第23話:再戦①
魔王様の魔物薀蓄を聞いているうちに、いつの間にかあたしはうつらうつらしていた。
だから魔王様が立ち上がった時もぼんやりとしていて、いつの間にか辺りの空気が張りつめていたことに、ふたりが相対するその瞬間まで気がつくことが出来なかった。
「もういいのか、勇者よ?」
「ああ、待たせたな、魔王」
見ると首元から両肩にかけての筋肉が盛り上がり、ド迫力な体格に成長した勇者様が、魔王様と対峙している。
その体つきはついに勇者様が冒険者の究極である、レベルマックスの99にまで登り詰めたことを雄弁に語っていた。
「すごい……」
あのロクデナシ勇者様とは思えないぐらいの変わりように、あたしは眠気も吹き飛んでごくりと唾を飲み込む。
今まで出会った冒険者の中にも筋肉自慢の人は大勢いた。
でも、ここまで筋肉隆々な人は見たことがない。
かつての仲間であった肉達磨傭兵のギダンさんですら、今の勇者様と比べるとまるで子供だ。
「では、これを受け取るがいい」
魔王様が手にした大剣を鞘ごと勇者様に放り投げる。
「へぇ、気前がいいじゃねぇか」
勇者様は片手で受け取ると鞘から抜き取った。刃こぼれひとつない綺麗な刀身が、沈みゆく陽の光を反射して赤く輝く。
それは紛れもなくかつての勇者様が愛用し、復活した頃には持ち上げることすら出来ず、魔王様に奪われてしまったあの大剣だった。
「なに、『あの剣が無かったから負けた』なんて言い訳をされても困るからな」
「せいぜいほざくがいい、魔王。もうすぐその軽口を永久にたたけなくなる!」
勇者様が大剣を両手で構えて吼えた。その気合が刀身に伝わり、迸る力が湯気のようにゆらゆらと立ち昇る。
一体どれだけの攻撃力があそこに秘められているのか、あたしには想像すら出来ない。
ただ、それが魔王様に向けられていることだけは分かる……。
「や、やめようよ、勇者様ぁ」
あたしは恐れていた事態に慌てて止めに入った。
だから言ったんだ、力を付けた勇者様が魔王様に反逆をくわだてるって。
こんな穴場につれてきてくれてありがとう、そのお礼に魔王の野望成就に付き合うね、なんて殊勝な考えを勇者様は持ち合わせてないって。
なのに魔王様ったら、何が「想定内だ」だよ。
勇者様はシリアスモードに入ってるわ、事態は最悪な状況になっちゃってるわで最悪じゃん。
あたしはてっきりなんだかんだで勇者様をコントロールする隠しアイテムでもあるのかなぁって思ってたのにっ!
ああ、もうなんとかしなきゃ。
「そ、そうだ、勇者様! こんな状況で魔王様を倒しても勇者様の英雄譚に傷が付くんじゃないですかねぇ?」
勇者様がピクリと眉を動かせた。
ビンゴッ! さすが勇者様、いくら強くなっても世間体を気にする小心なところは相変わらずっ!
「だってねー、考えてもみてくださいよ。勇者様は魔王様に復活させてもらった上に、さらにこうして経験値稼ぎの穴場まで教えてもらったんですよ。おまけに一度奪われたステイタスカードも大剣も返してもらって。いかにもお情けを掛けられたって感じじゃないですか」
さらにぴくぴくっと勇者様の眉毛が動く。
いいぞいいぞ、効いてる効いてる。
「ここはですね、借りを返す意味でも魔王様にも時間をあげてはどうですか? 魔王様だってきっと勇者様がこんなに強くなるとは思ってもいなかったけど、引くに引けなくて困ってるハズですよ? そこを一度見逃してあげるのも勇者様の器ってものじゃないかなぁ」
よし、決まった。これでちょっとは時間稼ぎしたぞ。
あとはここから何とか和睦に持ち込む手はずを……。
「ダメだ!」
「……へっ?」
「キィ、お前は誰に向かって偉そうなことを言ってるんだ!? いいか、今は魔王を倒す絶好のチャンスなんだぞ、それを逃す手は無いだろ!」
「え? いや、でも、世間体というものが……」
「そんなの、お前がバらさなければ問題なかろうが!」
あ、しまった。そういやそうだ。
「いやー、でも、あたし、口軽いからなぁ。ついしゃべっちゃうかも。ギルドの広報担当者さんとかに」
「そんなこともあろうかとお前サイズのボールギャグを購入済だ。安心しろ!」
やだ、ボールギャグはやだよぅ。あれ、フガフガしか言えないもん。
てか、この人たち、なんでそんなにボールギャグが好きなの? ふたりしてそういう性的嗜好があるの?
「話は決裂のようだな。では勇者よ、始めるとするか」
いつの間に移動したのか。魔王様があたしたちから少し離れた場所からくいくいっと人差し指を動かし、勇者様を挑発する。
それを見てニヤリと嗤う勇者様。
イヤな予感が最大限に膨らんでいく――。
「うおぉぉりゃああああ!!」
あたしが止めるヒマもなく、勇者様は気合の雄たけびと共に魔王様に向かって走り出した。
走りながら大剣を大きく振りかぶり、全身の力を刀身に込める。
対して魔王様は特別何か構えるわけでもなく、涼しげな表情で突っ立っていた。
でも、眼を凝らしてよく見ると、魔王様の前方の地面からゆらゆらと蜃気楼のような湯気が立ち込めている。
それが魔法障壁なのは私にも分かった。
「そんなもの、ぶっ壊してやるっ!」
勇者様も気付いたのだろう、剣先が魔王様に届くか届かないかという辺りで大剣を一気に振り下ろす。
ガッ!
最初は鈍い音。
が、すぐに魔法障壁は悲鳴をあげはじめた。
ガチガチガチガチガチガチガチ!!!
火花が舞い散る、剣と魔法障壁による力と力の凌ぎ合い。とてつもない力のぶつかり合いが不協和音となって辺りに鳴り響く。
その音に思わず顔を顰めるあたし。
でも、瞳は切って落とされた戦いの幕開けにすっかり釘付けだった。
「おっ?」
不意に魔王様が驚いたような表情を見せた。
するとそれが合図だったかのように、勇者様の大剣が当たったところから無数のヒビが魔法障壁に走る。
「うおおおおおおおおお!!!!」
勇者様がさらに力を入れるとヒビはさらに広がり、次の瞬間、
大地が、震えた。
魔法障壁がまるで床に落としたガラス細工のように粉々に砕け散り、勇者様の大剣が魔法障壁をぶち壊した力を籠めたまま、地面を強かに打ちつけたからだ。
見えたのは舞い上がる砂埃。
感じたのは轟く大地。
地面が揺らぐ中、勇者様を中心にして舞い起きた砂嵐が円周状に広がり、やがてあたしにまで達する。
小さな小石交じりのそれにあたしは思わず顔を両手で隠し、体全体を小さく縮こませて通過するのを待った。
「うっひゃあ! 我ながらスゲェ!」
目を塞ぐあたしに、やがて勇者様の悦に入る声が聞こえる。
もう、一体何が凄いんだよぅ? こっちは全身砂だらけだし、小石が当たった腕は痛いし、とんだ災難だよぅ。
砂嵐が完全に収まるのを待ってから、恐る恐る両目を覆い隠していた手を開いた。
「うわっ、スゴ!」
目に飛び込んできた光景に、驚かずにはいられない。
だって、勇者様が振り下ろしたままの剣を中心に、地面が激しくえぐられていたんだもん。それはまるで地面に隠しておいた爆発系のトラップマジックが発動したかのようで、しかも発動イコール即死レベルの規模のものだ。
これを勇者様が、しかも魔法じゃなくて剣を叩きつけただけで引き起こしたなんて、俄かには信じられない。
そうだ、もしかしたら、魔王様が予め仕込んでおいたトラップなのかも……。
でも、その予想が外れているのはふたりの様子を見れば明らかだった。
「うわっはっはっ! どうだ驚いたか、魔王!」
じゃらりと音を立て大剣を地面から引き抜き、柄をさらに力強く握り締める勇者様。
「…………」
対して魔王様は何も言わず、ただ顔をわずかに強張らせている。
勇者様がここまでパワーアップするのは、さすがに想定外だったのかもしれない。
いや、それどころか命の危機を感じているのかも。
ドラコちゃんと戦った時ですら余裕を感じさせていた魔王様なのに、その表情がこれまで見たことがないぐらい歪んでいる。
ああ、よくない。その表情はよくないよ、魔王様っ。
「わっはっは。さすがの魔王もビビってるな!」
ほら、やっぱり勇者様が増長した。
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