第2話 勇者《アヤメ》

       ◇???◇



 ズズンッ……という重々しい音が森の中から響き渡り、鳥たちが一斉に飛び立っていく。


「なに――っ?」


 思わず腰に通した得物の柄に手を掛けて周囲を警戒するものの、その後目立った音などはなく、森は静けさを取り戻していた。

 考えてみれば、先ほど出会った灰色の髪をした青年が引き起こしたものかもしれない。

 胸騒ぎがして、私は音の元へ向かう。


(どうか、気のせいでありますように……)


 その先に彼の死体がない事を、祈りながら。



       ◇Crow Side◇



 ビッグベアの皮を剥ぎ取り、なめす為に持っていた布を広げ、皮に塩を振りかけて処理をしていた所で、不意に何物かの気配を感じたクロウは静かに投擲用ナイフを握りしめた。

 サクサクと土と草を踏みしめる音。それは軽く、鹿や猪当たりを連想させる。


「―――……」


 普通の獣であれば人の気配がすれば逃げていくものだが、今回は逆に近寄ってくる。珍しい事もあったもんだぜ、とクロウは内心で嘆息しながら臨戦態勢を整えた。

 音の元を辿り、木々の合間を縫って歩き近づいてくる不思議な気配に、いよいよナイフを投げようとした、その時――


「――ああ、よかった~っ。生きてた」

「……はぁーっ。あんだよ、アンタだったのか」


 先程川で出会った少女が、クロウの姿を見て心底安心したように胸を撫でおろしていた。

 ビックリさせんな、と盛大に溜息を吐いたクロウは脱力し、ナイフを懐に戻していく。

 少女はクリクリとした黄金色の瞳を動かし、辺りの様子を眺めて察しを付ける。


「これ、あなたが倒したの?」

「まぁな。道中色々と物入りなモンでね」

「見ててもいい?」

「ご自由に。別に面白ぇモンじゃあねーけどな」


 肩を竦めたクロウに少女は感心したような視線を送ると、近くにあった木の根元に座り込み、作業を再開した彼の様子を見学していく。

 塩を剥ぎ取った皮にまんべんなく広げていき、それを布に包んで保管。

 こうすることで水分や油が塩に吸収され、こういった動物の皮などを必要としている旅の行商人などに売りつければ、あとは水に何日か浸すなどして、専門の鞣し業者へと更に流されていく。

 作業中にも興味津々といった様子で逐一訪ねてきた少女へと、クロウは丁寧に応じていた。


「凄いね、旅をしてる人ってこういう事もするんだ」

「食い繋いでいくには大事な知識だからな……っと」


 残りは肉だけになったビッグベアの遺体を更に解体してゆき、食べる分だけを残し、保管する分は近場に群生していた、抗菌作用のある大きな葉へと包んで塩を振っておく。


「こうすりゃ、必要な分だけ切って焼いちまえば食える。まっ、獣臭さは残っちまうけどな」


 まるで手品を見た子供の様に凄い凄いと拍手をしながら連呼する少女に、クロウは苦笑を浮かべた。


「アンタ何も知らねぇのな。今まで何食ってたんだよ?」

「そうだねー。木の実とか、あとはお魚とか、かな?」


 まあ、旅人の大半がそうだろう。食用の木の実が成っている木の幹の形状などを覚えておけば簡単に手に入る食料なのだから。

 クロウは自分の手元にあるビッグベアの肉塊を見つめた後、何枚かに切り下して彼女に分けてやる事にした。


「え……いいの?」

「まぁ一人じゃあ到底食いきれないんでね。腐らせるよりかは良いと思ったんだが」

「ありがとう! 大切に頂きますっ!」


 彼女にとっても久々の肉だったのだろう。クロウは小さく笑いながら野営の準備を始めていく。


「そういえば、名前を言ってなかったね」

「ああ。俺の名前はクロウ。しがない冒険者ってトコだな」

「私はアヤメ・リッカ。学生だよ」


 クロウは自分の荷物から乾燥した小さな長方形の木々を取り出し、ナイフの背で細かく刻み、火打石をぶつけ合わせる事で火種を作って火を灯す。

 そんな時、彼女の肩書きを聞いて、灯した火へ蒔をくべた所で、彼はピタリと手を止めた。


「……はっ?」

「えっ?」


 お互いに素っ頓狂な声をあげ、呆然とした表情を浮かべたクロウは、同じく目を丸くして驚いているアヤメと名乗った少女へと訪ね返す。


「どうして学生様がンな辺境に?」

「あ、ああ~。それはその、遠方から剣術指南の依頼があって。帰りの馬車の到着もまだまだ先だったから、徒歩で行こうかな~、と」

「……その行動力にゃ感心するが、迎えが来てるってんなら素直に待ってた方がよかったんじゃねーか? 危ねぇだろ」


 脚があるのならそっちの方が絶対に良いだろう。目的地はどこかは別として、冒険者でもない学生が一人でこんな森の中を歩いているのはあまりに危険すぎる。女性ならば尚更だ。


「それがねー、一月待ちなんだって。入学式があるから、そっちのお迎えに御者さん達も人手が回されているみたい」

「っハハ、そいつぁご苦労なこったな。この時期は特にそういったのが多いわけか」

「そういうこと。なーのーで、一月も掛かるなら歩いて行っちゃおう! 一週間くらいだし! ……ってことで、こうしてあなたみたいな冒険者さんの真似事をさせて貰っているわけです」


 むふーっと胸を張って答えたアヤメに、クロウは苦笑を浮かべる。


「学校はどこなんだよ? この辺りで有名処っつーと、《レイシア勇者養成学園》あたりか?」

「大正解♪ 流石だねーカラスくんは。察しの良い人は嫌いじゃないよ~?」


 レイシア勇者養成学園とは、大陸全土を股にかけて活動する勇者の養成機関だ。世間一般では『勇者学校』とも呼ばれており、毎年排出している勇者達の活躍によって、その学園の名前は轟いている。

 勇者とは人類が魔王に対抗する為の唯一の切り札とされているが、確かにその伝承は間違ってはいない。


 大昔にあった《七聖剣》と呼ばれる勇者、そして行動を共にした英雄が使用していた武器は、魔王討伐をキッカケに勇者自らの手で破壊されたと言われている。

 それは魔王を討伐し、転生をさせないため。

 魔王と聖剣には特殊な繋がりがあるようで、それがある限り魔王は時を経て幾度となく復活するらしく、その対策として、七つの聖器は破壊されたようだった。


 今では散り散りとなった聖剣が、破片でさえ未だにその力を有しているのか、大陸各地で勇者の身体に刻まれていたとされる《聖刻印スティグマ》を持つ子供達が何人も生まれてきている。

 それぞれが勇者としての力を備えており、聖刻印を持つ少年少女に悪行を積ませることがない様、勇者を育成する機関が作られた。

 それが、「勇者学校」なのである。


 閑話休題。聴きなれない単語を耳にしたクロウは、訝し気にアヤメへと振り向いた。


「……カラスくん?」

「あ、ごめんね。東洋だとクロウって名前はカラスって呼ばれているの。イヤだった?」

「んや別に? 通り名だしな」


 本名は別にある。それでも、クロウはそちらの名前で呼ばれることを嫌っていた。

 それに彼は十数年をこの名前で通しているのだ。今更本名で呼ばれる事など滅多にないだろう。むしろ反応する事ができないまである。

 パチパチと火の粉が舞い、クロウはバッグに吊るしていた小ぶりなスキレットを外し、荷物からカトラリーセットを取り出して、肉に軽く切り目を入れスキレットに乗せて焼き始める。

 調味料は持ち合わせの塩と安価で購入できる香辛料のみ。少なくとも、これで獣臭さは少しは中和できるはず。


「にしても、勇者学校の御嬢様が一人旅とはねぇ。世も末だぜ」


 聖刻印を発現した子供達は、各領地の勇者学校に通う事を義務付けられている。

 基本的に子供が初潮や精通を迎えた時期に聖刻印が発現することが多い。しかし個人差があるのか、生まれたばかりの赤ん坊や、思春期真っ只中の少年少女に現れる事もよくある事だった。

 だからこそ、勇者となんら関係のない血筋の人間でさえ数年はその学校へ通わされ続ける為、農家や鍛冶屋など、専門性のある家柄を持つ子供達の為に、各領地から謝礼金が出されているのだ。

 そのうえ、伝説についても一種の宗教染みたところがあり、一人の勇者が倒れれば他の勇者も同等という見方もあって、依頼を受けた場合は、失敗は何一つ許されない。恐らく、彼女も例外ではないだろう。

 故に勇者達のバックアップは過保護というくらいに徹底され、依頼に向かった土地への送迎なども領地を挙げて行わなければならないわけだが……。

 今回は新しい勇者の子供達を迎える為に、先輩の勇者が後輩に席を譲った、ということか。


「まあでも、新しい子達が入ってくるのは決して悪い事じゃないからねー。お姉ちゃん、歩いてでも入学式には間に合わせる所存ですっ」

「っはは。良い心意気だな……っと、できたぞ。ほれ」


 最後に臭い消しとして、乾燥させた香草を細かく砕いて振りかければ、完成。

 木製の容器に乗った赤肉から滲み出ている油は火によって輝いており、食欲をそそる香辛料と香草のいい匂いがアヤメの喉をこくっと鳴らした。


「いただきまーす♪」


 カトラリーから専用のシルバーを借りたアヤメは合掌し、上品に一口ずつに肉を切り分けて口へ運んでいく。

 そんな様子を、小ぶりのナイフで肉を刺し、野生児の様にそのまま齧り付いたクロウは、アヤメをまじまじと見つめて(本当に御嬢様なんだな、コイツ……)と、改めて彼女が育ちのいい人間だと実感する。


「ん~っ、美味しい!」

「まぁ、図体がデケぇ分、雑味が出ちまうけどな。お宅の食事と比べるとかなりマズイだろ」

「それでも、久しぶりにお肉食べられたからねー。満足満足♪」


 ニコニコと頬に手をあて、若干の獣臭さが残る肉でも嬉しそうに頬張る少女に、クロウは「そうかい」と肩を竦めながら目を伏せて、食事を続けた。


「この後、どうすんだ?」

「私はこのまま王都の《レヴナンツ》に戻る予定。カラスくんは?」

「まぁ、俺もちょいとそっちに用があるんだわ」

「レヴナンツに?」

「おう。地元の御嬢様がお宅に在学しててな。親御さんから預かった荷物を渡さねーと、な」

「へぇー。何年生?」

「確か……今年で高等部の二年だったか? そろそろ現地での依頼が割り当てられっから、せめて確実に手元へ届くように、ってな」

「よっぽど信頼されてるんだね、カラスくん」

「んやぁそんなんじゃねーよ。たまたまそこに居たから、頼まれただけだ」


 羨望の瞳でクロウを見るアヤメに彼は目を伏せて肩を竦める。

 各都市に荷物を運搬する業者も存在することはするが、それは決して安全ではない。賊などが出る可能性もあり、預かった荷物を奪われてしまう事も少なくないからだ。

 だからこそ、ある程度の経歴を持つ冒険者は小さな荷物であればそういった運搬依頼を受けたりすることもある。正式な依頼ではなく、依頼主に報告する義務などもない為、前金などを貰うか、それとも善意で「物のついで」とするかのどちらか。

 育った土地の人間であれば、冒険者でもそのうちふらっと戻ってくるだろう、ということで、彼に白羽の矢が立った、というわけである。

 ……もっとも彼の場合、「家でグータラしてるなら行ってこい」と家族にけしかけられた、という理由が多分に含まれていたりするが、それは別の話だ。


「なら、私と一緒に来てくれると嬉しいんだけどなー。お肉もご馳走になっちゃったし、あっちに着いたら何か奢らせてよ」

「いやいや、流石に王都の食事となりゃ割りに合わないだろ。さっきも言ったように一人じゃ片付けられねぇ量だからな」

「受けた恩は返さないとい・け・な・い・の。じゃないと私が怒られちゃう」

「……わーったよ。なら酒場の安酒でも一杯奢ってくれや。そんなに強くないんでね」

「よろしいっ」


 根負けしたように肩を下げるクロウを見て、華の様に顔を綻ばせたアヤメは、再び肉を口に運びはじめ、それからもぽつぽつと会話を交わしながら、穏やかな時間を過ごした。

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