第26話 健全な朝……
結局俺は、風呂にも入らずそのまま寝てしまっていた。目を覚ますと、見慣れた景色が視界に入ってくる。
眠っていたのは居間……なるほど、ソファで力尽きてしまったのか。体の上には薄い毛布がある。
少しダラしないだろうか。しかしまぁ、もう体力が限界だったんだ。許して欲しい。
そんな誰かに向けたモノでは無い謝罪を心の中でしながら、俺は辺りの様子を確認する。
いつもの朝、窓から暖かく鬱陶しい日光が見える。
外からはミニドラゴンの鳴き声が聞こえてきて、台所の方から朝食の香ばしい匂いがしてくる。
ベーコンの焼ける匂いに、トーストのふんわりとした匂い。
どこでも見る、一般的な朝食のようだ。
昨日碌な食事をしなかったせいか、腹がギュルルとなってくる。口も唾液が大量に発生していた。
そしてソファから起きてその場に立ち、ゴクリと唾液を呑み込んだその瞬間、俺は妙な違和感に気付いた。
「……飯?なんで?」
俺、ここに寝てたよな?
朝食どころか、夕飯すら作った記憶が無いんだが?
「……」
よくよく考えたら、ソファの上で眠った記憶も無い。掛布団を取り出した記憶も当然なかった。
俺の記憶が途切れたのは、台所であのメモを見た時だが……。
「起きましたか。起床時間はやや遅めですが……昨日のこともあるのです。良しとしましょう。幸い今日は土曜日です。仕事に遅れてしまうこともありません」
そんな声が聞こえ、俺はドアの方を見る。
そこにはいつものピッチリスーツの上に、可愛らしいウサギのイラストが描かれたエプロンを装備した亜子さんがいた。
「おはようございます、青柳さん」
「……おはよう、ございます」
「朝食の用意は出来ておりますので、洗顔後に台所へお越しください」
「……分かりました」
あぁ成程、朝食を作ってくれていたのは亜子さんか。
おそらく、台所で倒れていた自分をここまで運んでくれたのも彼女だろう。
……え、なんでいるの?
なんか普通に受け入れそうになったけど、彼女が朝から家に来るなんてめったにない事だぞ。
しかも朝食の用意まで……いったいどういうことなんだ?
「あの、亜子さん」
「何か?」
「な、なんでウチにいるのかなぁ……って思いまして」
「……昨日、深夜に上司を叩き起こし、ある書類を認可させました」
え、なに物騒なんだけど。
「内容は、貴方の護衛の強化です。昨日も貴方は、帰宅時間が大幅に遅れましたね?」
「あ、あれは事情が……」
「えぇ、理解しております。貴方を探している間に、蓮田殿から直接念話が届きましたので」
しかし、と。
隠す気が無い程に重く、そして静かな怒気を発しながら亜子さんは俺に詰め寄る。
「貴方が遅れたことは事実。そして貴方の身に危険が迫ったことも事実です。そのため、貴方の警護強化を申請しました」
「な……た、確か警備体制の強化には書類の申請が通らないといけないんじゃあ……?」
そう、俺の警備体制を変えるには、軽くするためにも重くするためにも申請が必要なのである。
当初の亜子さんの厳しい警備を改善してもらうために、何日も彼女の上司のもとへ足を運んだことを覚えている。
「既にご自宅で奥様と眠っておられた部長は、窓を突き破って入ってきた私に酷く動揺されていました。えぇ、そのせいで正常な思考が難しかったらしく、書類の認可は容易でした」
「えぇ……普通にインターホン鳴らして呼べばよかったんじゃ……それに、深夜に行かずとも今日の朝とかに職場で言えばよかったんじゃ……」
「部長は大変思慮深い方でいらっしゃいます。正常な状態での申請では認可に時間がかかると思い、すぐさまカタがつく方法を取ったまでです」
大変だな、あの人も。
そう思い、一度だけ会った小太りでハゲかかった部長さんを思い出す。
人が良さそうな顔をしていて、心労が多そうな方だという印象があった。
……まぁ、悪魔の血を受け継いだ獣人だから、多少の演技が混じっているのかもしれないが。
「とにかく、貴方の警備はある程度強化されました。四六時中一緒に……ということにはできませんでしたが、多少は貴方の生活への干渉が許されています」
「……」
「幸い今日は土曜日、職場に行く必要はありません。今日はここでずっと、貴方の御世話をさせていただ――」
「あ、すいません亜子さん。今日の午後からはちょっと予定が……」
「……なんですか?」
うぉ、怒気の勢いが増してきた。
静けさが消えて、明らかに冷静さを無くそうとしている。
「普段の貴方なら、特に予定が無いのなら夕食の材料を買いに行くことさえ面倒だと言うでしょう。コンビニでお弁当やレトルト食品を購入されていることは熟知しております。まったく、不健全な……」
「め、面目ない」
「そんな自堕落な貴方が急な用事もないのに、わざわざ予定を作るなど考えづらいのですが……いったいどのようなご予定が?」
顔は無表情のままだが、明らかにイライラしている亜子さん。
怒りの形相は恐ろしいが、無表情は無表情で恐怖を感じてしまう。
「え、えぇと……なんというか、仕事の延長線なんですよね」
「……何か備品の購入でも?」
「いえまぁ、ちょっと会わないといけない生徒さんがいまして」
「……もしかして、例の引きこもりの?」
「あはは、まぁ正解です」
そう言って、俺は台所の方へ向かう。
せっかく亜子さんが朝食を用意してくれたんだ、しっかりと食べないと。
「なるほど、そういうことでしたら仕方がありませんね」
「えぇ、ですから亜子さん。今日はこのままお帰りいただけたらと思います。朝食や自分を運んでくださったこと、本当にありがとうござ――」
「でしたら、私も同行いたします。貴方の警備は、私の最高任務ですので」
……え?
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