学校の屋上で私は銃を向けられた。

 あれから私は帰宅してすぐにシャワーを浴びた。悠介に舐められたところが気持ち悪かった。

 デートのために買っていたサンダルも捨てた。あれを履く気にはなれない。

 私が帰宅してから数回ほど悠介から着信があった。

 でも悠介と話す気にはなれず、なおかつ自宅の電話の着信履歴に悠介からの履歴があるのも嫌だったので消した。

 私は両親にも友達にも悠介にされたことを話してない。話さない。話す気が湧かない。話せばあれこれ詮索されるに決まってる。私が望んでいる以上にことが大きくなるに決まっている。

 感傷的になっている時の心は、振動で不協和音を響かせている弦のようなものだ。そんな時に周りの人間がパニックになれば、振動する弦が増えて不協和音が一層酷くなるようなものだ。

 今は私の弦が落ち着くまで静かにしていたい。


 ■■■


「今日もあっついねー」

 美香は膝を立ててアイスを食べていた。

 今日は美香の家に遊びに来ていた。遊びと言っても目的は夏休みの宿題をすること。宿題をすると言っても少し勉強したら時々ゲームをするの繰り返し。

「そのジーパンかわいいね」

 私は美香のダメージジーンズを指差した。ちょうど美香の膝の部分が裂けたように穴が開いている。穴から覗く美香の肌がつるつるしてて可愛い。

「今度はカバンが欲しいんだー」

 美香はアイスを舐めながら呟いた。

 美香はよく服やカバンにお金を使う。お小遣いをもらったらすぐに服を買う。最近は姉の影響でCDも買うようになってきた。MDウォークマンも欲しいようだから、中学生になったらバイトをしたいとボヤいていた。

 私は木製のスプーンでカップの中のアイスをざくざくと崩した。

 美香は宿題に飽きてプレステの電源を入れた。テレビ画面にプレステの起動音とともにロゴが現れた。

 私はどうもこの起動音が苦手だ。なんだか怖い。

 美香は棒アイスを齧りながら電流イライラ棒のゲームを始めた。

「プレステ2は買ってないんだ?」

 と私が訊くと、

「兄ちゃんが持ってる。去年、地域振興券で買ってた」

 と美香は答えた。

 私はアイスを食べ終えて宿題の問題集を見返した。

 とりあえず算数の宿題は全部終えた。国語の漢字も全部終えた。読書感想文はおいおいやっていけばいいだろう。絵日記も夏休み中のどこかでやればいい。どうせおばあちゃん家に行くから、その時に絵日記のネタは確保できるはずだ。

「後はなにかあったっけ?」

「うん?」

「夏休みの宿題。国語と算数と感想文と日記となにがあったっけ?」

「ん? あ、うそ、死んだ!!」

 美香が操作をミスったらしく、障害物に電流棒が当たって派手な音と実況とともにゲームオーバーになった。

「うそー」

 美香はコントローラーを投げ出して床に倒れ込んだ。

「もう少しだったのに」

 マイペースな美香。

 美香は仰向けのまま顔を私に向けてきた。

「お、今日は灰色の下着」

 私は顔が赤くなってショートパンツの隙間を押さえた。

「見ないでよ」

「見えちゃった」

「で、宿題はなにがあったっけ?」

「ラジオ体操にちゃんと行ったかってやつ」

「それ宿題って言うっけ?」

「毎日の天気書くやつ」

「あれか」

「理科と社会の問題集」

「あー、あったあった(でもあれは教科書を見ながらやればすぐ終わる)」

「それと理科の工作なかったっけ?」

「工作??」

「ほら、ミニ四駆みたいなのつくるやつ」

「…あっ」

「どうしたの?」

「いや、なんでもない。あったね、そういうの」

「男子が喜んでたじゃん」

 思い出した。夏休みに入る二日前。学校から配布されたソーラーカーの理科工作キットがあった。男子はもらったその日に組立てて翌日には学校の側溝でレースをして遊んでいた。

 で、厄介なことを一つ思い出した。私はその工作キットを学校に置いてきてしまったのだ。あの工作キットを作らないと私は夏休みの宿題を完遂させることができない。

「8月6日の登校日に学校行くんだから、その日に持って帰ればいいじゃん」

 いや、それはできない。私の家は毎年8月6日は原爆で死んだじいちゃんのお墓参りのためにばあちゃん家に行くのだ。それがうちの家のしきたりみたいなもん。だから、いつも登校日は欠席している。

「じゃあ、学校に取りに行くしかないね」

「うーん。そうかー。教室の鍵って開いてるもんかな?」

「開いてるんじゃない? わざわざ閉めないでしょ」

 それもそうだ、と思った。教室には金目のものなんてないから鍵なんて閉めないだろう。

「帰りに取りに行こうかな」

「教頭に見つからないようにね」

「教頭はうるさいからねー」

 美香は起き上がった。

「ところでここの算数の問題解いた?」

「おーいー、自分で解く気ないだろー」

 美香は甘えるような顔で笑った。


 ■■■


 美香の家を出た後、私は小学校へ向かった。

 時刻は午後4時前。夏の4時は、真っ昼間のように空が明るく、風が暖かい。

 駐車場には先生たちの車が何台か停まっていた。

 夏休み中にもかかわらず、先生たちは学校に来ているようだ。

 グラウンドでは遊んでいる生徒が何人かいた。

 サッカーをしている子たち。鉄棒にぶら下がって雑談をしている子たち。

 私が小学3年生の時も、夏休みはこうやって校庭に来てカミキリムシとかを探していた。最近は虫を探す機会が減った。思えばいつ頃だろう、虫を探さなくなったのは。

 私は下駄箱に向かった。靴を履き替えようとして、手が止まる。靴箱の中は空だった。

 終業式の日に上履きを持って帰ったんだった。

 私はスニーカーを脱いで、裸足で廊下を歩いた。

 足の裏に床の冷たい感触が伝わる。

 悠介の家から裸足で逃げて以来、外を裸足で歩くことにはものすごい抵抗がある。例えば川辺とか浜辺を歩くのも嫌だ。

 私は早足で教室に向かった。

 6年3組の教室の前で立ち止まる。

 引き戸に手をかけた。

 …。

 私の思惑(というか美香の軽はずみな思いつき)はあえなく失敗に終わった。

 教室のドアは施錠されていた。

 窓から中を覗いた。私のロッカーの中に工作キットを入れたナップサックがあった。

 あー、なぜあれを忘れてしまったんだろう。ていうか、先生も夏休み前にロッカーのチェックとかしてくれよ。

 私は鍵を閉め忘れた窓がないか探してみた。

 …ない。

 きっちり戸締まりをしている。

 なんで金目のものがないのにこんなに厳重にしているんだ。

 私は廊下の手すりにもたれてため息を付いた。

 最悪だ。

 先生に言って鍵を開けてもらうしかない。

 だが、明らかに一言怒られる。

 それが面倒だ。

 なるべく面倒くさくない先生に頼もう。

 でも、他学年の先生なんてあまり知らないし。

 頭の中であれこれ考えながら空を見上げた。

 ジーンズのように青い空の中で白い雲がもくもく膨張していた。なぜ夏の雲はあんなに肥大化するんだろう。

 ふと、私の視界に不思議な人影が映った。

 向かいの校舎の屋上で人影が動いた。あそこは立入禁止のはずだ。なにかの業者の人? いや、あれはあきらかに子ども(私と年が近い子)の人影だった。幽霊? 学校の七不思議? いや、それも違うだろう。あれはあきらかに実態のある人影。

 私は渡り廊下を渡って向かいの校舎に行ってみた。階段を登っていく。

 屋上に通じる扉の前で止まった。

 通常ここは南京錠で施錠されている。

 さっきの人影が本物なら、鍵は外されてなければいけない。

 私は鍵をチェックした。

 …鍵がかかっていた。

 ……ということはさっきの人影は幽霊? 見間違い?

 私は辺りを見た。

 屋上に通じるための別の入口を見つけた。

 窓だった。ここの窓も通常は特殊な鍵がかけてある。生徒が解錠できないような特殊な鍵。

 …ここの鍵は壊れていた。

 私は窓をそっと開けた。

 人一人通り抜けられる広さ。

 私は窓から顔を出して屋上を覗いた。

 屋上の床には煤のような黒い汚れがずっとついていた。貯水槽のようなものがあるかと思ったが、そういうものは見当たらない。

 私は身を乗り出した。

 人影が見つからない。

 窓枠に足をかけて、屋上の地面に着地した。

 私が着地すると砂埃が舞った。

 そろりそろりと歩く。

 人影はいない。

 屋上にはところどころ大きな室外機のような物が設置してあった。

 屋上の周りはフェンスでしっかり囲まれていた。一応人が落ちないように配慮してあるのだろうか。

 私は椅子を見つけた。

 教室で使われている木とパイプでできたあの椅子だ。

 屋上には本来ないもの。

 誰かが座っているのだろうか。

 でも、誰が?

 さらに歩くと、室外機の影に机とダンボールが積み重なった物が見つかった。

 ここの机も教室で使われている木とパイプで組み立てられたあの机。机の物入れの中には迷彩柄のナップサックが入っていた。誰かが使っている形跡。

 私は積み上げられたダンボールを見上げた。

 机を骨組みにして、ダンボールが肉付けされたこれはまるで…。

 秘密基地だった。

 私は基地の中を覗いた。 

 ダンボールは六角形にきちんと折られ、蜂の巣状に組み立てられている。

 下手すればこの六角形の穴の中に寝泊まりできる。

 私は試しに六角形の中に入ってみることにした。

 足を上げてみる。そこで、私の靴下の足の裏が黒く汚れていることに気づいた。

 この靴下は今日捨てよう。

 ダンボールの中に膝を入れようとして、背後でカチャッっと金属音がしたことに気づく。

「誰だ」

 落ち着いた声で、そう言われた。

 私はダンボールに乗っけていた足を降ろして、ゆっくりと振り返った。

「ここで何をしてる?」

 そこにはマシンガンを持ったクラスメイト、竹田一照がいた。

 

 ■■■


 私が小学3年生の時、竹田と初めて出会った。

 別段なにか悪いことをしたわけではないが、竹田は運動音痴で体育が苦手だったからクラスでは下の扱いだった。

 今思えばたかだか体育が苦手程度であそこまで下の扱いをしなくていいだろうと思うが、小学3年生にとって体育で活躍できないというのは致命的なことだった。なぜならドッジボールで活躍できない。クラス対抗のバレーでも役に立たない。ドロケイや鬼ごっこをしたら真っ先に狙われる。

 以上の理由で運動音痴は自然と負け組に降格されるのだ。

 竹田が不運なのは、さらに勉強も大したことなかった点だ。

 成績は特別悪くはなかったがお受験を目指せるほど頭は良くなかった。超絶テストの点数が悪ければクラスでネタにでもされたろうが、竹田はバカというわけでもない。

 一方で竹田はどうでもいい知識を豊富に持っていた。例えばエリア51がどうだとか。池田湖のイッシーの目撃例とか。三葉虫を踏み潰した人間の足跡の話だとか。バミューダのトライアングルは航空機や船の墓場だとか。およそテストの点には関係のない知識ばかりを周りに披露していた。

 故に女の子からもモテない。私たちの間でも竹田を話題にすることはまずない。


 その竹田が今私に銃を向けている。


 竹田は引き金に指をかけないように銃を構えて、私に一歩近づいた。

「どうやってここに来た?」

 太陽に照らされた竹田の銃は安っぽい。素人の私が見てもわかる。

 あれはエアガンというやつだ。

「そこの窓が開いてた」

 私は自分が入ってきた窓を指差した。

「あれ、バレちゃったのか」

「あれは竹田が壊したの?」

「俺じゃねぇよ。元々壊れてた」

「先生に言って直してもらわないと」

「言ったよ。でも直してくれない。業者がどうとかって」

 竹田はまだ銃を向けていた。

「ねぇ、それ下ろしてもらえる?」

「あ、ごめん」

 竹田は銃を下ろした。

「弾は入ってるの?」

「入ってるよ。ま、BB弾だけど」

 そんなことはわかってるよ。小学生が銃なんて扱えない。ってか、日本でそう簡単に銃なんて手に入らない。

 竹田は机の物入れの中に銃をしまった。

「なんでこんなところにこんなもの作ったの?」

「世界を守る前線基地だよ」

 ああ、いきなり竹田ワールド全開だ。

「俺の予想ではノストラダムスの予言は1999年じゃなくて、もっと先のことだと思うんだ」

「バカバカしい」

 心の中で呟いたつもりが、つい声に出てしまった。

「バカバカしくはないさ。例えば軍用スペースシャトルの誤作動とか。隕石が落ちてくるとか」

 空想と現実がごっちゃになるとはこのことを言うのだろう。隕石なんてまず落ちてこないし、皆が観測できる宇宙空間に軍用機なんて飛ばしたりしない。

「ところで、前島はなんで学校に来てんだ?」

 え、こいつ私の名前知ってたのか。ま、クラスメイトだから当たり前だけど。普段話したことないから意表を突かれた。

「忘れ物を取りに来ただけ」

「へー、忘れ物。体操服とか?」

「ばーか。中川じゃないんだから」

 中川とはクラスメイトの男子だ。よく体操服や給食着を持って帰るのを忘れて皆から汚いとからかわれている。

「夏休みの宿題よ。あの、ミニ四駆みたいなやつ」

「あれか。なら屋上なんて来ずに教室に取りに行けばいいのに」

「行ったのよ。そしたら鍵がかかってた」

「だったら先生に言って鍵開けてもらったらいいのに」

「それができたら苦労しないって」

 竹田は首を傾げた。

「あー、先生に怒られるのが嫌なのか。だったら俺が言ってやるよ」

 竹田は腕時計を見た。

「もうすぐ五時だから。明日また取りに来いよ。俺が先生にお願いしてやるから」

「明日ね。竹田はまた明日もここにいるの?」

「うん。いるよ」

「じゃあ、明日」

「おぅ、明日」

 私は踵を返した。

 下駄箱を出た頃、5時のサイレンが鳴った。


 ■■■


 翌日私はスニーカーを持って校舎の階段を登った。

 昨日と同じ窓を開けて顔を出した。

 フェンスに取り囲まれた広い空間。

 私は窓の刷子に座ってスニーカーを履いて、屋上の地面に飛び降りた。

 昨日履いてた靴下は案の定真っ黒になったので家に帰って捨てた。

 私は歩きながら空を見上げた。

 いつもより空が近く感じた。

 空に向かって両手を伸ばした。届かない。当たり前だけど。

 保育園に通ってた頃、空を触りたくてお父さんに肩車をしてもらったことを思い出した。

「届かない」

 と私が悔しがったら

「届かないね」

 とお父さんが言ってくれた。

 私は秘密基地にたどり着いた。

 竹田は机に座ってエアガンの手入れをしていた。

 机の上には映画でよく見る形のマシンガンとハンドガンが置かれていた。

「来たよ」

「おはよう」

 時刻は10:30。この時間帯の挨拶は「おはよう」が適切なのか「こんにちは」が適切なのかわからない。

「竹田って何時から来てるの?」

「9時くらい」

「来てからずっとエアガンの手入れしてるの?」

「そうだよ。だって敵が攻めてきた時に使えなかったら困るじゃないか」

 わけがわからない。

 私は近づいて机に置いてあるハンドガンを手にとった。

「てか、二つ持ってたんだね」

「二丁、ね」

 私は両手でハンドガンを持ってみる。意外と重い。引き金に指をかけようとして、やめた。間違って弾が出たりしたら大変だ。

「今弾は入ってないから大丈夫だよ」

 竹田が拳銃を逆さまにした。

 持ち手の裏(よく映画で弾切れになったらマガジンが出てくるところ)が空っぽだった。

「結構本物みたいな造りなんだね」

「まあね」

 竹田は得意げな顔をした。

 私はハンドガンのボディーに「対象年齢10歳以上」と書かれているのを見つけた。

 これはダサい。

 いっきに私たちが子どもだとラベリングされてしまった。

 事実子どもだから仕方ないけど。

 こんなもので敵と戦えるんだろうか?

 私は竹田を見た。

 竹田はマシンガンについているスコープをスライド開閉してそこにBB弾を流し込んだ。

 私はその様子に目を丸くして驚いた。

「え! え! 普通弾ってここのマガジン替えるんじゃないの?」

 竹田は私が驚いたことに驚いているようだった。

「よく知ってるね。普通はそうなんだけどこれはミニ電動ガンだから」

 竹田は弾を補充すると、マシンガンを構えた。狙っている先にはガチャガチャで手に入るポケモンのメタルフィギュアが並べてあった。

 竹田は安全レバーをぐいっと動かして、引き金を絞った。

 トゥトゥトゥトゥトゥトゥトゥトゥ、という音と共に弾が一直線にメタルフィギュアに向かって飛んでいった。

 パキンパキンパキンパキンという弾が跳ね返る音がしてメタルフィギュアが全部倒れた。


 上手い。


 単純にそう思った。凄いとか尊敬するとかかっこいいとかそういうのは一切思わないが、ただ上手いと思った。

「銃の性能がいいからね」

 私の表情から読み取ったのか竹田が照れ隠しでそう言った。

「MP5A5ドイツのヘッケラー&コッホ社が作った世界中の特殊部隊で採用されたマシンガン」

 そう言っても今竹田が撃ったのはおもちゃの銃なんだから、やはり竹田は上手いんだと思う。

「そっちはベレッタM92F。世界中の軍隊や警察も使ってるハンドガン」

 そうなのか。まあ、これもおもちゃだけど。

「ところで、教室の鍵はいつ取りに行くの?」

 竹田は時計を見た。

「そうだったね。行こうか」

 竹田は銃器を机の物入れの中に収めた。机から飛び降りた竹田は先導して歩いた。

 よく見ると竹田の履いているスニーカーはナイキのエアマックスだった。

 

 ■■■


 職員室というのは緊張する。

 竹田はノックしてからドアを開けた。

 職員室には先生が何人かいた。

 いつもの職員室ほど緊張感が漂っていないが、それぞれ先生たちは仕事をしているようだ。

 夏休みなのに、先生たちはなんの仕事をしているのだろう。

 竹田は中谷先生のところへ行った。中谷先生はワープロで資料を作っているようだった。

「先生」

「ん?」

 先生はワープロから顔を上げて目元をマッサージした。

「どうした?」

「先生すいません。教室に忘れ物しちゃって取りに行きたいんですが、鍵開けてもらってもいいですか?」

「おぅ? なんだ? 夏休みの宿題か?」

「はい...」

「ちょっと待ってろ」

 中谷先生は大きな体を椅子から持ち上げた。普段はジャージの中谷先生が今日は白い襟付きのシャツとスラックスを穿いている。

 いつもと同じ職員室なのに、いつもと違うから見ていてちょっと面白い。

「よーし、ついてこい」

 中谷先生は鍵を持って私達を先導した。

「ところで前島はなんで一緒にいるんだ?」

 あ、しまった。さっき中谷先生に説明をしたのは竹田だ。だから、中谷先生は竹田が忘れ物をしたと思っている。本当は忘れ物したのは私の方なのに。

 どうしよう、なんて言ったらいいかわからない。

「前島さんも忘れ物したみたいです。だから一緒に取りに行こうってなって」

「なんだ、そうなのか」

 中谷先生はちらっと私を見た。

「ところで先生、今日はシャツなんですね。研修会とかですか?」

「うん? 今日は仕事の後家族と出かけるんだ。娘がコンサート行きたいって言うからな」

 娘がコンサート? そうか、先生たちにも家族がいて子どもがいるんだ。当たり前だけど、変な感じ。先生たちが親をしている時の顔が想像できない。

「シャツだと暑くないんですか?」

「暑いぞ。昔より暑く感じる。これも温暖化のせいかね」

「温暖化が進むと北極や南極の氷が溶けて町が沈むっていいますけど、広島も沈むんですかね?」

「どうかね。海沿いの町は危ないかもしらん。この学校はまあ大丈夫だと思うが」

 変な会話だ。

 きっと竹田は先生が忘れ物のことを掘り下げる前に話題を変えたのだろう。よく考えたら、日頃から竹田は大人と会話するのが得意だった。生徒には人気がないが、先生たちには人気がある。

 教室に着くと鍵を開けてくれた。

「取ってきていいぞー」

「ありがとうございます」

 私と竹田は教室に入った。

 私はロッカーから目当ての物を引っ張り出した。

「お前らもう取りに来なくていいように、他にも忘れてないか確認しろよー」

「はーい」

 竹田はロッカーから適当になにか引っ張り出していた。

「先生、ありましたー」

 私たちは教室から出た。中谷先生が施錠する。

「先生、ありがとうございました」

 私と竹田はお礼を言った。竹田は何も忘れてないのに、頭を下げていた。

「はい。ところで竹田、毎日学校に来て赤土採ってるんだろ?」

「はい。夏休みの科学研究で赤土だけで野菜は栽培できるのかを調べます」

「面白い発想だな」

「地球の環境が変わっても農作物が育つようにするんです」

「まあ、頑張れよ。あれ、先生たちも楽しみしてるからな」

「はい」

 中谷先生は鍵を持って職員室に戻っていった。

 私は竹田を見た。

「毎日赤土を採りに来てるって嘘ついて屋上に入り浸ってるの?」

「嘘じゃないよ。赤土を採ってるのはほんと。ちゃんと科学研究にも出すんだから」

 科学研究というのは学校の宿題の自由研究とは別の課題で、学校ではなくとある民間企業に提出する。研究の中身が良いと表彰をされて、理科の実験キットとか文房具などがもらえる。

 とはいえ、夏休みの宿題だけでも面倒なのに科学研究をあえてする生徒などそうそういない。私もやらない。

 竹田が科学研究をしているのは意外ではなかった。なんかまあ、やりそうだ。地球の環境が変わった時のために備えるという動機も竹田らしい。

「ところで、ソーラーカー作るの一緒にする? 一緒にするなら秘密基地行こうぜ」

 あ、言われてみれば。

 私は自分が持っているナップサックを見た。一人で工作できる自信はないし、私の父親は大の機械音痴だ。未だにビデオの録画ができない。

「よかったら、一緒に作って」

「じゃあ、基地に行こうぜ」

 竹田が踵を返して歩き始めた。

 私はふふっと笑った。なんだかデートに誘われた気分だ。


 ■■■


 屋上に着くと竹田はダンボールで作った植木鉢を見せてくれた。

「これがさっき言ってた赤土の実験。ホームセンターで色んな野菜の種を買ってきたんだけどね。どれが成功するかまだわかんない」

 竹田はダンボールの中に入って、カタツムリのように顔だけ覗かせた。

「暑いから中でやろうぜ」

 私は空を見上げた。

 屋上は日を遮る物がないから日差しがもろに当たる。

 私は竹田についてダンボールの中に入ることにした。

 ダンボールの中は空気がこもっていて、決して快適とはいえなかった。直射日光が当たらないだけマシだけど。

 竹田は私の工作キットを開けて説明書を読み始めた。

「一回作ったんでしょ?」

「説明書読むのが楽しいんだよ」

 そうなのか。その楽しみは理解できん。

 竹田は嬉しそうに工作キットを組み立てていく。

 私の宿題であることなんて忘れているようだ。

 と、思ったが...。

「ここの線とここの線繋いでごらん」

「ここ?」

「そうそう」

「で、このソケットに入れるでしょ」

「うん」

「で、配線を崩さないように上からカバーかぶせて」

「こう?」

「そうそう。で、ソーラーパネルを取り付けて」

「ふんふん。こういうこと?」

「そう。で、外に出てみよう」

 私たちは外に出た。

 私はソーラーパネルに太陽の光が当たるように車をかざした。

 …。

 反応なし。

 …だめじゃん。

「スイッチ入れないと」

「スイッチ? あ、これか」

 私はスイッチを入れた。

 すると。

 …キュル。……キュルルルルルル。

 車の後輪が回り始めた。

「わ、わっわっ、びっくりした」

「そのまま、地面に置くんだよ」

「あ、そうか」

 私はそっと車を地面に置いた。

 後輪がコンクリートの地面に触れた途端、車は水を得た魚のように走り出した。

 車は室外機にぶつかって向きを変えて走り、別の室外機にぶつかってまた向きを変えて走った。車は蛇行しながら進み、そのままドアに激突してソーラーパネルが割れて車の車輪の回転が止まった。

 私も竹田もしばらく壊れた車を見つめていて、ゆっくり顔を動かしてお互い見つめ合った。

 そして、我慢できなくなった私が吹き出してしまって、竹田もつられて吹き出して、二人とも笑った。

 私は壊れた車を持ち上げた。

「どうしよう。せっかく作ったのに壊れちゃった。これって宿題やったことになるのかな?」

「なるんじゃない。この車には改善しないといけない点があります。それはソーラーパネルを頑丈にすることですってな感じで」

「それいいね」

 私は笑った。

「この車が走ってるところビデオに撮っとけば良かったなー」

「竹田ってビデオカメラ持ってるの?」

「俺は持ってない。でも、父さんが持ってる」

「すごい」

「別にすごくないよ」

 いや、すごいのだ。なぜならうちはお父さんが機械音痴だからカメラとかビデオカメラとか持ってない。

「思いついた時にパッとビデオが撮れる時代が来たらいいなあ」

「なにそれ」

「手のひらサイズのビデオとか、筆箱がビデオカメラになるとか」

「筆箱がビデオカメラになっても意味ないじゃん」

「だっていつも持ち歩いてる物がビデオカメラになった方がいいじゃん」

「無理でしょ。だってビデオを撮るにはテープがいるもん」

「そうかー。でもフロッピーディスクとかDVDに撮るならいけないかな?」

「どうかな。気軽にビデオ撮りたい人なんてそうそういないから、できても売れないんじゃない」

「そうかなー」

 竹田はうなだれた。いや、うなだれたように見えるが、考え込んでるのだ。もう自分の世界に入っているのだろう。

 その後私と竹田はダンボールの中でお話をして過ごした。

「このダンボールってどこから持ってきたの?」

「スーパーだよ。後はウォンツ」

「ウォンツ? ああ、ドラッグストアの」

「窓からダンボールを出すのが大変だったなー」

「ってことは、机や椅子も窓から運び込んだの?」

「そうそう」

「バカじゃん」

「バカじゃないよ」

「いや、褒め言葉」

「えー、褒めてないでしょ」

「机や椅子はどこから持ってきたの?」

「学校のゴミ捨て場だよ」

「え、汚い」

「汚くないでしょ、きれいに拭いたし」

「ダンボールを六角形に組んでるのはなんで?」

「六角形が一番安定するからだよ。四角形だとすぐ崩れちゃうから」

「へー」

 私はダンボールをペタペタ触った。

「ねえ、卒業したらこの基地どうするの?」

「このまま残すよ。世界滅亡が始まったら、ここを使う人がいるかもしれないから」

「そっか」

 世界滅亡は来るのだろうか。いや、来ない。来てもこんな基地じゃ意味がない。エアガンでは敵は倒せない。

 それ以前に、竹田は中学生になっても世界滅亡を心配しているんだろうか。中学生になったら竹田も流行りの音楽を聞いたりファッションに興味を持つんだろうか。そして好きな子に性交を迫ったりするんだろうか。

 私は腕を組んだ。胸を守るように。

「なんか卒業したくないね」

 私は自然とそんな質問を竹田に投げかけていた。

「うん? なんで?」

 私は答えたくなかった。

「だって、中学生になって忙しくなったら世界を滅亡から救えないじゃん」

 嘘の答えを言った。

「そうかな。でも、中学生じゃないとできないこともあるんじゃない」

 竹田は腕を組んだ。自分は良いこと言ったと自己満足するように。

 私はその様子を見て、なんだかおかしくて笑った。

 今日も世界が滅亡の危機にさらされなかったことを確認した私と竹田は夕方5時のサイレンが鳴る前に校舎を出た。

 夕方の空の中を小さなコウモリが何匹も飛んでいた。

「コウモリの顔って見たことある?」

「え、いや。ない」

「俺見たことあるんだ。コウモリが目の前に来たことがあってさ。で、鼻がほんとに豚みたいなんだよ」

「へー、やっぱり牙あった?」

「あったよ。でも、そんなに怖くなかった。どっちかっていうとネズミみたいで可愛かったな」

「可愛いって」

「なんだよ」

「だって、竹田が動物を可愛いって言うのなんかウケる」

「そうかぁ」

 竹田と別れた私は広島工業大学の前を通って帰宅した。

「おかえりー」

 お母さんが奥のキッチンから顔を出した。

「ただいま」

「先にお風呂入りなさい」

「うん」

「それと、あなたに電話があったわよ」

「へー、どこから?」

「悠介君のお宅から」

 靴を脱いでいる私の手が止まった。

「明日、お昼すぎ頃来て欲しいんだって」

 ・

 ・

 ・

 ・

 ………ぇ。

「聞いてるの? 明日、悠介君の家に来て欲しいって」

「あ、うん。聞いてる」

「じゃ、後で電話しときなさい」

「うん」

 私は両足の靴を脱いだ。

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