第27話 狭山家への寄り道
綾子は佐恵子に会った事を匂わせていたがハッキリと言わない。
秋のつるべ落としは気温までも急激に下げた。すると肌の温もりが優しく感じられると、狭山の方角に足が勝手に歩き出し途中から地下鉄御堂筋線に乗り換えた。
通勤時間帯を過ぎると混雑は緩和されるがそれでも込んでいるのが地下鉄御堂筋線だった。
朔郎は夕食時に狭山のマンションのドアをほとんど無意識に叩いた。
「まあ珍しいひと」と応対に出た多恵が声を掛けるほど狭山の自宅へ来るのは五年ぶりぐらいか、いやもっと前かも知れないとにかく佐恵子が消えてから足が遠のいていた。
「ご無沙汰しています」としか言い様のないくらい彼女とは久し振りだった。
さあ上がって上がってと彼女は突然の訪問を歓迎してくれてそのままダイニングテーブルへ案内された。
「なんだお前か、どうしたんだ急にやって来て、まあ座れ」
突然に現れた北村に狭山の顔は何か訳ありそうな感じを汲み取っていた。
「丁度食事の支度をしていたところだから一緒に召し上がっていって、まだでしょう」
それまで呑んでいて下さいと多恵はビールとポテトチップスを用意してキッチンへ行った。
「なんだ急に、まあ後で話を聞こう」
狭山は食器棚からコップをふたつ用意してテーブルに置いた。
「堀川とケンカでもしたのか」
狭山はふたつのコップにビールを注いで一方を北村に渡した。
「いやそうじゃない」
「そうか、とりあえず乾杯するか」
「何に?」
狭山がつまらん事を聞くなと顔をしかめると、まあいいかと朔郎はコップを合わせた。乾杯の後で狭山が耳打ちして来た。
「俺の留守中に堀川が来ていた。あいつは北山のブティックに行ったらしい」
綾子は北村の写真展で佐恵子と顔だけは合わせている。
「多恵の話ではかおりちゃんにも会ったようだ。もちろん喋っていなくて遠目で見たらしい」
「何しに行ったのだろう?」
狭山は北村の独り言に付き合っていられんと云う顔してビールを一口飲んだ。
「お前、それで来たんじゃないだろう、多恵の話ではそんなに深刻でもなかったようだからなあ」
つまみが合う合わないは別にして大人二人がポテトチップスでビールを呑んでいる。
「そうだなあそんな素振りまったくなかったからな」
さっきも電話でやり取りしたがいつもと変わらなかった。
その内に多恵が夕食をテーブルに並べ始めて、食卓に料理が揃うと子供を呼んでから食べ始めた。
食べ始めた二人の子供を見るといやでも俺も歳を取ったと自覚させた。その内に男の子がとんでもない事を始めた。
「姉ちゃん食べへんのか」
中学生の長男が箸の進まない姉のおかずに箸を伸ばした。狭山が静観するところを見るとこれが日常的なのかと無言のまま納得した。
「やめて! 人のんまで手つけんといて。お母さん、怒って」
「これ隆夫、お姉ちゃんにちょっかい出したらあかん、お姉ちゃん今、大事な時やさかい、静かに早く食べなさい」
叱られた隆夫は黙々と食べ出した。男の子は今度は狭山に箸で無く言葉を出した。
「お父さん新しいゲームソフトが欲しいんだけど」
この子の活溌さにさっきまでの落ち込みが飛んでいきそうになった。
高校受験を控えた姉は箸を止めてそんな弟を羨望の眼差しで見ていた。
「だけど何だ。お姉ちゃんを見ろ。お姉ちゃんの受験が終わるまで我慢しなさい」
多恵も長男を戒めて姉を気遣った。朔郎にとっては見慣れない光景だが現実の家族のあり方を目の当たりにして戸惑った。
食事が終わると子供達は部屋に戻っていった。後片付けが終わった多恵もキッチンに戻り再び食卓に静寂が戻った。
「しかし賑やかな食事だったなあ、いつもこうなのか」
「まあな、上の子は高校の受験で少し過敏になってる。下の子は気楽なもんだ丁度一年空いているからなあ。まあ家族と云うもんはこういうもんやなあ」
狭山は気乗りしない北村に視線を注いだ。
「それより今日来たのは何か訳ありなのか……」
「いや別に大した事はないよ」とまた繰り返した。
「そうか。……仕事はどうだ。見つかりそうか」
言いたいことはほっといてもその内に俺には言うだろうとすぐに切り替えた。
北村は浮かない顔で首を横に振った。
「そうか。しかし堀川は面倒見がいいからなあ」
「……」
「いやに今日は口が重いなあ」
そう言ってビールを勧めながら狭山のこのひと言は随分と気分を楽にさせてくれた。
「狭山、俺は昔に正幸とある約束をしたってことは前にも云ったなあ、その時お前はいかれてると云ったっけ」
「例の約束だろう、だがその結果お前は佐恵子さんを失ったンだ」
「果たしてそう言い切れるか、正幸に言いくるめられたと」
諦めの悪い男だ、いやしつこい男なのだろう。
「今更蒸し返しても仕方がないだろう。もう時効だ十七年も経っている、それはかおりちゃんを見れば分かるだろう。それよりもお前より先に堀川が会ってる方が俺にはやりきれんなあ。……それでも親か」
「親は正幸だ。俺は佐恵子に因って傍観者にされてしまったんだ、俺はあの女によって振り回されたんだ。もう若くないから綾子と静かにくらしたい」
「それは本音か、ならなぜ向こうへ行ったり彼女が展示会に来たりするんだ」
そして狭山は苦笑いして。
「お前は品のいい女には弱いからなあ」と付け加えた。
結局この男はどっちにも付けずにただ彷徨っているだけじゃないのか、だからここへあてもなくふらっとただ寄り道したに過ぎない、それが証拠に何度聞いてもノラリクラリとしか答えられない。
「それより子供は大きくなったなあ」
「ほう、言われればそうだが日々毎日見ていると気が付かないなあと云うより子供に追われっぱなしなんだ。だから子供が時間の物差しみたいに見える時もある。物差しと言えばかおりちゃんだが」
「かおりちゃんがどうかしたの」
と食器を洗い終わった多恵も食卓にやって来た。
「堀川から聞いた話を聞かせてやれよ」
多恵も一緒にビールを飲み始めた。
綾子さんは友人と二人で北山のブティックを探索の途中で店に行くかおりさんを見つけて店を突き留めた。店に居る彼女はどちらかと云うと雰囲気は北村さんに似て物静かな印象を受けたらしい。何しろひと言も喋っていないから話し出すとまたイメージが変わるかも知れないと云っていた。
「それだけか」
多恵の説明に物足りなさを感じて狭山が北村の代弁をしている。
「朔郎さんはどうなの?」
自分の娘の話にまったく聞き流している北村に多恵はカチンと来ているようだった。
「
「親と言っても乳飲み子のまま別れたからピンとこないんだろう」
狭山が苛立つ多恵の間に入った。
「もう、あなたが弁解する事はないでしょう」
多恵の剣幕に北村は慌てた。
「そ、そりゃそうですが……」
「多恵、北村に責任はない。向こうが一方的に行ったんだから」
「でも原因を作ったのは北村さんでしょう、それとも佐恵子さんの方なの?」
「彼女は何も言わなかったから俺には解らんよ」
朔郎はこの言葉を十七年問い続けていた。それがぶっきらぼうな言い方になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます