第3話 月夜の会話
久しぶりの肉料理に舌鼓を打ったクロウ達は、食後の満腹感に浸りながら一息ついていた。
木に寄りかかり、体育座りをしていたアヤメは、膝を抱えながらぼーっと草木の合間から見える夜空の星を見上げており、クロウはそんな彼女を食器を片付けながらちらりと伺う。
(……入学式たぁ言ってたが、まさか王都に居る御者の手が回らねぇほどとはな)
こうした時期的な行事である入学式や、勇者に宛てられた依頼の為に送迎を担うために勇者学校と契約を結んでいる業者は大勢いる。その手が回らないという事は、それだけの勇者の卵達が在籍しているという証拠だろう。
アヤメに関して言えばレアケースで、現地にも勇者学校と契約している御者は居るはず。だというのに馬が出せない、手一杯となればクロウがそう思うのも当たり前だった。
(まっ、俺がそんな事を考えても意味ねぇか)
立ち上がり、腰に手を当てたクロウは横たわっているビッグベアの遺体を見据えると、荷物から太めのロープを取り出して、ビッグベアの足へ括りつける。
「カラスくん、何をしてるの?」
「ちょっくらコイツを処理してくるわ。アンタはそこでゆっくりしてろよ」
「一緒に行ってもいい?」
「見ていて気持ちのいいモンじゃないぜ? 食後だと特にな」
苦笑しながらもそうアヤメに忠告したクロウは、荷物の中からランプを取り出して火を点け、闇の深い森の中へと入っていく。
そんな彼の後ろにぴったりとくっつく様にアヤメも付いてきた。
「いいのかよ? 吐くかもしんねーぞ?」
「私のお腹に入ってるのは、この子の命だもん。この子がどうなるのか、見取るくらいはしないと」
「随分と物好きだな」
「そこは責任感が強いとか、知識欲が旺盛って言って欲しいなぁ」
そーかよ、とクロウは破顔しながら言い、より鬱蒼とし始めた森の木々を縫うように移動しながら、月の光が届きにくい木の葉が生い茂った小さな空間へたどり着く。
「この辺でいいだろ」
「それで、これからどうするの?」
「まぁ見てな」
ビッグベアの足に括りつけていたロープを解いて回収したクロウは、ランプを手にアヤメを連れ、その場をゆっくりとした歩調で離れていく。
そんな彼の後ろ姿をアヤメは小首を傾げ、訝し気に見つめながら付いていき、少し離れた場所でクロウは木の陰に隠れる様にしゃがみ、ランプの明かりをコートの裾で隠す。
「……?」
アヤメは彼の行動が理解できなかったのか、彼と同じ木の陰に隠れ、木に手を添えてビッグベア周辺の様子を伺う。
そのまま暫く待っていると、ぞろぞろと肉食動物である狼や野鳥がビッグベアの周りに現れ、皮の剥がされたビッグベアの肉に牙やクチバシを突き立て始めた。
肉の咀嚼音が森の中に静かに響いて、クロウはそれを確認した後、ゆっくりと立ち上がって踵を返し、「(戻るぞ)」とアヤメにしか聞こえない程度の声量でそれを伝えると、火のある所へと移動を再開する。
「どうしてあんなことを?」
その道中、動物達の気配が完全に遠ざかった所で、アヤメは口を開いた。
クロウは彼女に振り返ることも無く、淡々とした口調で説明していく。
「この地域にゃ《ボディスワーム》っつー特殊な大型のヒルが居てな。奴らは死体しか食わねーんだわ。んで、死体を食べる事で自然に有害なエキスを出す。アレだけの個体に群がっちまえば、この辺りの生態系に影響しかねないからな」
「だから、先に動物に食べてもらおうってこと?」
「そういうこった。奴らが食いつく前に早いトコ別の動物の腹に入っちまえば、大した被害にゃならねえからな」
「どうして動物たちは私達を襲わなかったのかな?」
「そら人と出会っちまったら、狩るか狩られるかの二択になっちまうからな。俺達人間もそうだが、
「なるほどねー……。博識なんだね、カラスくんは♪」
「博識も何もねーよ。人に聞いて、実際に目で見て確認しただけだ」
感心したようにウィンクしてみせたアヤメに、クロウは軽く照れながら目を伏せて笑う。
彼にとっては人から得た情報を確認し、反面教師にする事で自分の旅に支障を起こさないようにするといった、日常茶飯事の出来事だというのに、それを褒めらるとは思ってもみなかった。
その後、元の場所に戻って来たアヤメは「勉強になりましたっ」と朗らかに微笑んで見せたので、クロウも気分が悪くなるのではないかと心配していたものの、杞憂に終わって安心する。
そしてクロウは食器と荷物を手に川へ向かい、調理器具や食器、そして血の付いた衣類を洗うなどして、着替えてから火元ですよすよと眠っていたアヤメに嘆息し、荷物の中から毛布を取り出してそっと彼女の肩に掛けてやった。
洗った衣類を乾かすために木々の合間にロープを張り、それを掛けて火を調整した後、彼は再び川へと戻っていく。
滝壺の辺りで懐から緋色の結晶を取り出し、それを軽く放り込めば、湯が沸き始める。
片足を軽く入れて湯加減を確認し、肩までつかると思わず「うぃ~っ……」っと声が漏れた。
(色々あり過ぎだろ、今日……)
顔を洗い、近くにあった岩に片肘を乗せて夜空を仰ぎ見る。
立派な月はまだまだ空高く浮かんでおり、その周りには満天の星々が煌めいていた。
ふと目を伏せた彼は、頭の中でアヤメという少女の出会いやビッグベアとの戦闘を思い返していると……彼の右耳たぶに通されたピアスが軽く振動する。
リンクストーン、と呼ばれる特殊な鉱石で造られた代物で、特殊な共振反応を利用し、振動の波長を合わせる事で遠方の仲間達と連絡が取り合える便利な代物だ。
クロウは右耳に手を当てその着信に出れば、耳元からおっとりとした聞き慣れた女性の声が聞こえてくる。
『もしも~し、元気~? 生きてるぅ~?』
目を伏せれば幾らでも思い出せる、羊の角を模したカチューシャに、羊の耳の生えた白髪と、暗紫色の瞳をした獣人族の混血少女――いや、女性の姿。
彼女の声は穏やかで、気の許せる相手と話せた事に、若干の安堵を感じたクロウはハッと小さく笑い飛ばす。
「へいへい、生きてんよ。生憎とな」
『それは上々~♪』
「それよりどした。何かあったのかよ?」
『用が無きゃ連絡しちゃダメなの~……?』
「お前は俺の恋人かっつの」
『むふふ~。暫く会ってないから~、くーちゃんが寂しくなってないかな~っと思ってね~』
「余計な気遣いありがとさん」
はーっと笑いながら空を見上げたクロウは、会話を重ねるごとに肩の力が抜けていく。
自分を「くーちゃん」と呼び慕ってくれる女性の名前はオーウィス。昔馴染みであり、彼女も一時期冒険者として活動していたが、次第に商業の道に惹かれ、現在は王都で自分の商団を立ち上げて独立している。
戦闘もさることながら医術の知識に長けており、集団戦においては貴重な治癒術師としても活躍していた。
『今どのあたりなの~?』
「山間部は越えたから、もうちっとだな」
『くーちゃんの『もうちょっと』はアテにならな~い!』
駄々をこねる様に喚いたオーウィスに、流石のクロウも苦笑を浮かべる。
「ったく……。そうさな、長く見積もってあと六日、ってトコか」
『むむ……。そんなに遅いなんて。いつもは四日くらいで来れちゃうくせにぃ~。
「ま、そんなとこだわ」
『むぅぅ~~っ……!』
クロウの言葉に、あからさまに不機嫌になっていくオーウィスの声音。
このままではマズイ。そう思った彼は、いつも通りの飄々とした口調で、咄嗟に思いついた話題を振っていく。
「そういや、お嬢達の調子はどうよ?」
『至って普通、かな~。お休みの日に顔は出してくれるけど~、あんまり進展はなさそ~』
「っクク、あいつら、揃いもそろって奥手だからなぁ」
『ま~ったく。見てるこっちがハラハラしちゃうよ~』
襟足がむず痒くなったクロウは、昔馴染み達の事を思い出し、後ろ髪を軽く持ち上げ、さすりながら笑う。
『……本当に、もうすぐなんだよね?』
「おう。安心しろって、今んとこ厄介事にゃ巻き込まれてねーよ」
念を押す様に訪ねてきたオーウィスの声音に、クロウは少しばかりトーンを下げて答えた。
何かあればすぐに呼ぶ。駆けつける。そんな信頼関係が、二人の間にはある。
理由を挙げるなら……そう。彼女が冒険者だった頃にコンビを組んでいたからだろうか。
だからこそ、短い言葉だけでも、声のトーンや言葉の速さで分かり合える。
『そっか……よかった~』
彼女の溜息交じりの「よかった」に、クロウも安堵の息を吐く。
「そういや、近いうちに勇者学校の入学式があるって聞いたんだが」
『うん~。あるねぇ~。それに一般枠の試験も』
「……一般枠?」
『勇者が依頼に出た時に、失敗しないように事前に情報を集めたりする人の事だよ~。要は雑用係だね~』
「ほーん……。そういうのがあるのか」
『出来たのはここ一・二年くらい~、かな~? 傭兵とか、退役した兵士の参加が多いみたいだけど~』
「腕に自慢のある奴ばっか参加してる、ってことか」
『そゆこと~。でも、試験が実技しかないから、かなりの人がふるいに掛けられるみたい~』
「まっ、量より質を求めるなら当たり前だわな」
あまり関わりたくねぇ仕事だなそりゃ、と内心で考えるクロウに、オーウィスは冗談めかして『受けてみたら~?』と言って来るので「誰がやるかっ」と苦笑交じりに辞退した。
「とにかくもうちっとで着くから、空いてる部屋取っといてくれや」
『了解~。気を付けてね、くーちゃん』
「あいよ。お前さんも身体にゃ気を付けてな」
『むふふ~。少なくとも、今のくーちゃんよりマトモなご飯は食べてるよ~』
「ったく……」
『それじゃあ、おやすみ~くーちゃん』
「おう。おやすみ」
通信が途切れ、クロウはふーっと息を空へ吐き出す。
「一般枠、ねぇ……」
こりゃ厄介な事になりそうだぜ、と呟きながら、これから起こり得るであろう出来事に辟易しつつ、湯につかったまま夜空に浮かんだ月を眺めるのだった。
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