第3話:思い出から始まる逃走劇
あたしが生まれる二十年ほど前の頃、世界中で勇者病の大流行があったそうだ。
勇者病――それはある日突然「オレ(わたし)、実は勇者だったんだ」って言い出して、冒険の旅へと繰り出してしまう原因不明の奇病。
道具屋のぐうたらな次男坊も。
貴族の箱入り娘も。
ヨボヨボのおじいさんから。
舌足らずな口調の幼女に至るまで。
老いも若きも、男も女も、さらには巨人さんや妖精さんみたいな亜人間までもが、最初は木の棒と旅人の服という装備で旅へと出る。
その数はどんどん増えていき、何百、何千、そしてついには何万という勇者病に侵された冒険者たちが世界中を駆け回った。
まさに世界は大冒険者時代だったんだ。
あたしはそんな時代の、様々な物語を聞かされて育った。
魔族を次々と退治した勇者様とか究極剣技を極めた剣聖様、まだ幼かった頃、ぬくぬくのお布団に潜り込んだあたしに、お母さんが語ってくれた寝物語にはどれもワクワクしたものだ。
でも、興奮しすぎて寝入ることないまま物語を最後まで聞いてしまうあたしは、ある日、とある質問をお母さんにぶつけた。
「ねぇねぇ、お母さん、お話に出てくる勇者様たちはみんなとても強いのに、どうして誰も魔王を倒してくれなかったの?」
実を言うと、その後に聞かされた話をあたしはよく覚えていない。
だって、あまりに怖くて途中で気絶するように眠ってしまったから。
すべての冒険者たちが立ち向かう存在――それが魔王。
無尽蔵な魔力を駆使し、片腕を振るうだけで冒険者たちを地獄の業火で焼き払い、両手を天にかざせば夜空の星すらも落としたと言う。
そんな魔王の前では、幾多の武勇伝を残した勇者様たちも成す術なく屠り去られたそうだ。
あわわ、怖い! 怖すぎるよ、大魔王!
それでもそんな魔王を倒すべく、数多くの人が勇者病を次々と発病していった。
だからいつか必ず彼らが魔王を倒してくれるはず。
あたしが生まれ育った村はド田舎の辺鄙な場所にあったけれど、それでも多くの人が勇者として旅立って行く度にそう信じてやまなかった。
うん、十年前までは、ね。
十年前。
時の大勇者ツキガタが呼びかけ、大規模な討伐軍が作られた。
狙うはもちろん魔王の首。数千人の冒険者たちが一斉に魔王城へ乗り込むという、歴史上類を見ない大ミッションだ。
この世紀の戦いに、あたしの村を拠点とする元猟師の冒険者が仲間と一緒に参加することになった。
出発前日の夜、彼が「絶対に魔王を倒してくるぞ!」と宣言して始まったどんちゃん騒ぎに、あたしはこれで世界は平和になるんだーと、子供心にとてもホッとしたのを覚えている。
そして大決戦から数日後、かの冒険者が戻ってきた。
あたしたちは――なんせド田舎だから、決戦の結果の情報が伝わってこない――みな朗報を期待して目を輝かせながら、彼の口から魔王討伐の成否を聞こうと押し寄せた。
でも、冒険者は何も覚えていなかった。
大決戦の結果どころか、自分が勇者病にかかっていた事もすべて。
覚えていたのは、自分がこの街で猟師をやっている、ただそれだけだった。
さらに数日後、あたしたちは決戦の大敗北を知る。
冒険者たちの大軍は魔王の前に一蹴され、勇者ツキガタはあえなく討死。多大な犠牲者が出て、命からがら逃げ出した者たちも大半が心を折られ、第二の討伐軍編成はまったく目処が立たないと言う。
完膚なきまでの大敗北だった。
勝利を信じていたあたしたちはもちろん落胆した。
そしてこの敗北を機に、ひとつの流行病が俄かに沈静化していった。
勇者病だ。
世界中で猛威を振るっていた勇者病が一気に収束し、発病者が激減した。
それどころか、勇者病を発病した者がある日突然完治する事態も、世界中のいたるところで見られるようになった。
彼らはかの闘いで街に戻ってきた猟師のように、冒険者としての記憶を一切失っていたそうだ。
こうして世界から多くの冒険者が消えて行った。
街の酒場から彼らの姿が少なくなり、冒険者ギルドのミッションボードに貼り出された案件がずっと解決しないまま放置されるようになった。
街の外にはモンスターが蔓延り、かつては冒険者たちの活躍によって安全が確保されたはずの森や洞窟も、再び奴らの住処になってしまった。
それはまるであたしたちの世界が、神様から見放されたかのような荒廃ぶりだった。
それでも今、世界はまだ続いている。
人々は心のどこかで魔王の闇におびえながらも、繰り返される日々をせめて楽しもうと懸命に生きている。
わずかに残った冒険者たちに、人々はもはやかつてのような希望を見てはいない。
かく言うあたしも世間のことが少しは分かる年齢に成長した今、彼らに世界を救って欲しいなんて願いはもう持ってないし、関わり合うこともないだろうなと思ってた。
でも。
「俺、実は勇者だったんだ!」
それは一年ほど前のこと。私が仕える伯爵様のご子孫が突然そんなことを言い出した。
昨今珍しい勇者病の発病だ。
あたしたちは「あの馬鹿息子が勇者なんて世も末じゃん」なんて言ってたけど、伯爵様はニートなドラ息子の発病に「勇者ならばモンスター退治の旅に出なければならんの」と大層喜ばれた。
そして高レベルな武闘派僧侶と女魔導士を高額で雇い入れ、旅のお供とした。
過保護だなぁと思うけれど、まぁ、ご子息の性格から考えると仲間になってくれる物好きもいないだろうから無難な判断だと思う。
うん、なんせこのご子息、バカだし、性格ひねくれてるし、おまけにエロい。
すれ違いざまにお尻を触るわ(偶然を主張)、女湯を覗くわ(疑惑調査中)、夜這いをかけるわ(未遂。本人は寝ぼけてたと否認)……おかげでお世話係のあたしがどれだけ苦労したか。我ながらよく我慢したもんだ。
しかし、そんな苦労も明日で終わりという、旅立ち前日の夜――。
「ええー! あたしも一緒に行くんですかー!?」
伯爵様に呼び出されたあたしは、トンデモナイ命令を受けた。
「いや、でもあたし、単なるメイドですし。旅のお供なんて、お邪魔になるだけですよぉ」
思わず、あんなご子息と一緒に旅するなんて死んでもイヤと本音が出かけたけど、それをぐっと飲み込み、至極まっとうな理由でお断りしようと試みる。
「そ、それにほら、勇者様のお供をするなら、ギルドが発行する『ステイタスカード』が必要じゃないですか。あの黒光りする、個人情報満載のヤツ。あたし、あんなの持ってないですし、これがないと冒険者として認められないんですよね?」
あたしはさらに「私が同行できない理由」を並べ立てる。
思い出したんだ。自称勇者のエロバカご子息が自慢げに見せびらかしていた、冒険者ギルド発行の不思議なカードを。
縦十五センチ、横五センチほどのそれは、カードにしては厚みがあって、大きさの割にずしりと重量感があるのは紙ではなく金属で作られているから。そして表面を撫でると不思議なことに発光し、持ち主の身体能力や技能などが映し出される。さらに各項目からの詳細なデータ参照も可能で、まさに情報の塊みたいなものだった。
なんでも旧文明の遺産からギルドが作り上げたそうで、これを持っていることがすなわち冒険者としての証らしい。
冒険者が各国を自由に闊歩出来るのも、ギルドが身分を保証してくれるこのカードあってこそだ。
しかもコレ、成長具合を『レベル』という具体的な数字で表現し、レベルアップで得られる成長ボーナスを各能力に振り分けたり、技能の習得を選んだりすると、なんと実際の体にも変化が起き、技能を身に付けているという優れもの。
一体どんな理屈かはさっぱり分からないけれど、ロストテクノロジー、まじパネェのだった。
まぁ、それはともかく。
今のあたしに重要なのは、このカードがないと冒険者にはなれないってこと。だからご子息のお供は無理ですよ、と訴えているわけなんだけど……。
「はっはっは、それなら心配ないぞ!」
部屋の片隅、ランプの明かりも届かない書架の物陰から、ここぞとばかりに登場したのは言うまでもなく件のバカご子息だった。
「お前のステイタスカードはもう制作済みだ、ひゃっほーい!」
そう言って懐からカードを取り出してあたしに見せてくる。
表面にはなんだか間の抜けたあたしの顔が映し出されていた。
「うわわわ、勝手にそんなの作らないでくださいよ! あ、ちょっと、見ないでぇ!」
バカご子息が唐突にカードを操作し始めるので、慌てて取り上げようとする。
でも、悲しいかな。このバカご子息、態度もでかいけど、図体もでかいんだ。
必死になって奪い取ろうとするあたしを軽くいなしながらカードを持つ手を高々と上げると、能力データを堂々と盗み見しやがりましたよ!
「なんだキィ、お前、ほんとに見たまんまの性能なんだなぁ。なんだ
「あたしはメイドなんですから『はたき』でいいじゃないですか!」
てか、冒険者の中では『はたき』も武器扱いなんだ?
「お? 次は身体データだ」
「うわー、やめてー、見ないでー! そこは見ちゃイヤー!」
そこは乙女の秘密なんだ、そんな簡単に見られてたまるかっ!
ええい、こうなったら最終手段、発動すんぞ!
あたしは思い切りバカの股間を蹴り上げた。
なんとも切なそうな苦悶の表情を浮かべて前のめりに屈みこむバカの手から、カードが滑り落ちてコツンと床で音を立てる。
すかさず拾い上げると、取り返されてなるものかと後ろ手に隠した。
「ぐぐぐ……貴様ぁ、いくらなんでもやりすぎだろぉぉ!」
「いやいや、やりすぎなのは、坊ちゃんの方ですよぉ。勝手にこんなの作って、あろうことか個人情報まで見るなんて。やりすぎです」
床で股間を押さえて涙目のバカに、あまりにおいたが過ぎると訴えますよと目で告げる。
でも、そんな訴えなんかどこ吹く風とばかりに、あたしには理解できない痛みから回復してきたバカご子息はふふんと笑うのだった。
あ、イヤな予感がする……
「まったく、お前は本当に浅はかなヤツだ。ステイタスカードが既に作られていたという意味が分かってないと見える」
イヤな予感がどんどん大きくなっていく。
「いいか、よく聞け。冒険というものはな、そりゃー大変なもんなんだ。灼熱の太陽が照り付ける砂漠、光も届かないような深い森、じめじめとしたダンジョン、時には稲光の荒野を行き、おまけに常時モンスターたちに襲われる危険性に満ちている。そのような時にだな、『いやん、服のサイズが合ってなくて自由に動き回れなーい』なんてことがあったら大変だろう?」
一息でそこまで言うと、激烈バカはクローゼットから一着のメイド服を取り出した。
「そこまで考えて、ほれ、お前のために『冒険者メイドクラス専用』のメイド服を新調してやったんだ! カードのデータをもとに身長や体重などはもちろん、今の胸のサイズまで完全に把握した上でのオーダーメイドだ! 泣いて喜べ!!」
「喜べるかー! ってか、マジ泣きだぁぁぁ」
うわん! 乙女の秘密が、よりによって一番知られちゃいけないヤツに、しかもそんなくだらない理由で!
ああ、頭が痛い。
あたしは思わず両手で頭を抱え込んだ。
「ふん、カード再奪取、大成功だ!」
あ、しまった。無防備なあたしの手から素早くステイタスカードを奪い取られてしまった。
「これはパーティのリーダーである俺様が管理してやろう。喜べ、勇者様を保護する忠実なメイドとして成長させてやるぞ」
「ええっ!? あたしの意思はどうなるんですかぁ?」
再度カードを奪い取ろうとするけど、敵もさるもの、なかなか必殺技の間合いに入れさせてもらえない。
「そうだ、今日から俺のことを『勇者様』と呼ぶように、あとでキィのカードに設定しておいてやろう」
うわぁ、なんて極悪なチート機能まであるんだ、そのカード。
「さぁ、キィよ、とびきりワクワクな冒険が始まるぞ。スリルいっぱい、危険がいっぱい、でもそこに俺様の栄光への道がある! 勇者である俺の冒険を、その目にしかと刻み付けるがいい!!」
かくしてバカご子息改め勇者様(自分の意思とは関係なく、そう呼ばざるを得ないよう設定されているのが口惜しい)の冒険が始まり、あたしの苦難の旅が始まった。
何かとこき使われるのは勿論のこと、ステイタスカードを握られているせいであたしの育成も勇者様の思うがまま。おかげでレベル60まで成長したものの、いまだにあたしのSTRは3のままで、魔法も使えず、そのくせ何故かひたすら
こんなの、戦闘はおろか、冒険中どこにもあたしの活躍できるところなんてないじゃん!
ああ、もう、こんなアホ勇者様に付き添わなきゃいけないなんて、不憫すぎるぅぅぅ。
でも、その受難もまさに今、終わりを迎えようとしている。
頭を吹き飛ばされた勇者様が力なく倒れるのを呆然と見つめた。
「勇者様、ここに眠る。辞世の句『ちょ、おま……』は、さすがに情けないから『我が命尽きるとも、この世に光尽きることなし!』とか適当に伯爵様にはお伝えしておきますね」
なんとなくつぶやいてみる。
返事は無かった。
いつもなら「そんなセンスのない辞世の句なんて、俺は認めんぞー」って怒るのに。
いや、もしかしたら「俺と一緒に冒険したおかげでセンスが上がったな」と褒めてくれるかもしれない。
……まぁ、褒められても嬉しくないんだけどね。
ふと、勇者様の亡骸の隣に、黒光りするカードがふたつ落ちているのを見つけた。
あたしと、そして勇者様のステイタスカードだ。
拾い上げると、勇者様のカードの表面に手が触れ、見慣れた顔が映し出される。
二枚目を気取った三枚目の、精一杯かっこつけた顔。その下に「DEAD」の文字が浮かび上がっている。
明らかな死体を見ているのに、あたしはようやく勇者様が死んだんだって実感した。
スケベで、わがままで、あたしに対して好き勝手し放題な人だったし、何一つとして良い想い出なんて無いんだけれど、何故か涙が出そうになって慌てて上を向いた。
とにかく勇者様の冒険が終わったということは、あたしの冒険もまた終わったということだ。
伯爵様にこの結末をお伝えするのは気が重いけど、それはあたしに課せられた最後の義務というもの。しっかり役目を果たした後、あたしは、あたしの人生を生きていこう。
顔を上に向けたまま、うーんと背伸びをした。
この悲しみを乗り越えていこう。
前を見て、一歩を踏み出そう。
よし、行くぞ。
あたしは、新たなる人生の一歩を踏み出した!
「いや、ちょっと待て!」
でも、そこに引き止める声が……。
「あ、やっぱりダメ?」
回想シーンの流れから上手くこの場を立ち去ろうとしたあたしを、しかしボスキャラは逃してはくれなかった。
うわん、絶対にうまくいくと思ったのに。
やっぱりボス戦に「逃げる」は無効なのだった。
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