6

 光の戻った玄関には無残にも食い散らかされた、トランクの中身が散らばっている。水の入った瓶がいつくも床に転がり、布製の袋に入ったペンもキャップが外れている。これはダメ、こっちも喰われてる。十数個あったインク瓶の中身は全部空に、−−否、水のように透明になっている。携帯用セットもペンの中も全部だ。

「くそ。完食してくれちゃって」

 書くものがなければアイツを狐月から引き剥がせない。見渡してもあるのは使い物にならない液体ばかり。

「作るしかないか……」

 トランクの引き出しから太めの筆を引っ掴むと散らばってる紙を片手に、夕日の一番強く当たっている場所へ向かった。床に触れると僅かに温かく、手のひらにざわつきを感じる。

「乱暴してごめんよ」

 透明になった瓶の中身を床にぶちまけ筆で床に押し付けた。水面がじわっと滲み夕日が溶け込んでいく。それを筆にたっぷりふくませ絵のような鳥の字を書き上げると、筆の反対側でトントンっと紙面を叩いた。

「おいで」

 色も乾かぬうちに文字の端がピクリと動く。香墨はそれを指先でつかむと、ずるっと鳥を引っ張り出した。香墨の肩に止まり、水浴びしたあとの鳥のようにブルブルっと体を震わせる。暖かく眩しいオレンジ色をした鳥だ。指で頭を撫でると、人懐っこそうに顔をすり寄せる。


「昆虫って大きくなると顎とか角の切れ味半端ないんでしたっけ」

 勘が良かろうと経験があろうと見えない相手では分が悪い。直接的な一打を喰らわないまでも、掠るだけで鎌鼬のような傷を受けてしまう。

「こっちからは触れないっていうのに」

 狐月が間合いを取ろうと後ずさると、ドンと木にぶつかった。家の横手はすぐ雑木林になっている。あまり家から離れると香墨に見つけて貰いにくくなる。いや、でも香墨には色喰が視えるから平気か…? 思考を巡らせていると一際不愉快な耳鳴りを感じ衝動的に耳を塞ぐ。おそらく鳴いているのだ。次の瞬間、体を木に強く押し付けらる。

「ぐっ」

 捕まった。葉が揺れ、バキッと枝が折れる音が聞こえる。落ちていく葉が緑から灰に変わっていくのが見えた。

「え?」

 足元を見ると木の根の端からゆっくり色が変わっていっている。

「色が…。まずいっ」

 なんとな逃れようともがくも蛇に締め付けられているようでどうにもならない。幹の色がじわじわと消え、葉の色も枝先から順に無くなっていく。どのくらい経った? まだ1分も経ってない? 体感では20分くらい経ってるように感じる。何とかして抜け出さないと。爆符を試して…ああ手動かせない。

−−ケーン。

 甲高い声と共に眩しさに視界が眩んだ。頭の上に重みを感じる。

「なに?! なんか頭に乗ってる!」

 顔を左右に振るとふとっと軽くなり、オレンジ色した鳥……のような何かが飛んでいる。狐月の周辺をぐるぐると旋回し、頭上へ行ったかと思うとまた下りてくる。

「色喰、そいつは美味いぞ。夕日を凝縮した生まれたてほやほや極上の一匹だ」

 香墨の声が辺りに響いた。狐月の体を締め付ける力が少し弱まった。オレンジ色の何かが香墨の肩に止まってようやく何か分かった。あれは文字だ。文字のような絵のような。文字の成り立ちとかで見たことがある。夕日に染まって輝いているのか、それそのものが輝いているのか区別がつかないが、美しいと思った。締め付けていた力がずるずると離れていくのが分かった。

「悪いな。頼んだぞ」

 香墨が文字をそっと撫でるとそれは再び高く飛んで空中を旋回した。ゆっくりと旋回しながら香墨から離れていく。重苦しい空気も合わせて消えていった。少しだけ冷たい風が流れ、辺りは今での事が嘘のように静かになった。

「大丈夫か?」

「ええ、なんとか。ちょっと危なかったですけど」

「そうみたいだな」

 横目で7割方灰色になった木を見ながら香墨が答える。文字が飛んで行った方を見ながら狐月が言った。

「さっきのアレは何ですか?」

「囮だよ。人がいなさそうな場所に連れていかせた」

「香墨さんの式神ですか?」

「ん〜、ま、そんなとこだな。遅くなって悪かった」

「いえ。僕にも見えればもっと上手く立ち回れたんでしょうけど」

 狐月を見ると全身小傷でいっぱいだ。確かに見えていればこの傷すら付かなかったかもしれない。

「ふむ…。とりあえず準備する間休んでてよ。何もない代わりに大の字で寝れるよ」

「大丈夫です! お手伝い出来ることはありますか?」

 見た目のわりに元気そうな狐月が香墨の後について家の中へ入っていった。

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