第57話:お別れの時
「えっと、こ、こんにちは。生徒会長代理を務めさせていただいてます、
イサミさんの言った十分後から遅れること七分。
なんとか心を落ち着かせて窓辺に立ち、みんなに呼びかけるミズハさんの第一声は、やや緊張気味だった。
まぁ、無理もないと思う。
建物の二階から見下ろす先には、地面を覆い尽くすほどの人、人、人。
男の人も、女の人も、中には明らかに周りよりも年上と思われる人物からも一斉に注目を浴びせられるんだから、そりゃあ緊張のひとつやふたつするだろう。
「……ふぁ、スゴイね、こんなに集まってくれたんだ。ありがとう」
それでもすぐミズハさんはいつも通りの調子を取り戻すと、感謝の意をお辞儀で表す。
拍手喝采で応えてくれたみんなにミズハさんは微笑むと、収まるのを待ってから静かに話し始めた。
「昨年、私たちは大きな失敗をしてしまいました。みんなにはすごく迷惑をかけてしまったと思います。ほんとうに、ほんとうにごめんなさい。……そしてありがとう。あの日から今日まで私が押し潰されず、生徒会長代理という大役を果たすことが出来たのはすべて、みんなの暖かい応援のおかげです」
今度はさっきよりもずっと深く頭を下げるミズハさん。
おかげでミズハさんの首から掛けられた、あたしたちの入った金属板も大きく揺れる。
外の騒ぎとは全く別の意味で、あたしたちも大混乱だ……あ、ウソつきました、騒がしいのはあたしだけで、魔王様はいたって平然と宙に浮いてます。そんなのズルイよ、魔王様っ!
「正直な話をするとね」
あたしがぎゃーぎゃー騒ぐのが聞こえたのかもしれない。
ミズハさんは頭をあげると、あたしたちの入った金属板ごと、右手をそっと胸に置いた。
「私はあの数日のことを、もうあまり覚えていません。なんだか酷い悪夢を見ているような感じで、あんなことは早く忘れたいと記憶を封印しちゃったんだと思います。きっと私みたいな人は多いんじゃないかな。だって嫌な記憶を引きずりながら毎日を笑って過ごせるほど、私たちは器用じゃないもんね」
ミズハさんの指の隙間から、集まった人たちの反応が見える。
みんな先ほどまでとは違って、静かに耳を傾けていた。
「でも、中には失敗を忘れることすらできない、もっと不器用な人もいるんだよ。そう、彼は本当に不器用なんです。だって、なんでも自分ひとりで背負い込んで、ひとこと助けてくれってお願いすら出来ないんだもん。呆れるよね? ……だけど、だからこそ!」
見上げるとミズハさんはとてもすっきりした顔をしていた。
まるで雲ひとつない晴天のような、爽やかな笑顔だった。
「そんな不器用な彼の力になってあげたいと、私は思いました。大失敗をして、さんざん周りに迷惑をかけて、逃げ出したとしか思えない行動を取ってはいても、その結果、自分の不器用さ、弱さに気付けたのなら、私は彼を許してあげようと思います」
金属板がぎゅっと胸に押さえつけられる。
「だからみんなも許してあげてください……なんて虫のいいことは言えないよね。ただ、どうか、彼の償いに力を貸してあげてくれないでしょうか。だって、去年の学園祭の失敗を今年の学園祭の大成功で挽回するって、それは彼だけの夢じゃない。私たちみんなの夢だと思うんですっ!」
わっと歓声が上がった。
ミズハさんの言うように、きっと誰もが学園祭の失敗をどこかで取り戻したいと思っていたのだろう。今度こそ学園祭を成功させるんだって気持ちがどれだけ強いかは、聞こえてくる歓声からもよく分かる。
でも、学園祭の成功には『魔王様のゲーム』の賞金が必要なわけで。
そしてその賞金を手に入れるためには……。
「キィ、そろそろ行くぞ」
魔王様が小さな窓に足をかけながら、あたしに声をかけてくる。
わいふぁい? とかなんかよく分からないけど、そういう奴で出来上がった窓だ。
「あの、もうちょっと、だけ。せめてミズハさんにお別れを言ってから」
「うむ。気持ちは分かるが、もう我々は敵同士なのだ。いつまでも馴れ合うのはお互い辛いだけであろう」
敵同士……魔王様の言葉が胸をぎゅっと締め付けてきた。
☆☆☆
「まだ私に隠し事、してるよね?」
それはミズハさんが恥ずかしさのあまり床にしゃがみ込み、「号令なんてかけれないよぅ」と泣き言を言っていた時のことだ。
なんとか大河さんの謝罪と説得と懇願が功を奏し、仕方ないなぁと立ち上がろうとしたミズハさんが「あ、そうだ」とふいに何かを思い出したかのように顔を上げて問い詰めた。
「は、なんだそりゃ?」
だけど勇者様は何のことか分からないといった具合に戸惑った様子で答える。
でも、あたしからは折って数え始める指が見えてしまった。
ちょ、ちょっと勇者様、指を数えるってそんなに隠し事してるの?
てか、ミズハさんにも気づかれてるし! 顔が引き攣っているのに気づこうよぅ。
「あのね、私、知ってるんだよ。大河君がゲームをクリアしたいもうひとつの理由、ううん、どうしても魔王さんを倒して取り戻したいって思っているものがあるって言ったほうが分かりやすいかな?」
「え? えーと、それはまさか……」
「この、浮気者!」
「浮気じゃねーよ! あいつは、キィは……」
「へぇ、キィちゃんは何かな? そこのところ、ちゃんと教えてくれるかなっ、大河君?」
うはぁ、ミズハさん、むっちゃ怖い。
それよりも勇者様、そこはちゃんと言ってあげてくださいよぅ。「俺にはミズハしかいない。キィなんて単なるメイドにすぎない」って。あたしはそれで充分ですからっ。
とゆーか、「すまん、ミズハ。俺はどうしてもキィのことが」とか言われても、あたし、バカタレな勇者様なんてマジ勘弁ですよ?
「えーと、そ、そうだ、あいつをからかうと面白いんだよ。うん、そう、あんな面白いヤツを魔王なんかに渡しちゃいけないんだ。もし仮にだぞ、魔王がキィに後を継げなんて言ったら、あの世界がお笑い大魔王に支配されちまうじゃないか」
おい、誰がお笑い大魔王だっ! ふざけんな、勇者様、ちゃんとしろ!
「はぁ……」
ほら! ふざけた答えにミズハさんも呆れてため息ついてるじゃん!
「……大河君?」
「な、なんだよ?」
「私も、からかうときっと面白いよ?」
「……へ?」
「なんせ学校に来れなくなった誰かさんを想って一生懸命に策を練ったというのに、全部骨折り損のくたびれもうけに終わって、おまけにすっかり騙されちゃう人だからね。ね、面白いでしょ?」
「え、えーと、あはは、そうだ田中ぁ、お前に借りてたジュース代返すわぁ」
そしてすたこらさっさと逃げ出す勇者様。
へたれだ。
「へたれだね」
ふたりして呆れ、次いでふたりとも吹き出してしまう。
「ホント、大河君みたいなのが元ご主人様だなんて、キィちゃんも大変だったんだねぇ」
「分かってくれますか!?」
ええ、大変っていうか、とんでもなかったよ、実際の話。
「でも、ミズハさんだってあんな人が恋……あ、いや幼馴染だなんて大変ですねぇ」
「分かってくれる!?」
ええ、分かりますとも。こんな運命を時々呪いたくなるその気持ち。
「おかげで私、今とっても複雑な気持ちだよ。魔王さんを倒したい。みんなで魔王さんを倒して、その賞金で今度こそ最高の学園祭をやりたい。でも、そうするとキィちゃんは大河君のところへ戻ってくるわけで、それはそれでなんだかちょっぴり悔しい」
あ、ごめんなさい。その気持ちは全然分からない。
だって、あたしは勇者様のことなんてこれっぽっちも……。
「あー、お取り込み中のところ、大変申し訳ないが、二人ともいいだろうか?」
と、そこへ魔王様がひょいと顔を覗かせた。
「あ、魔王さん、いつの間にこっちに来たの?」
「うむ、勇者が現われるあたりからばっちりと見せてもらったのだが……まぁ、それよりもお前たち、ひとつ大切なことを忘れてはおらぬだろうか?」
「大切なこと?」
はて、一体なんだろう?
「余は世界を継続させるよう神を説得する為に、この世界へやってきたのだがな」
「うん、そうだったね……って、え? もしかして魔王さん、運営を説得できちゃったの?」
魔王様を討伐して一千万ウハウハで話が進んでいただけに、ミズハさんの動揺は大きかった。
対してあたしは、というと
「いたいイタイ痛いー、頭もげちゃう、やめてー魔王様―っ」
ミズハさんよりも早く「あ、忘れてた」なんて呟いたおかげで、魔王様にむんずと頭を鷲掴みされて、空中高く持ち上げられていた。
「ふっ。そこは喜べと言うのもおかしな話であるが、交渉は低調である」
魔王様は冷静に失敗を告げる。
でも、口調ほど冷静でないのは、あたしの頭を握る手の様子から伝わってきた。
どんどん力が入ってくる上に、なんだか急激に熱くなってきてるんですけど!
ちょっと!? もしかしてこの状態でエネルギー弾を打ち込むとかしないですよねっ、魔王様っ!?
「どうにも余が提唱する、魔王も魔族も人間も皆が平和に暮らす世界なんてのはゲームにならないそうでな?」
「うん、当たり前だね」
あたしもそんなのは遊びたくないよとミズハさんは付け足すんだけど……うわわわ、またあたしの頭を締め付ける手が一段と!
やめてミズハさん、これ以上魔王様を刺激しないで。
魔王様の怒りゲージはもうマックスよ! そしてあたしが死んじゃうよっ!
「どうしても敵対関係は必要であるらしく、まともに成立していない今の状況では終わらせるしかないそうだ。実に身勝手な話である」
うん、そんなことで終わらされちゃかなわない。
てか、その前にこんなところで終わるわけにもいかない。
あたしはじたばたと手足をやたらめったらに動かして、必死の抵抗を試みた。
「かくして一度体勢を整えるべく、こちらにきたわけであるが……だが、こちらがこんな成り行きを見せているとはな。お前たちの意地が余を貫く可能性は限りなく低いと見ておったが」
何故か面白そうに口元を釣り上げる魔王様に、ミズハさんは戸惑いを隠せない。
いや、魔王様の様子だけじゃなく、その口から漏れた未来のひとつの形に、あえて見ないでおこうとした心が揺さぶられたのかもしれない。
「魔王さん、私……私たち……」
「ふ。ミズハよ、お前の心が揺らいでいては、せっかく集まった連中を鼓舞することもできぬぞ?」
「……うん」
「拝見させていただこう、お前たちの力を」
相変わらず強気の微笑を見せる魔王様の右手が、ついにばすんと弾けた。
同時にどすん、とあたしは床に落とされる。
お尻は痛かったけれど、痛いと感じるってことはまだ生きているってことだ。ううっ、酷いめにあったけど、生きているって素晴らしい!
「えっ!? キ、キィちゃん、それって……」
ところがミズハさんはあたしのことで何か驚きのご様子。視線の先を辿って頭を手探りでさすってみると……あれ、ホント、なんだこれ?
「ちょ、ちょっと、魔王様っ。これ、これまさか、つ、つ」
「うむ。よくよく考えてみれば、キィは余の奴隷であり、魔王の奴隷であるということはやはり魔族でなければならぬ。であるからして」
魔王様があたしの頭からにょきにょきっと伸びた、あまりに立派すぎる二本の立派な角を、うむと見下ろした。
「魔族にする呪いをかけた。解除するには勇者に助けてもらう以外に他はない類の、な」
エネルギー弾よりずっと性質の悪い攻撃に、あたしは頭を抱えるのだった。
☆☆☆
あたしたちの決別を暗示するように、歓声が次第に遠ざかっていく。
ミズハさんに別れを告げることなく、金属板の世界から出たあたしたちは、まるで夜の小川のような暗い世界を泳ぐように進んでいた。
「勇者たちがかくも状況を覆してくるとは、まったくもって想定外であった」
想定外と言いつつ、あたしの手を引く魔王様はどこか嬉しそうだ。
「こうなった以上、我らがこちらの世界にいては奴らもやりにくかろう。なに、しばしの別れだ。またすぐに会うことになる。悲しむことはあるまい」
でも、次出会う時は、魔王様と勇者様達はお互いに敵同士なわけで。それにミズハさんは存在そのものを神様に消されてしまっている。もう二度と会えないのかもしれないと思うと、やっぱり悲しかった。
最後にちゃんとお別れを言いたかったな……。
魔王様の言葉は分かるものの、なかなか納得できない感情を抑え、あたしは精一杯泳ぐ。
小川の世界には無数の窓が開いていた。それらを器用にかわしながら、とある窓に辿り着く。中の様子を眺めてみると、ほんの数時間前のことなのになんだか懐かしい、あの悲劇の丘が見えた。
「キィよ、先に戻っておれ」
ところがあたしたちの世界への窓を前にして、魔王様が突然そんなことを言い出す。
「へ? 魔王様はどちらへ?」
「なに、野暮用である。すぐに余も戻るから安心するがよい」
加えて街の広場に、魔族の里直通の「移動ゲート」を密かに設置したことを教えてくれると、さらになにやら呪文を唱えてきた。
「ふむ、これでいい。すでにキィは魔族であるからな。人間に見つかっては何かと騒ぎになろう。今唱えたのは、周りの人間がキィの存在に気付かなくなるというものだ。お前が誰かに話しかけない限り、呪文の効力は継続するが、キィのことだ、どんなトラブルに巻き込まれるやもしれぬ。あちらに戻ったら速やかに魔族の里へ行くがよい」
誰のせいでそんな面倒なことになったんだと文句のひとつやふたつ言いたかったのに、魔王様はすぐに弾丸のような速さで泳いでいってしまった。
多分、さっきはあたしを考慮してスピードを抑えていたんだろう。ホント、変なところで優しい人だと、生えたばかりの角をさすりさすりしながら思う。
とにかく、今は言われたように元の世界に帰ろう。
こんなところに残されて、ミズハさんのところへ戻ることはおろか、下手に動き回ったら元の世界への窓すら見失ってもおかしくない。
また、いつか、こっちの世界に来ることもあるのかな、あるといいなと思いながら、窓に手を掛けた時だった。
「よし! 魔王を倒すぞ、みんなっ!」
どこからかそんな声が聞こえたような気がした。
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