第9話 シリアスは終わりを告げる



 

 孤独の夜を過ごした美咲は、朝早くから叶恵の部屋に来ていた。

 拓磨が美咲の部屋を訪ねた時は、既に美咲は叶恵の部屋に移動した後だったのだ。


 「叶恵……」


 昨日から一向に目を覚まさない叶恵に、美咲は暗い顔をする。


 刀哉の死は、予想以上に重いものだった。自分でも何故そこまで泣いていたのか、分からないほどに。


 どこか人が死ぬのを軽く見ていた。おそらくそうなのだろう。きっと覚悟を決めたと勘違いして、実際は心の片隅で有り得ないとでも思っていたに違いない。


 例えば、テレビの先で誰かが死んだ。ニュースで報道された。

 じゃあ、それに続くのは何か。


 『可哀想に』

 『怖いね』


 たったそれだけの感情、言葉だ。


 美咲とて例外ではなかった。身近で誰かが死ぬことなんて無かったし、精々が話したことも無い親戚の葬式ぐらいのものだ。


 だからこそ、本当に人が死ぬのを───いや、刀哉が死ぬのを実際に見て、心にポッカリと穴が空いてしまったような感覚に陥ってしまったのだ。


 本当は今すぐに泣き出したかった。昨日泣いたからといって、そう簡単には立ち直れない。彼にもう会えないのかと思うと、胸が締め付けられる。


 これが身近な人だからか、他に理由があるのか、美咲には分からなかった。だけど、少なくとも、5人での楽しい日々は、もはや過去のものになってしまった。

 もう、戻ってこないと理解してしまった。


 美咲はしっかりもので気が強いが、それでも女の子である。樹や拓磨が1日で泣くのをやめられたようには出来ない。

 いつものしっかりとした態度も素であるが、同時に今のような姿もまた、素であった。


 そんな美咲は、こうして叶恵の部屋に来ている。それは叶恵のことが心配だというのもあったが、一番は寂しかったからだ。


 叶恵の頬に手を伸ばすも、起きる気配は無い。それが彼女の心の傷の深さを表しているようにも思えた。


 おそらく、自分達の中で叶恵が一番ショックを受けているのだ。昔から一緒に居て、頼れる、一番信頼できる男の子。色々と助けてくれたり、こっちに来てからも相談しているのをよく見かけた。

 それが単なる信頼以上の感情から来ているのも、美咲は知っている。


 そんな人が目の前で居なくなってしまったのだ。だからきっと、自分よりももっと悲しくて、胸が締め付けられるのだろう。そのための自衛本能として、意識を失っているのだ。

 

 結局ここに来て何かが解決したわけではなかった。自身よりも辛そうな状態の叶恵を見て、共感と安堵感を得られたことぐらいだ。我ながら結構酷いと思う。


 叶恵の頭を何となく撫でてから、部屋を出る。いつもならそろそろ起き出している人が居るはずだが、現在は誰もおらず、廊下はしんと静まり返っていた。

 

 美咲はそれを確認して、部屋に戻る。自分だけが弱気になっているのではないということが確認できたのは、朗報とも悲報とも言えた。


 部屋の扉を開け、またベッドに突っ伏す。今日はもうここに居ようという意思表示だった。


 コンコン


 だから、ベッドに入ってから5分と経たずに来訪者が来るのは、やめて欲しかった。

 しかし出ないわけには行かない。美咲の家は礼儀に厳しく、こういった時の対応は無意識に出る。


 「どうぞ」

 『あぁ、入るぞ』


 外から聞こえたのは男の声。拓磨か樹だろうが、どちらかまでは扉越しのため少し判断出来なかったが、美咲はメイドではなかったことに少し安心した。

 異性とはいえ、気を許せる相手という方がまだいい。


 ドアノブが回され、扉が開かれると居たのは樹と拓磨だった。なんだ、二人一緒かと思った美咲は、安堵の、しかし少し悲しそうな笑顔を見せた。


 「どうしたの、急に」

 「いや、少し、な」


 そう言った拓磨は、昨日の事などまるで無かったように、清々しい顔をしている。それは樹も同じで、少し目の下が赤くなっているのが見える。昨日泣いた後にしては少し新しいように見えるが……。


 「もしかして、二人は昨日の事は吹っ切れたの?」

 「いや、吹っ切れた訳じゃないが……」

 「あぁ、なんと言うか釈然としない感じだが…」


 微妙な表情をする2人に、美咲も首を傾げる。少なくとも、なにか危険な事態という訳では無いようだ。


 「取り敢えず、俺の部屋に来てくれるか?」

 「? えぇ、良いけど……」


 本当にどうしたのだろうか? 美咲は怪訝な顔をしながらも、2人の後に付いていく。

 男女の部屋は少し離れているとはいえ、そこまでではない。1分もすれば樹の部屋に付いた。


 コンコン


 「入るぞ」

 『あぁ、大丈夫だ』


 あれ? とまたしても美咲は首を傾げる。ここは樹の部屋だが、中に誰かいるのだろうか?

 そんな疑問が解消する前に、二人は扉を開けて入っていく。美咲も後に続いて入っていく。

 

 「連れてきたのか?」

 「あぁ。叶恵はまだ寝込んでるみたいだが」

 「そうなのか」


 樹が誰かと会話をしている。ただ、それを確かめる前に美咲は樹を押し退けて、前に出た。そして、自身の目を疑った。


 「え? うそ………」

 「ん? お、美咲。1日ぶり」


 ニカッと笑って見せた彼に、美咲は絶句した。悲しかった訳ではない。嬉しくて、言葉が出なかった。

 

 「本物……なの?」

 「おいおい、それはお前らが一番分かってるだろ?」


 おどけたように言った彼の言葉を確認するように、美咲は2人に振り返った。それは頷きとともに証明された。


 「全く、そう疑わなくても本物―――」

 「刀哉君!!」

 

 美咲は大声で叫んで彼───刀哉に走り寄った。そしてそのまま───


 バチン!!


 ───思いっきり刀哉の顔にビンタした。


 「痛っ!? なんで!? なんで今叩かれた!?」


 突然頬に走った痛みに、刀哉は慌ててその部分を抑えて叫んだ。


 「黙りなさい!! 散々こっちを悲しませておいて、どの面下げて帰ってきたのよ!! このバカッ!!」

 「そうだそうだ!」

 「もっと言ってやれ!」

 「ちょっ、お前ら酷すぎるだろ!?」


 予想外の罵倒に、刀哉は慌てる。刀哉の予想では、みんなが揃って涙を流して『帰ってきてよかった』みたいな事を言ってハッピーに再開するはずだったのだが。

 まさか叩かれて罵倒されて怒られるとは思わなかった。


 そして罵倒を浴びせた美咲は、その顔に怒り以外にも様々な感情を覗かせていた。いや、怒りというのはその感情を隠すためのフェイクに過ぎなかったのかもしれない。

 それに気付かないふりをして、刀哉は後頭部に手をやった。

 

 「お、俺だってあれは仕方なく……」

 「自分の命を投げ出すような行為が『仕方なく』ですって!? 貴方頭おかしいんじゃないの!!」

 「だからさ、なんでこんなに俺は罵倒されてんだよ!」


 喚き散らす刀哉だが、その問いは簡潔に答えられた。


 「俺らを悲しませた罪だ。大人しく受け入れろ」

 「神は常に俺達を見ている。これは神が与えた神罰だ」

 「お前はいつから神官になったんだ!」

 「刀哉君、そこに直りなさい!! 貴方が居なくなってから私たちがどんなに辛かったか教えてあげるわ!!」

 「居なかったのたった1日じゃねぇか!!」

 「『たった1日』ですって!? もう許せない! 樹君、拓磨、手伝いなさい!」

 「「了解です姐さん!!」」

 「ちょ、おまっ、やめてくれー!!」


 両手をノリノリの拓磨と樹に抑えられた刀哉は、その状態で1時間に渡り、様々な罵倒と時々飛んでくる野次馬の声を黙って聞かされたのであった。


 だが、その場の全員が、そのノリをどこか楽しんでいるように見えた。


 

 ◇◆◇




 「さて、最後は叶恵か」

 「おい、話を早く───」

 「叶恵が起きてからじゃないと二度手間になるだろ? それから聞かせてやるから、大人しくしてろ」


 既に罵倒の嵐を終えた刀哉は一転、叶恵の部屋に来ていた。未だ目を覚まさないらしい叶恵だが、刀哉には策があった。


 「美咲、念のためお前から入ってくれ」

 「分かったわ。それと、まだ許したわけじゃないから」

 「うへぇー、まだなのかよ」

 「何て?」

 「誠心誠意を持って償わせてもらいます!」


 しかし、そんな刀哉も、美咲には先の件もあってすっかり頭が上がらなくなっていた。


 「先が思いやられるな」

 「言っとくがお前らには八つ当たりが待ってるからな?」

 「そ、そんな!?」

 「待て、俺は何も言ってないぞ!」

 「どさくさに紛れて便乗してたのは知ってるんだぞ? 俺の耳舐めんな」


 まるでいつものような馬鹿なやり取りをしながら、美咲が入るのに続いて中に入る。そこには案の定叶恵がベットで寝ていた。

 

 「……」

 「変な事考えてないだろうな?」

 「か、考えてねぇよ!」


 急に無言になった樹にすかさず刀哉が釘を刺す。擬音で表すなら『ゴクリ』と表されていただろう。

 拓磨の方は大丈夫だと思って、刀哉は叶恵に近づく。


 「……ねぇ、変な方法じゃないでしょうね?」

 「言っておくがもしお前が思ってるような方法だったら、お前らの前ではやらないからな?」

 「まて、それは色々とツッコミどころがあるんだが」


 拓磨の問いに刀哉は反応せず、お構い無しに両手を叶恵の顔に伸ばす。


 「「「……」」」

 「……なぁ、本当にアレな方法じゃないからな?」

 「わ、分かってるわよ!」


 変な雰囲気になりつつあるこの空間に耐えられなくなった刀哉が声を出した。それに対し美咲が過剰に反応する

 はぁ、とため息をついた刀哉は、何かおかしくなる前にさっさと叶恵の鼻と口を塞いだ〃〃〃〃〃〃〃


 は? と3人の目が点となる。勿論叶恵の方を向いている刀哉はそれを確認することは出来ず、塞いだ手の力を更に強くする


 1秒、2秒、3秒、そして5秒、10秒と沈黙が続き……。


 「~~~~っ!? ~~~~!? ぷはっ!!」


 耐えきれなくなった叶恵が飛び起きた。


 「「「……」」」

 「ほら、普通のやり方だろ?」

 「「「いや、それはそれでおかしい!!」」」


 突然のツッコミを、刀哉は飄々と聞き流した。

 確かに有効ではあるが、本当にやるものではないと3人は思考が一致した。下手すれば死ぬぞと。

 それにしては手慣れていたような気がしなくもないが、まさかアレを何度も試したことがあるとは思うまい。


 「はぁ、はぁ、はぁ」

 「あ、叶恵!!」


 そこで、(刀哉のせいで)荒い呼吸をしている叶恵に、美咲が慌てて駆け寄る。もちろん刀哉にしたようなビンタはしない。


 「はぁ、はぁ、美咲ちゃん?」

 「えぇ、美咲よ。大丈夫?ここがどこか分かる?どこか痛い場所はない?」

 「えっと、凄い息が苦しい……」

 

 ギロッと美咲の視線が刀哉を射抜くが、当の本人は拓磨の後ろに隠れている。あくまで仕方のない処置ということにするようだ。

 美咲も今の状況でそこを議論するつもりは無い。


 「……どのくらい経ったの?」

 「まだ1日よ」


 叶恵の問に、簡潔に答える美咲。さて刀哉のことを伝えるかと考えたところで、先に叶恵が口を開いた。


 「そ、そうだ刀哉君!! 刀哉君は!!」

 「え? えっと、刀哉君は……」


 叶恵の慌てように、美咲は複雑な顔をして返す。美咲の心境は先程の樹達と同じ心境だったが、叶恵はその顔から、やはり昨日のことは夢ではなかったことを理解した。


 「あのね、叶恵、実は刀哉君は───」

 「ううん、分かってる。私だってこっちに来て少しは成長したから。さっきまでは気絶しちゃってたみたいだけど、今はちゃんと現実と向かい合うから。安心してね」

 「ちょ、あの───」


 何故か勝手に刀哉が崖に落ちた事実を乗り越えてしまった叶恵に、美咲は焦る。

 実際には、叶恵からは丁度見えないようだが、刀哉は拓磨の後ろにいるのだ。


 決して、自分が乗り越えられなかったのに叶恵が乗り越えてしまった事に焦ったのではない、と美咲は言い訳がましく自身に向けた。


 「心配しなくても大丈夫だよ、美咲ちゃん。それに、まだ刀哉君が死んだって決まったわけじゃない。刀哉君の事だからいつかひょっこり『ただいま』って顔を出してくれるって、信じていられる内は大丈夫」


 確かに何でもないように普通に帰っていたのだが。

 地味に当たっているのが流石幼なじみというか。その場に居合わせていた拓磨と樹は、呆れを覚える。


 「じゃあお望み通りに……叶恵、ただいま」

 「………え?」


 刀哉の事を乗り越えて一つ成長してし〃〃〃まった〃〃叶恵に、真実をどうやって伝えようか美咲が迷っていたところ、後ろから刀哉空気を読めない男が、何故かキメ顔でそう言った。


 叶恵は初めて、拓磨の後ろから姿を現した刀哉を視界に入れて、直ぐに刀哉へと駆け寄った。


 「あ、叩くのは待っ───」

 「刀哉君!!」 


 先の展開のせいで警戒した刀哉だったが、予想に反して、叶恵は刀哉の胸に飛び込んできた

 

 「刀哉君、刀哉君!!」

 「ちょ、おい叶恵っ」


 自身の胸に顔を埋めてただひたすら刀哉の名を連呼するその姿に、刀哉は柄にもなく若干顔を赤くしながら、驚きの声を上げた。

 普段ならなんだかんだ言って笑って誤魔化すが、今の状況だと流石に冗談だと笑い飛ばせなかった。


 「刀哉君、本当に、刀哉君なんだよね?」

 「……あぁ、俺は俺だ。しっかりと生きてるから。だからほら、泣くなって」


 上目遣いで確認をしてきた叶恵に、刀哉は少し詰まったあと、笑顔でそう言って、叶恵の目元をそっと指で拭った。

 本当に、純粋にこちらの生存を喜んで、更にこうやって泣いてくれているのだ。刀哉も普段のように茶化したりはせずに、本心から答えた。

 

 「心配かけて、ごめんな」

 「グスッ……うん」


 幼馴染みを安心させるため、今だけ〃〃〃はと〃〃、刀哉は叶恵を抱き締め返した。


 いや、それは自分の為でもあった。


 刀哉も今回は流石に肝を冷やしたし、死にそうな目にあったのだ。いかに周りより大人であると自称していても、精神的に脆くなっているところはある。


 だから、こうやって信頼できる仲間の温もりを感じることで、改めて帰ってきたのだと実感が湧き、視界が滲む。


 だが、そんな自身の柄に合わない、情けない姿を友人達に見られないよう、刀哉は目をしっかりと瞑って、涙が零れないようにした。

 もちろんその程度、拓磨達は確認するまでもなく理解していたが、そこを聞くような野暮なことをすることもなかった。


 刀哉は、幼馴染みが泣き止むまで、そして自身の精神が安定するまで、腕の中に叶恵を抱きしめていた。


 

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