第34話 人の何に惹かれるのか
「そう、やっぱりダメなのね」
「えぇ、僕は人のままでいたい。だから、貴方の誘いは受けられないです」
「……そう」
エレナさんの声が聞こえると同時に、膝に感じていた重みがなくなる。ソレと同時に指をパチンと鳴らしたような音が響き、目の前に小さな明かりが灯った。
机の上に、数本蝋燭が置かれていたらしい。
「フラれちゃったわ……残念。そう、本当に残念よ。せっかく魔導書とか、色々用意してたのに……」
明かりの近くを見てみると、そこには分厚い古ぼけた本が数本置いてあった。
他にも『契約書』と書かれた紙、指輪やイヤリングといった装飾品もある。
どうやら、本気で俺を吸血鬼の一員にするつもりだったみたいだ。
「貴方のために屋敷の書庫を漁って、読みやすそうな本を持ってきてたの。ちょっと奮発して、高めの触媒も買ってきたわ」
「……すいません、エレナさん」
「ううん、いいの。これはそうね……リョー君にあげちゃおうかしら。そろそろ学校でも、魔法の科目が追加されるでしょうし」
そう言って、エレナさんは小さく笑った。
先程まで見せた楽しそうな笑みとは違う。自分を納得させるための、やけっぱちにも感じる笑みであった。
「ねぇ、忠人さん。一ついいかしら?」
「……何でしょう?」
「なんで貴方は、ここまで求められているか分かるかしら?ステンナのお嬢ちゃんも、ヘルブラッドの子も、酒場の子猫ちゃんも。他の子達も……皆々、貴方を求めている。その理由が分かる?」
……考えた事無かった。
そもそもステンナはともかく、他の誰かに惚れられているなんて信じられないの事実だ。
しかも彼女の言い振りからすると、杏里先輩も俺のことをその……好きだって言うのか?
頼りになる素敵な先輩だとは思うけど、まさかそんなこと考えた事も無かった。
理由があるとすれば、俺が希少な存在だから……だろうか。
「……純人間だから、でしょうか?」
「んー……当たらずとも遠からず、かしらね。別に純人間だったら、誰でも良いってワケじゃないわよ」
少しばかり呆れた様な顔をしたエレナさんは、机を挟んだ先にあるソファに座り、足を汲んでこちらを見つめる。
「もともとの話だけど、モンスターは何を見て恋をすると思う?」
「……容姿や性格ですか?」
「ダメダメ。純人間の、人間の基準で考えちゃダメよ。そんなんじゃ、女の子の気持ちだって永遠に理解できないわ」
う、うっせぇやい。
これでも頑張って出した答えだぞ。
「教えてあげる。モンスターはね、人の気持ちというか……誇りに共感した時、恋に落ちるの」
「誇り、ですか?」
「そう、ソレが無いとモンスターは揺らがない」
彼女は近くにあったワインを手に取り、ゆっくりと口に運ぶ。
口の中でコロコロと転がしながら、その風味を楽しんでいるようだ。
「どのモンスターにもね、他のモンスターには負けない長所が必ず存在するわ。例えば、ドワーフには鍛冶の技術がある。ピクシーには幸運がある」
「……確かに、存じています。その秀でた分野だけの勝負なら、上位モンスターに勝ってしまう種族も存在すると」
「そう、その通り。でもね、逆を言えばその力を駆使する以外の選択肢を見失ってしまう。貴方も、そんなことを思ったことは無い?」
彼女に問われた事、確かに俺は覚えがあった。
そう、杏里先輩と飲みに行った帰り。シルバーウルフの獣人との会話だ。
彼は自分のやりたいことをするために、自分の長所を捨ててまで記者の仕事をやっていると言っていた。
「二つの世界が繋がるまで、モンスター達には強い喜びも、激しい悲しみも無かったの。自らの力を単に振り回し、他種族を翻弄し、争うことで少しばかりの愉悦や怒りを感じるにすぎなかった。ドラゴンとサイクロプスも、今みたいに険悪じゃなかったわ」
「……人との出会いは、その生活に大きな変化を与えたのですか?」
「えぇ、劇薬と見紛うほどにね。弱弱しく、潰される運命しかない程に小さい存在が、その輝きを絶やさず日々を生きている。それも、自分の欠点すら受け入れて。その生き方を見せつけられて、私たちモンスターに敗北感を与えたの」
敗北感。
まさかモンスターの彼女から、そんな言葉を聞くことになるとは……。
敗北とか勝利とか。モンスターっていうのは、そんな感情からかけ離れた存在だと思い込んでいた。
「悔しかったわ。それに情けなかった。悔しさを隠して、必死に貴方達で遊んでいるように見せるモンスター達が。必死に人間の言葉を覚えて、どうにか『強さ』の秘密を知ろうとしたドラゴンが」
「……」
「例え話せるようになったって、人間の力なんて一生手に入らないのに」
驚愕、唖然。そんな気持ちしか浮かばなかった。
「でもね、私だって分かってたわ。どうしようもない程に人間を欲していたって。知ってるかしら?私達吸血鬼は、今まで太陽を見ようだなんて一度も思ったことが無かったわ。危険で害しかない上に倒すことは出来ないから、ずっと穴倉にこもって逃げ続けていた」
「……それは、仕方のない事では?」
「えぇ、優しい貴方ならそう言うと思ったわ。でも違うの、克服しようと思えば、きっとできたの。何十年、何百年かかるか分からないけど。だけど私たちは諦めた。認めたくなかったのよ、自分たちに弱点があるってことを」
はぁ、とため息をつくエレナさん。
そんな彼女に対して、ただの純人間の俺が何を言えるだろうか。
何か気の利く言葉が出て来るわけもなく、俺は彼女の言葉をただ聞くことしか出来なかった。
「だから、弱い自分を受け入れて前に進もうとする人間に、私たちは恋焦がれたの。モンスターには酷い奴もいてね。今みたいに力を振りかざして、無理矢理関係を持とうとしたモンスターもいたわ」
次々と衝撃の事実を聞かされ、俺の脳が理解できなくなる。
モンスターがおおらかだなんて、そんなことは全然なかった。むしろ、人間なんかに劣等感を抱いて、強がってみせていただけだという。
そんな事を聞いて、俺はどんな感想を抱くべきなのだろうか。
モンスターを憐れむべきなのか、怒るべきなのか、喜ぶべきなのか。
ただ、考えがまとまらない俺でも、一つだけ言える事があった。
「……同じ、ですね」
「同じ?」
「はい、人間もモンスターも。まるで変わらないじゃあないですか」
吸血鬼も、実際には寿命がないワケではないし、殺すことが出来ない存在ではない。
弱点である日光を浴び続ければ、いかに超再生能力があっても、それを上回る破壊を受けて死滅してしまう。
他の種族だってそうだ。ドラゴンからゴブリンまで、欠点は弱点は必ず存在する。
そう、要はほんのちょっぴり強いだけ。
他の種族も変わらない。少なからず欠点があり、弱さがある。
全ての人間が弱点を克服しようだなんて、そんなことは思っていない。むしろ逆で、弱さを隠して強がってみせる。
かくいう俺だって、知られたくない秘密はある。
人間とモンスター。
彼女の話を聞いて、そこに何も違いなんてないと思えた。
「……それを言えるから、貴方は好かれるのよ。私たちモンスターが一番言って欲しい事を、貴方は簡単に言ってしまうから」
「そ、そんなつもりは……」
「無いでしょうね、分かってるわ。だからこそ、貴方の心は尊重される。もしこの時代に飛ばされた人間が、ずっと低俗で愚かな思考の持ち主だったら……貴方はどうなっていたと思う?」
「どうって言われても……想像がつきません」
「そうね……保護と言う名の監禁。最悪、脳だけ切り捨てられてモルモットね」
ひぇ……。
冗談かと思ったけど、目が全然笑っていない。
「貴方自身の在り方。差別のない優しさ。そして根幹を決して曲げない誇り。そんな貴方を見て、皆大好きになっちゃったのよ。知らないと思うけど、ヘルブラッドのメイドなんて、貴方の事を盲目的に狂信してるのよ?」
は?いや何言ってるんだ?
ヘルブラッドのメイドって……カノンさんのことだろ?
何をどう見たら、狂信なんて言葉が出て来るというんだ。逆に黒焦げにされそうなんだけど。
「お、仰る意味が分からないのですが……」
「ふふ、貴方って自分の考えは正直に言えるのに、他人の感情はさっぱりなのね。あの子が貴方に厳しい対応をするのは、主と貴方の事を考えてのことよ」
「主……ヘルブラッドさんの事ですか?」
「まぁ、当主の方もだけどね。あのメイドは貴方に会う度に、焼き切れそうな理性を保つので精一杯なのよ。普通に接していたら貴方、きっともう何回も襲われてるわ」
「えぇ……」
「まぁウチの子も、名前を呼ばれたら我慢できなくなっちゃうみたいだけど」
クスクスと妖艶に笑いながら、さらりととんでもない事を仰る。
そんなことを言われたら、次からカノンさんに会った時どんな顔をしたらいいか分からんじゃないか。今後キツイ態度を取られる度に、変に気を遣ってしまうぞ。
ていうかこの家のメイドさんも、そんな理由で名前を教えてくれなかったのか。
無理に聞こうとしないで良かった……。
「校長先生もそうよ。もちろん恋愛の感情とは違うけど、貴方の魂に魅力を感じている。近いうちに、蓮田一族の御嬢さんとお見合いさせられるかもね」
「い、いやぁそこまでは流石に――」
「無いとは、言い切れないでしょう?」
君を我が一族の眷属にする。
ステンナの家を立ち去る時、校長は確かにそう言った。
あの真面目で固い校長が、あの局面で冗談なんて言わないだろう。
「……」
「ふふ、まぁ自覚なさいな。貴方は思っているよりも魅力的で、色んな獣人に愛されているってことを。ほら、今もお迎えが来てるわよ」
「へ?」
エレナさんの言葉を不審に思った瞬間、突如闇しか存在しなかった空間に光が射しこんだ。日の光ではない、何か神聖な力を感じる光だ。
次いでビキビキと空間に亀裂が走り、この空間を崩壊させていく。
見たことのあるヒビだ。詳しく言うと、ステンナの家で。
「青柳ッ!無事かッ!?くそ、そのデカい図体を下げろ単眼!」
「貴方こそ退きなさい火トカゲ!あぁ青柳さん、ようやく屋敷に突入できました。さぁ早く私の傍に!」
「先生無事!?なんか胸騒ぎがして近くを歩いてたら、ボディーガードさんが近くにいて……!」
「そしてお屋敷の前でおろおろしている二人を見て、私も様子を見に来たよぉ」
「きゅるきゅるるるる!」
「ふむ、守護を任せていたコレが帰ってきたから何かと思ったが……問題はなさそうだな」
「お母さんッ!!いきなりシークレット・ボックスなんか開いてどういうつも……ッ!?今すぐ先生から離れろぉッ!!」
「けほ、無念……申し訳ありませんご当主様。この数、流石に捌き切れませんでした」
ヒビの中から出てきたのは、俺が良く知っている人たちである。
最初に、杏里先輩と亜子さんが押し合って飛び出てきた。
次にステンナとフィンドーラが、仲良くならんで心配そうにこちらを見ている。
貴婦人さんは慌てた様子で扉から俺を指さし、校長は心配ないと分かると瞳を閉じてその場を動かない。
アントワネッタは鬼神の如き勢いで怒り狂い、シトーリャさん……いやメイドさんは服の端を焦がして倒れていた。
「ね、愛されてるでしょ?まぁ明日からは、しっかりと自覚して頑張らないとね」
「は、はは……」
嬉しいが、笑うしかない。
俺は迫りくる皆の顔を見ながら、ひとまずは思考を完全停止させる。
だがその中に恐怖は無い。どこか安心感、幸福感に満たされていた。
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