第29話 越前永平寺座禅修行
永平寺は京都から北陸本線に乗って、敦賀から長いトンネルの向こうにあった。このトンネルが実に長かったかおりに会う道のりの様に。新幹線を除く在来線では一番長いトンネルだった。
重くのしかかっているのは狭山からまだ見ぬ娘に会ってやれと云われたその言葉だった。
北村はこの忠告をどう解釈したのか、後日に一泊二日で福井の永平寺に座禅修行に行くと言い出すに至っては「解らん男だと」狭山は首を捻りながらも見送った。
朝に発った特急列車は冬の足音が迫る北近江から敦賀を通りそこから長い北陸トンネルになる。夜行列車ならいざ知らず昼間の列車ではこの暗い長いトンネルは過敏な神経に堪えた。
この日の座禅は狭山の忠告に従って先ずは心の準備、ウオーミングアップすべく選んだ行動だった。がその前途には列車の軋む音に、眠りを妨げられた亡者の群れが舞い上がる錯覚に囚われていた。
北村が十七年もほったらかしたのでは無く彼女が一切の痕跡を断ったからに他ならないのだ。なのにこの亡者の群れは俺に襲いかかるんだ。佐恵子の方へ行けと追い払っても付きまとう。
心の闇の中での長い格闘の末にやっとトンネルを抜けると、陽射しが列車内に満ちて来てくれてホットひと息付いた。
朝に発った特急列車は昼前に福井に着いた。そこから私鉄に乗り換え更にバスに乗り換えて永平寺に向かった。朔郎の本音は狭山の忠告より前から厳密に言うと佐恵子と再会してからかおりは一番気にしていた。多分、狭山はそんな意地っ張りな彼の心を見透かしてわざわざ道筋を立ててくれた。有り難かったが素直になれずへそを曲げて仕舞った。それが今度の座禅修行だから身が入らないのは当然の成り行きだった。嫌な性分と諦めるしかなかった。
朔郎が座禅の一夜修行に行く永平寺に着いた時はとうに昼は過ぎていた。
門前通りには土産物屋や旅館に民宿、喫茶店等が店を並べていた。その門前の店で遅い昼食を済ませて通用門から行くと拝観受付があった。そこで参籠体験者ですと伝えて中へ入った。総受所で受付をして吉祥閣へ案内された。
寺の中は鬱蒼とした杉木立に囲まれて空気までもが静寂に漂っていた。仏心のない者には肌までが異質に感じ取り、心の準備不足で有ることは
受付で対応してくれた雲水が案内してくれた宿泊の部屋は六十畳敷の部屋だった。雲水はそこで参籠の心得を説明した。その後は今日の一通りの予定と寺の概要を説明すると部屋を出た。
この部屋は天井も高くその分、寒気も漂っていた。先客は何人か居たがこの広さでは目立たなかった。窓からは永平寺川のせせらぎと鳥の鳴き声しか聞こえない。
その無人に近い荒野の青畳から男の声が聞こえた。男は六十に近く小太りで善良を絵に描いた様な人物が近づいた来た。正にこの修行に相応しい人柄で自分とは不釣り合いに見えた。
男は三十年近く教師をやっていると云って朔郎に此処へ修行に来た心境を訊いて来た。朔郎は今の会社でリストラされたと適当に話した。
「そうでっかリストラで会社を辞めはったんですか、それで心のリフレッシュに座禅をくみに来られたっちゅうわけでっか」
朔郎は適当に話している内に話が逸れてきたがまあ良いかと適当に相槌を打っていた。
「私は長年同じ教育方針でやって来ましたが最近の自己中心的な子供には参りましたわ。どうしたらいいか悩んだ末にここへ来たんですわ、とにかくうわべばかり頭に入れて中々物事の本質を理解させるには苦労するんですよ。数学の様にひとつの法則に基づいて成り立っていればひとつだけの答えを説明すればいいが人間社会を教えるのは難しくてねえ」
彼も理数系は苦手だった、だから自然を相手にする方が楽だった。
「それは今も昔も変わらないんじゃないですかひとつを言って全てを理解すれば先生の熱意は必要なくなりますからね。だからそれを伝える仕事は大変でしょう」
「仕事でっか。まあ教師も月給制ですからそうなるのか」
男は割り切れなさそうに言った。その一言でここに来た
座禅と云うものは煩悩を消し去り、心を無にして悟りを求める。彼は迷いを消し去り子供達と直に向き合いたい、その為に来たと結論を述べた。
「これで教育実習生の頃に立ち戻れればと、そうなるとこの三十年はいったいなんだったでしょうね」
そうですねと相づちを打ちながらも俺はその半分の十七年ほどか、取るに足らんかと日頃の優柔不断を
みんな雑念を払う為に来ているのか、それに比べると俺は目的は無いに等しかった。ただ安らぎそれしかなかった。座禅がどれほどの精神を統一させて無念無想の境地に導くものかは
夕方五時半の薬石(夕食)までに入浴を済ませて空いた時間で寺の中や境内を参拝した。薬石の時間になるとお堂の畳敷きに長テーブルに椅子に座って食べる。畳なのに椅子とはとまず驚いた。
夕方六時半に座禅が始まり一時間後には座禅が組み終わると心安らかになった。その頃から法話を聞き雲水が修行する一年間の映画を見て夜の九時には開枕(消灯)となった。
翌朝は三時に振鈴(起床)整列して
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