
逆の立場の遥だって、もちろん手放しに納得しているわけではなかった。
「……ん。いい」
「……どうしてなんだ?」
「……お父さんのため」
「……お父さん、か」
思わず黙ってしまった。
遥が一人暮らしをしているのだって、父親のためだ。
勤めていた会社の指示でアメリカで働くことになったのが去年のこと。
遥を日本に残したがった父親は、そのまま一人で行ってしまった。
遥もアメリカに行きたくはなかったので、仕方なくこの形をとったのである。
手紙を読んで分かったのは、雪季と自分には似たような点が多いということだった。
もちろん、詳しい事情は分からないし、聞こうとも思わない。
それはあまりにもプライベート過ぎるから。
遥だって、話そうとは思わなかった。
「お互い、大変だな」
だからそのセリフが、今遥に言えるすべてだった。
「……それに」
けれど、雪季は口を閉じなかった。
なにかを言おうとしていた。
「……一人はさみしい」
「……そうだな」
それは、考えないようにしていた気持ちだった。
確かにこの生活は気楽だ。
節約とバイトこそしんどいが、自由だ。
けれど根っこのところでは、どうしてもその気持ちが抜けなかった。
この子もそうだったんだ。
自分だけじゃなかったんだ。
「……今まで、よく頑張ったな」
「……ん。あなたも」
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