第7話 とある商人
今回は主人公視点ではありません。
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「クソッ! どうしてこんな時にっ……!」
私は持っている手綱を弾いた。それに呼応し、馬車を引いている馬がスピードを一段階あげる。
危険を承知で、御者台から身を乗り出して後ろを振り返れば、猛スピードで追いかけてくる盗賊が見えた。その顔は憤怒の赤に塗れていて、さらに私の危機感を煽る。
何とも不幸なことか、奴らは馬を持っていた。こちらは奴隷を数人乗せた馬車を引かせているが、盗賊達の馬は人間を一人載せているだけだ。圧倒的にスピードに違いがある。このままでは直に追いつかれてしまうだろう。
馬車には奴隷達が乗っている。皆、貧しい村で、口減らしにと売られた奴隷達だ。偽善のつもりで、私はそういった奴隷をできるだけ高い値段で買っていた。繁盛しているからこそ出来るものだろう。
そんな奴隷達をここで捨てていけば、恐らく私だけは生き残れるはずだ。だが、それは人としてどうかしていると思う。いくら死にそうとはいえ、一線を見極める理性は残っているつもりだ。
奴隷商人の私は、ハルマン商会という商会の会頭だ。10代の時に立ち上げた商会は、本店は【ヴァルンバ】だが、今では他国にも支店を持つほどの大きさとなっていて、会頭である私も鼻が高かった。
幅広い奴隷を扱う私は、今回は身売り奴隷を求めてこのルサイア神聖国へと来ていた。
ルサイア神聖国は、王都や大きい街は豊かな生活をしている者が多いが、一転して村規模となると、貧しいところが多い。現在のルサイア神聖国の国王は、街にばかり目がいっていて、小さい村には何一つ援助をしないばかりか、税を上げる始末だ。
だから私はそんな村をめぐって、口減らしにと売られる身売り奴隷を買う。私も一人の商人だ。善意から村を援助することは出来ない。だが、商売として、奴隷を少しでも高く買うことは出来るのだ。
偽善のつもりで、そんなことをしていた。
今回もそうやって奴隷を買い、街の方で借金奴隷を仕入れていたのだが、街を立つ際に、今日に限って冒険者に護衛依頼をするのを忘れてしまっていたのだ。
依頼を発注してから冒険者が見つかるまで、最低でも二時間はかかると踏んだ私は、店の方が気になってしまうと思い、今回は冒険者に依頼をしなかったのだが……。
帰り道、近道にと街道が敷かれた森を通ったら、このざまである。この道に潜伏していた盗賊に囲まれて、一心不乱に馬を走らせたが、大きい盗賊団なのか、相手も馬を持っていて、追いかけれていた。
『ヒヒーンッ!?』
ヒュン!と後方から飛んできた矢が、私の馬の脚を貫く。どうやら盗賊が苦し紛れに射ったらしいが、本当に運が悪い。
馬が転び、そして馬車が横転する。中にいる奴隷達が悲鳴をあげるが、私も一緒に投げ出されてしまい、それどころでは無かった。
宙を舞い、背中から地面に叩きつけられる。肺にあった空気が衝撃で全て出ていき、痛みから呼吸もままならない状態で、私は立ち上がることすらできずにいた。
「へ、へへ。手こずらせやがってよ」
「全くだ。俺の弓の腕のお陰だなぁ」
「馬鹿言え! 普段当てねぇくせによ」
「うるせぇっ! それより奴隷だ奴隷。どうせ女もいるんだろうし、一人くらいは味見……」
「やめとけ。お前、そんなことしたら頭に殺されるぞ? 処女の方が高く売れるから、少なくとも本番は無理だな」
「ちぇ。ここで一人やって隠蔽でもすれば出来るか?」
「バレた時に首が飛ぶどころじゃすまねぇぞ?」
「わーってるわーってるって」
追いついた盗賊達が、馬から降りてそんな会話がしているのが聞こえてくる。
あぁ、女性の奴隷は、もしかしたら性奴隷にされてしまうかもしれない。そのぐらいなら、一層私が殺してしまった方がいいのだろうか?
そんな考えが頭をよぎるが、度胸も無ければ手段もない。今の私は動くことすらままならないのだから、楽にしてやることすら出来ない。
結局最悪の運命を迎えることとなっただけだ。
盗賊の笑みがこちらに向けられる。気分はさながら死刑囚だ。奴が斧を片手にこちらに向かってくる度に、私の寿命は縮まっているのだろう。
ならばせめて抵抗の証に、私は最後まで目を見開いて、奴らの顔を焼き付けることにした。恨み恨めば、万に一つの可能性で悪霊としてこの世に留まることができるかもしれないのだから。
スパン!!
「……え?」
その声は、私のものではなく、こちらに近づいてきた盗賊のものだった。
何か変な、やたらと子気味良い音がしたと同時、盗賊の持っていた斧が地面に落ちる。否、それは正確ではない。
盗賊の
「……あ……アアァァァァ!!? お、俺の腕があぁぁぁ!?」
そう叫んだ盗賊は、次の瞬間、首や脇腹辺りから血を吹き出して、死んだ。地面に倒れ、恐怖に歪んだ目は、見開かれた状態でこちらを凝視している。
「チッ!! どこからだ!? 何をされた!?」
それを見て、周囲を他の盗賊が見回す
しかし、森の木々に邪魔された視界では、人を捉えることは出来ない。
「うわあぁぁぁぁ!!??」
今度は、一番馬車に近かった盗賊が、全身を炎に包んで慌てふためいていた。バタバタともがき、やがて動かなくなった盗賊は、火が鎮火するとともに、全身灰となって風に吹かれる。
「クソッ!? 何がどうなって───」
途中で声が途切れる。見てみれば、その盗賊は苦しそうな顔で喉を抑えていた。そして、すぐにまた最初の盗賊のように地面に倒れる。
口からは水のような液体が流れ出し、気絶しているだけと楽観視は出来ないだろう。
「……な、何なんだよ……何が起こってるんだよ!」
最後に残った盗賊が叫ぶが、返答はない。
代わりに、彼はその瞬間、木々を隙間を縫うようにして突然に現れた帯状の何かに、胸を貫かれた。
焦げたような臭いが辺りに充満する。バタッ、と倒れた盗賊からは、傷口が焼けているのか、血は出ていなさそうだった。
しかし、心臓を持ってかれたのは見て分かる。彼も死んだのだろう。
盗賊が全滅しても、私の心は安堵を感じていない。むしろ感じているのは恐怖だ。得体の知れない現象に対する恐怖。
───あぁ、きっと私も奴隷達も、こんな不気味なものに惨たらしく殺されるのだろう。
既に抵抗の意思は無い。あるのは、この現象に対する恐怖と、奴隷達に対する罪悪感のみだ。日を改めていれば、護衛を雇っていれば、と今更ながら後悔も湧き上がってくる。
そんな思いを、私は目を閉じて受け入れる。じきにやってくるであろう死神の鎌を、ただ待つだけだ……。
……。
……。
………。
「いや、何死のうとしてるんだよ」
いつまでもやってこない痛みに、自分が既に死んでしまったのかと思い始めた時。
突然、男性の声が私の耳に届いた。
恐る恐る目を開けると、そこには呆れたような顔をした、不思議な服装の少年が立っていた。
少年は辺りを見渡してポリポリと頬をかくと、「少しやり過ぎたなぁ」と苦い顔で言葉を零し、再度私へと目を向けた。
吸い込まれるような、純黒の瞳。
─────これが私、ハルマン・ミーレルと、謎の少年、トウヤ君との出会いだった。
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