第五章:そしてぽんこつメイドは世界を救う
第58話:誰にも気付かれず、ただ町の片隅で
ミズハさんたちの世界に行く時は、あたりが白い光に包まれた。
だけど戻って来る時はえらくあっさりしたもんだ。窓からぴょんと丘の岩肌に飛び移って、はい終了。念のためすぐに後ろを確認したけど、今さっきあたしが飛び出してきたはずの穴はどこにもなかった。
やっぱりあっちの世界への移動は、魔王様の力があってのことらしい。
あちらの世界への穴がずっと残っていれば、いつでも行けるのになぁという淡い期待はあっさりと裏切られてしまった。
「はふ。残念」
ちょっと溜息。ついで深呼吸。
草の匂いを含んだ空気が肺いっぱいに広がり、ああ戻ってきたんだなと実感した。
「すごい、ホントに誰も気付かないや」
丘を駆け下り、お昼過ぎのニーデンドディエスの街を歩いてみる。
あんなことがあって、街の様子はちょっと変わっていた。
冒険者の姿がいつもよりずっと増えていて、おまけに彼らを相手にする商人も集まってきたこともあって、街はどこも人で溢れかえっていた。
そんな雑踏の中を最初は念のために頭の角を手で隠そうと歩いていたあたしだけれど……隠せるかっ、こんなもん!
困ったことにあたしの角はオーソドックスなオーガタイプの角じゃなく、ヘラジカみたいな広がりのある角だった。
そのくせえらく軽い。
手で触ってみて「ああ、あるな」って思うけど、普段はまったく気にならない。魔王様曰く、あたしの回避能力にも干渉しないよう気を配った逸品らしいけど、そもそも角なんてつけるなと言いたかった。
とにかく角が生えた人間なんて存在するわけがなく、見つかったら確かにただでは済みそうにない。
でも、魔王様の呪文のおかげで角どころか、あたしの存在そのものに誰も気が付かないようだった。
たまたまあたしとぶつかった人が、不思議そうな顔であたりを見渡すにいたって、呪文の効き目を確信した。
となると、ちょっと街を出歩きたくなるのが人の情ってもんじゃないかな。
魔王様は素早く魔族の里へ向かえって言ってたけど、少しぐらいいいよね。
というわけで、まずはあたしたちの家に向かった。
もしかしたら勇者様があちらの世界からもう戻っているかもと思ったけれど、中には誰もいなかった。
ただでさえ殺風景なのに、
テーブルには、すっかり冷めてしまった紅茶の入ったカップふたつが、戻ってこない主を待ち続けていた。
さらに床には、落ちて割れてしまったカップの破片が散らばっている。幸いにも拾い集める時間が今は十分にありそうだ。
あたしは箒とちりとりを持って来ようとしたけど、途中で気が変わって手で拾い集めることにした。
欠片をひとつひとつ拾い上げるたび、みんなとの想い出が蘇ってくるんじゃないかって思ったからだ。
そしてそんなことを考えていたからか、欠片をゴミ箱に捨てるのを躊躇ってしまう。
仕方ないので、冒険中に拾ったぴかぴか光る石とか、とある国の大臣からモンスター退治のお礼としてもらったメダル(ただし何故か現金化できない)なんかを入れてある箱の中にしまうことにした。
次に向かったのは、アリサさんの服飾ショップ。
相変わらず閑古鳥が鳴いていて、お店の奥でアリサさんがちくちくとなにやら裁縫をしていた。
こういう時のアリサさんは驚異的な集中力で、お店にお客さんが入ってきても気付かない。でも、さすがに目の前であたしが面白い顔をしているのに、一切見向きもしないんだから、例の呪文はますますホンモノだ。
よし、これはタダ風呂のチャンスですぞ!
って、もともとそのつもりでやってきたんだけどね。
話しかけると呪文の効果が切れてしまうそうなので、心の中で「アリサさん、お風呂借りますよー。ありがとーございまーす」とお礼を言って脱衣場へ。
ぽんぽんとメイド服を脱ぎ捨て、ほかほか湯気を立ててる湯船へざぶんと飛び込む。うんうん、今日もいいお湯加減ですよ、アリサさんぐっじょぶ。
ところがお風呂からあがると、脱ぎ捨てたメイド服がまだ籠の中に放りこまれたままだった。
むぅ、前言撤回。いくら仕事に集中していると言っても、クリーニングを忘れるとは何事ですかっ!
と、ひとりで盛り上がるのも無理がある。
うん、分かってるよ、あたしが見えないんだもん。クリーニングされてなくて当たり前だよね。
お風呂からあがったら、薄汚れたメイド服が新品みたいにぴかぴかになって折りたたまれている。そんなことがとてもありがたいことだったんだなと今頃になって気付いた。
その後もあたしはニーデンドディエスの街を歩き回った。
いつも渋い顔をしていることで有名な露天商の脇をくすぐって、大笑いさせてやったり。
いい匂いが漂うお店の調理場では、隠し味の爆裂茸を絶妙に処理する店主の巧の技に感嘆したり。
普段は到底入れない高級ショップにも足を伸ばした。
並べられている商品はどれも目が飛び出るほどの価格だったけれど、特に復活のクリスタルと呼ばれる激レアアイテムは1億エーンと桁が違っていて、思わず盗んじゃおうかななんて考えちゃったけど、触った瞬間電撃がビリビリとかなったらヤだなとやっぱりやめておいた。
そんなわけで、姿がみえないのをいいことに、好き勝手やってやった。楽しかった。
けれど、どこか寂しくもあった。
そうこうしているうちにやがてすっかり陽も落ち、夜の帳にニーデンドディエスが包まれる。
そろそろ魔族の里に行こうかと広場に向かう途中、大通りに面する復活の呪文亭から漏れ出す灯りに、あたしはふと足を止めた。
中を覗き込むと、今夜も商売大繁盛とばかりに大勢の冒険者たちが屯している。
豪快にお酒をかっ喰らう人、武器の手入れをしている人、テーブルにコインを積み重ねてポーカー勝負に興じる人、いつもと変わらない風景の中に、あの人たちの姿を見つけた。
気になって扉を開けて中へ。
するといきなりみんな一斉にこちらを注目してきたので驚いた。
え、あたしの姿、まさか見えてる!?
や、やばいぞ、今の私は魔王様が生やした角のおかげで見た目は魔物なんだ。それがこんな冒険者ばかりの酒場に入ってしまったら、まさにモンスターハウスならぬ冒険者ハウス状態。袋叩きは必至じゃん!
なのにすっかり透明気分で安心しきっていたからか、この思わぬ事態に体は硬直してしまう。
そんなあたしのところへひとりの冒険者が近づいてきた……。
「なんだ、誰もいねぇ。強い風でも吹いたか」
ひぃぃと震えるあたしの横を通り抜け、冒険者の人は扉の外を覗き込むと残念そうにそう言った。
途端にこちらを注目していた人たちもまた「ふぅ」と一息ついて、またお酒を飲んだり、トランプをしたり、たわいのない世間話へと戻っていく。
な、なんだぁ、あたしが見えていたわけじゃないのかよぅ。びっくりさせないでよ、もう。
「おい、ニトロ! 本当にそのハヅキって奴は戻ってくるんだろうな?」
でも続いて聞こえてきた名前に、あたしは落ち着くどころかさらにどくんと心臓が高鳴るのを感じた。
「ああ、間違いなく来るから大人しく待ってやがれ」
「ったく、時間がもう残されてねぇっていうのに何もたもたしてやがるんだ、そいつは。それからそこのお前!」
ニトロさんにからんでいた男が視線をその隣りへと向ける。
「お前があのツキガタだなんて、他の奴はともかく俺は信じてねぇからな!」
まるで酒場のみんなに聞こえるような大声で凄む男に、ニトロさんの隣に座るその人は全く動じる様子もなく平然と顔をあげた。
「ああ、僕が誰かなんてのはこの際どうでもいいことだ。信じたくなければ信じなくても別に構わない。だけど弟――ハヅキの力は信じるべきだ。魔王を倒して賞金を手に入れたいのであれば」
コウエさんだ。
「ドエルフ、君もわかっているだろう。普通にやっていたら魔王を倒すのは無理だ。だから君もレベルをそんなに上げながら今の今まで挑むことが出来ずにいたんだろう?」
「なっ!? お前、俺に喧嘩を売って――」
「僕たちはアレに勝てると思っていた。だけど考えが甘かった。アレはよっぽどイレギュラーな存在がいないと勝てない。僕たちみたいな凡人がいくら束になっても無理なんだ。それを君は分かっていたから、僕たちに協力しなかった。君のその冷静な判断力があの頃の僕たちにもあれば、と今でも思うよ」
「…………」
「でも、その君が今回は話に応じてやってきた。もちろんあの時とは違って、もう時間が残り少ないってこともある。だけどそれ以上に君は僕たちが話した弟の能力に、魔王討伐の可能性を感じとったからじゃないのかい?」
「…………」
「常に冷静沈着な君が勝機を感じ取っている……これは僕たちにとってとても勇気づけられることだよ」
「……ふんっ」
コウエさんの言葉に、結局男の人はそれ以上何も言わず、自分の仲間らしき人たちのテーブルへと戻っていく。
(ドエルフが冷静沈着って……お前、よくそんなことを真顔で言えるよな)
(ああいう相手は持ち上げてやると文句を言わなくなるから楽なんだ。ニトロも覚えておいたほうがいいよ)
その後姿を見ながらコウエさんとニトロさんがひそひそ話をしていた。
ニトロさんが「お前、それ高校生の言うセリフかよ?」と呆れつつ、「さて」と佇まいを正す。
「とりあえず知り合い連中には片っ端から連絡しておいた。まぁ中にはもう辞めっちゃった奴も多いから、これからどれだけ集まってくるかは分からん。ただ、ドエルフが正式に仲間になるというのなら、あいつ経由でそこそこ冒険者が来てくれるのは期待できる。ドエルフ自体を仲間にするのは癪に障るけどな」
「とにかく多くの人が必要なんだ。気に入る気に入らないなんていってられないよ」
「まぁなぁ。ただ本当に上手くいくかね、お前の考えた、弟さんのためにみんなが囮となって魔王に立ち向かうなんて作戦が」
「普通は上手くいかない。みんな自分が勇者になりたくて冒険者をやってるんだから」
「だよなぁ」
「だけど今回は違う。この戦闘に協力するだけで、賞金の分け前を貰えるんだ。どれだけ人が集まるかは分からないけれど、それでもたった一晩で手に入る額としては破格な金額になるだろう。ただし、それはハヅキが魔王を倒した時の話。倒せなければ一円も手に入らない」
「だからみんな作戦に従うってか?」
「魔王の強さを知っている者なら、今更自分たちが何をしたところで倒せないってのはみんな分かっているはずさ」
そういう意味では丘の上でハヅキが魔王と戦ったのはいいデモンストレーションになった、とコウエさんは苦笑いを浮かべて言った。
なるほど、確かにあの戦闘で魔王様とまともに戦えたのは勇者様だけだった。
他の魔王様に襲い掛かっていった冒険者たちもそこそこレベルが高い人たちばかりだったんだろうけど、どれも赤子の手をひねるかのように軽くあしらわれていたっけ。
アレを見ては自分で魔王を倒そうなんて思う人はそういないはずだ。
「それにもう時間がない。文字通り一回限りの大勝負。それを自分のエゴで台無しにしてしまおうなんて、考えても行動するのはなかなか難しいと思うよ?」
「そう、だといいんだけどな」
コウエさんの話に今一つ納得しがたい感じで答えるニトロさん。
その時だった。
「ハヅキだ! ハヅキが来たぞ!」
外から誰かの声が聞こえてきた。
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