第6話 困った笑顔

湯船の中で自分と向き合って以来、優里は良い感じに日々をこなす事が出来ていた。


家族や、仕事、友人など、現実に思い悩みネガティブな思考に取り憑かれそうになる事もあったけれど、それでもあの日気持ちを仕切り直して以来ポジティブに変換する癖をつけるようにしていた。


そんなある日の事。

その日は、夜キャバクラに出勤していた。

自分の呼んでいたお客様はもう帰られて、その日の来店予定はもうなかった。


vipルームが空いていたのでそこで待機していた。


そこに、美月と噂になっている例のボーイがやって来て「七海さんお願いします!」と、名前を呼ばれた。


「茜さんのお客様の、お連れのお客様でこの店は初めてです。では、よろしくお願いします。」

そうボーイに簡単に説明され、案内された席に向かおうとした、その時。




向かう先の先を見て、一瞬にして七海の心臓は跳ね上がった。

ドキン、ドキン、と鼓動が全身に響いて動けない。


なんと、その視線の先に居るのは裕太だったのだ。


(なんで?どうして、ここにいるの?)

自分に問いかける。

そして、


(とにかく、気づかれないうちにあの席はNGだとボーイに伝えよう。)


頭ではそう思うのに身体が全然動かない。


そうこうしているうちに、裕太がの視線が七海を、いや、優里を捉えた。


裕太は驚いて目を見開いた。

優里にはその一瞬が永遠のように感じられた。

けれど、現実は、ほんの一瞬の出来事だったのだろう。


そして裕太は、困った様な顔で笑って見せた。

(懐かしいな...)


裕太は、良くその表情をする。



(よしっ.....)

優里は心を決めた。


いつもここにいる時は、優里ではなく七海になりきっていて、それが自信に繋がっていたのだけれど。


この気持ちをなんと例えればいいのだろう。武装していない武士が、戦場に行くような気分?武士の気持ちなんて、分からないけれど。


でも、もう後戻りは出来ない。

向こうにも気づかれてしまった今、あの席には着けません...だなんて、逃げられない。


手足が震えそうになるのを、必死に抑えながら前を見据えて歩く。


視線の先には、懐かしい困った笑顔。


目一杯に意識して、背筋を伸ばした。



席に着く瞬間、裕太と、茜、茜の客の視線が優里に一気に集まる。


そしてゆっくり、席に着くと

「こんばんは。」と言ってニッコリ笑って見せた。


「綺麗な子だね!!」茜のお客様、つまり裕太のお連れ様がそう言った。



(...良かった。私達の空気に違和感を感じてないみたい)



「そうですね。」

優里を見た時から、ずっと浮かべている困った笑顔で、裕太が答える。


「お前、この子タイプなんだろ。後は2人でゆっくり話な!」何も知らないお連れ様が、そうやって裕太をからかった。

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