第5話:生き残りたい

「様々な呪文の複合詠唱ゆえに、究極魔法の発動には余でも三分近く時間がかかる。おぬしの能力を侮るわけではないが、死にたくなければ詠唱中に余を攻撃し、止めてみせるのが唯一の手段であろう。用意はいいか、勇敢な人間の娘よ?」

「お、おっけー」


 それまでと全く変わらない魔王の声に比べて、あたしのは明らかに震えていた。

 だって、魔王だよ、魔王。

 世界の絶対悪にしてラスボス。伝説級の冒険者たちの挑戦を軽く退けてしまった、まさに暴力の権化。本来なら魔王城でどっしり構えているべき存在が、何故か今ここにいて、しかもあたしなんかに究極魔法を唱えようとしている。


 ……うん、死んだ。


 さっきまでなら避けられるはずだと信じていたけど、相手が魔王と知ってしまった今、そんな楽観思考はどこかに吹き飛んでしまった。


「では、詠唱を開始する。健闘を祈っておるぞ。くっくっく」


 言葉とは裏腹に邪悪な笑いを残して魔王は目を瞑ると、高音と低音を同時に発音するという、まるでひとりで合唱しているような詠唱を始める。

 とても不思議な音調で、思わず聞き入りそうに……って、いけない、いけない、やることやらなきゃホントに死んじゃうヨ。


 かくしてあたしは魔王に背を向けると、洞窟の入り口向かって一目散に駆け出した!


 逃げるのかって? 

 ああ、逃げるよ、逃げますとも。

 逃げちゃ悪い? 

 だって相手は魔王なんだよ? 魔王なんかとまともに戦えるわけないって。だってあたしはただのメイドなんだもん!


 おあつらえ向きに相手は目を瞑っている。睨まれてロックオン状態ならばともかく、今ならたとえボス戦といえども逃げられるはずだ。


「魔王さん、ごめんなさい。お先に失ふぎゃー!」


 が、全力疾走していたあたしは見えない何かにぶつかって、したたかに顔面を打ちつけたっ。


 痛いー! なんなんだよ、もう!


 もんどり返りつつ、何にぶつかったのかを確かめようと目を凝らす。

 その目に絶望的な光景が飛び込んできた。

 なんてこった、魔力で造られた透明な壁だ。

 ぱっと見は分からないけれど、よく見ると魔力が七色の光を発して壁を築いている。

 

 どうしよう、考えが見破られていた!

 振り返って魔王を睨むと、相変わらず目を瞑って呪文を唱えつつ、ニヤニヤと嗤っているのが見える。


 詠唱が始まって既に一分ほど経っていた。


「うわわわ、どうしようどうしよう、本当に死んじゃうよぉ!」


 バチッ!


 その時、近くで不意に空気が小さく弾けた。

 何かがあったわけじゃない。にもかかわらず突然、小さな爆発が起きた。


 バチッ! バチッ!


 すると洞窟のあちらこちらで同じように小さな爆発が立て続けに起き始めた。

 弾ける音がやがて幾重にも重なって、広い洞窟に反響する。

 さすがにここまでくると、この怪奇現象が魔王の呪文によるものなんだって分かった。


 同時に魔王が何をやろうとしているのかに気が付いて愕然とする。


 これまで魔王が放った攻撃は、それぞれ形状は違ったものの、向かってくる様子が見て取れるものだった。

 だからあたしは避けられたり、隠れたり出来たんだ。


 では、目に見えない、発動と同時に攻撃が成り立つ「爆発魔法」だったら、どうだろう?

 

 答えは言うまでもない。魔法が影響しないエリアに退避する以外、避けるのは不可能だ。

 なのに魔力の壁で閉じ込められたあたしには、もはや逃げ道なんてない。

 きっと魔王が呪文を唱え終えた時には、空間そのものが爆ぜることだろう。そのような中であたしが生き残れる可能性なんて……あるわけなかった。


「うわん! もうやぶれかぶれだ、コンチクショー!」


 あたしはほんの数分前とは逆方向に向かって走り出した。

 目指すは魔王、ただ一人。

 目的は魔法の詠唱を中断させること。

 

 思えば詠唱に入る前に魔王がご丁寧にも忠告してくれていたのだけれど、あの時は逃げることで頭がいっぱいで、攻撃しようなんて考えもしなかった。

 出来るのなら過去の自分に「人の忠告はちゃんと聞きなよ」と言ってあげたい。

 いや、それよりもさらに時間を遡って「調子に乗って魔王を挑発するなよぉ、あたしのアホ!」と怒鳴りつけるべきだな、うん。


 そんなことを考えているうちに魔王との距離はもう目と鼻の先だ。

 あたしは走りながら後ろ手に、腰に差した得物を抜き取る。

 そして詠唱に集中している魔王に向かって、目にも留まらぬ連続攻撃を繰り出した!


 パタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタ!!!


 ご覧ください、あたしの『はたき』のおかげで、魔王の衣装がかくも美しく!


 って、綺麗してどうするよ、あたしィ!?

 レベル60になってもいまだにSTR腕力が3のままで、装備できる武器が初期装備の『はたき』だけという、勇者様のふざけた育成プランが今、あたしを完全な窮地へと追い込んでいた。

 

 あのクソ野朗、地獄で会ったら絶対殺しちゃる!


「ああ、もう、こうなったらアレしかないっ!」


 必殺技、対男性用禁じ手・通称『股間蹴り』発動!

 

 魔王の股間に向けて大きく右足を振りかぶる。

 と、魔王の左手があたしに伸ばされているのが見えた。

 タイミング的には……うん、大丈夫、魔王の左手に捕まる前に股間を蹴り上げることができるはずだ!


 でも、どういうことか、股間を蹴り上げてもここで左手に捕まったら、本当に全てが終わってしまうと本能が警鐘を打ち鳴らしてくる。

 どうして? ここで捕まらなくても、呪文の詠唱が完了したら間違いなく殺される。

 爆発魔法によって、避けることも出来ないまま爆死させられると言うのに。


 ……って、ちょっと待て。

 本当に魔王はあたしを爆死させるつもりなのかな?


 ふと、脳裏に閃きが走る。

 確かに空気があちこちで爆ぜる状況は、魔王による爆発魔法の詠唱を示している。あたしを逃がさないために、ご丁寧に魔法の壁まで造るほどだ。

 だけどいくら炎の攻撃が悉く避けられたからって、ならば広範囲攻撃の爆発魔法で仕留めようなんて、魔王がそんなみみっちいことを考えるかな?

 避けられれば避けられるほど、攻撃を当てて仕留めないとプライドが許さないものなんじゃないかな?

 

 そう考えると、詠唱に入る前のあの言葉の真意が分かってきた!


 攻撃してみせろとは、つまり近付いて来いということ。

 そして近付いてきたあたしに伸ばされた左手の意図は……言うまでもない!

 あたしを捕まえ、避けられない状態で得意の炎魔法を食らわせるためだ!!


「うわわわ、こんなところで死んでたまるかぁ!」


 股間を蹴り上げようとした右足を強制キャンセルし、思いっきり後ろにジャンプする。

 あたしを捕まえようとした魔王の左手が、あともう少しのところで空しく宙を舞った。

 瞑っていた目を見開いた魔王と目が合う。

 距離を取ろうとするあたしに、少し驚いたような、それでいて感心したような表情を浮かべる魔王。


(やるじゃないか)


 そんなことを言われている気がした。


(こんなミエミエのフェイクにあたしがひっかかるとでも?)


 内心では「やった! やったよぅ、おかーさーん!」と大喜びしたい気持ちをぐっと堪え、さも当たり前かのようなポーカーフェイスで応えながら地面に着地する。

 我ながらカッコイイ見せ場だった。


 なのに。

 だとゆーのに。


 ぐおおおおおおおおおおんんんんん!!!!


 また何の予兆も無く、地響きと共に洞窟が激しく揺れた。


「うおっとっとっと!」


 おかげであたしは不恰好にもバランスを崩す。

 なんなんだよ、もう。せっかくの決め時なのに、これはないんじゃないの?

 てか、あわわわ、足元が揺れて。揺れて。揺れるうううぅぅぅ~~~。


「うわん!」


 今まで以上に激しく揺れて、足元がつるりと滑った。あたしはバランスを失い、後方へバンザイする格好で空中を舞う。

 あー、ここで転ぶって。完全に台無しだ。


 てか、あ、ヤバイ。この姿勢はマズすぎるぅぅぅぅ!


 慌ててスカートを押さえたのと同時に、後頭部に強烈な衝撃が走る。

  

 かくしてあたしは「きゅう~」なんてヘンテコな声をあげて、魔王の前で意識をあっさり手放したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る