第20話 上位のモンスター


「ヘルブラッド先輩、蓮田校長まで……!?」

「うむ、問題ないようだな青柳君。朝に直接君の脳へ干渉した甲斐があったモノだ」

「の、脳に……?」


 いきなり現れた二人にホッとした俺であったが、脳とかいきなり言われると不穏で仕方がないのだが。

 今朝干渉したって、一体何をしたんだこの人?


「あの、先輩。校長は何を……?」

「そうだな、とりあえず今朝の事から説明しなきゃいけないんだが。まず青柳、お前は今朝学校に行ったと思い込んでいるが、実際は学校に来てはいないんだ」


 んん?

 すいません、ちょっと何言ってるか分からないです。

 今朝確かに俺と二人は会っているし、話しをしていたはずだけど……。


「お前はステンナの歌を聞いた時から幻覚を見させられていたんだ。学校と思って行っていたのはコイツの家で、お前はずっとやってもいない授業をし続けていたんだよ」


 何それ、怖すぎるんだけど。

 俺って、今朝はステンナが消えた後にちゃんと学校に行って、生徒相手に授業していたはずじゃないか?


「あの、流石に実感が全然わかないんですけど……そもそも、今朝は先輩とも軽く会話をしましたよね?」

「……逆に、それ以外の誰かと会話をしたか?お前はコイツの幻覚で、一日をそつなくこなしたように思わされただけなんだよ。ご丁寧に人払い魔法のダミーまで用意して」

「本当に作動していたのは、幻覚の魔法。君は彼女に惑わされ、この場所に閉じ込められてしまったというワケだ、青柳君」


 ステンナを睨み、ふんすと息を荒げる先輩。

 対して、校長は眉一つ動かさず辺りを見渡している。多分、他に仕掛けが無いかを探しているのだろう。

 色々な方向を見ていた校長だが、ふと俺が落としてしまった布を見ると、はぁと軽くため息をついた。


「……なるほど、獣の召喚にまでは至らなかったようだな。これでは、我が一族へ迎え入れるにはもうしばらく時間がかかるか……」

「何を言ってんだアンタは。青柳を貴様らの操り人形にしてたまるか。それに、黄衣を呼び寄せただけでも上等だと思うぞ」

「確かに今の彼を考えればそうだろうが……やはり直接拝ませるべきか」

「だからダメだっつってんだろ。お前の所にやるくらいなら、私が無理矢理アイツを鎖で繋いでやる」


 すごく悪い事を言い合ってらっしゃる。

 なまじ聞き覚えのある単語が出たりするので、現実味があって怖い。

 本人の前でこういうこと話したりするのは勘弁してほしいぞまったく。


 正直聞きたくないが、未だステンナの縛りが残っているのか上手いように手が動いてくれない。

 耳を塞ぐまで、もう少し時間がかかりそうだ。


「……先生たち、いくらなんでも人の家に土足で入ってこないでくれない?迷惑なんだけど」


 と、そこでようやくステンナが口を開いた。

 先程までの甘ったるい雰囲気は消え、俺を攻撃してきた時のようなモンスターの雰囲気が感じられる。


「ふむ……では青柳君。ここで見ていなさい。モンスターの力というモノがどういうものか、今一度教授するとしよう」


 彼女の前に出たのは校長であった。


 彼は右手を胸元まで上げると、何もない空間を割って手を突っ込んだ。当たり前のようにやっているが、ワケが分からない。


 校長は裂け目の中から何かを取り出す。

 それは俺に渡したモノと同じ小瓶であった。恐らく、あの中には蜂蜜酒が入っているのだろう。


「……そも、モンスターの中には上位と下位が存在する」


 校長は中身を飲むことなく、バリンと握力だけで小瓶を割る。その中から蜂蜜酒であろう透明っぽい液体がダラダラと流れ出し、校長のスーツを汚していく。


 その中に混じる緑色の液体が何なのか、俺には探る勇気が無かった。


「その基準は様々だ。力、知恵、魔力、年齢……諸々の項目を踏まえて、種族の優劣を決めている」


 スーツを伝い、沁みだした蜂蜜酒がポタリと地面に落ちる。

 その時に、見たことも無いような魔法陣が地面に生じた。

 何だろう、見ただけで意識が遠のくような赤い魔法陣だ。俺が見てきたどの魔法陣よりも線が細かく、複雑な造りをしている。

 そこに刻まれた文字の一つも、俺には解読することが出来ない。


「ッ!?青柳耳を塞ぐぞ、目を自分でとじ――」

「ならん、目は塞ぐな。彼はコレを見る義務がある」


 俺の背後に駆け寄る杏里先輩に対して、こちらを見ていない筈の校長が口を挟んだ。


「彼は知らなさすぎる。この世界を、モンスターを。この時代に来てから10年経っても変わらない、私の落ち度だ。故に今回のような事故に至ったのだ」

「……だが、アンタのペットは危険すぎる」

「なに、無理だと思えば狂う前に君が止めれば良い。青柳君、今から見るのはモンスターの中でもそれなりに上位の存在だ。知性はあるが、極めて凶暴なね。その目でしかと見るがいい」


 先輩の豪快な舌打ちが響く。

 今から俺の身に何が起きるのか、全く理解できない。いや逆に、理解できたら不味いモノなのかも。

 どちらなのかすら、今の俺には判断できなかった。


「さて、では始めるとしようかステンナ君。なに、殺すことはないさ……イア、イア、ハス――」

「ッ!?青柳気張れよ!!」


 一瞬視界が揺らいだと思ったら、両耳に手をかけられた瞬間元に戻る。

 恐らく、校長の呪文の一部を聞いたからだろう。精神の保護も無く強力な呪文を聞くと、一瞬で精神をやられてしまうからな。


 ソレと同時に、体中に温かみが戻ってくる。

 試しに指先を動かしてみると、しっかりと動いてくれた。どうやらステンナの縛りは完全に解けたようだ。


『青柳、聞こえるか?私はお前に直接念話している。お前は普通に話しかけていいからな』


 ホントなんでもありだな先輩。

 そうか、心を読むことが出来れば伝えることも出来ると。

 いやぁ、納得だなぁ!


 と、現実逃避していたその時。


「グルルルル……」


 あらぬ方向からが真っ黒で豪奢な扉が出現し、その中から見たことも無い化け物が飛び出てきた。

 パッと見て巨大なアリのような形をしているが所々正常でない部分が多い。

 竜の持つ巨大な翼。四本の腕。人間のように柔らかそうな皮膚。

 それなのに、どこまでも生物らしさを感じられない程冷たさを感じた。


 まるで、主の命令を受けて殺しを続けるだけの、化け物のようだ。


「――」


 校長はそんな化け物に何かを話しかけると、化け物はステンナの方を見やり、突然襲い掛かった。

 反射的に体が動きそうになってしまうが、耳だけを抑えている筈の杏里先輩の力に抑えられ、前へ進むことができない。


「せ、先輩、あの化け物は……!?」

『あれは校長が使役する化け物だ。名前はバイア……いや、翼ある貴婦人と覚えておけ』


 貴婦人!?あれが!?

 どこからどう見ても人間には見えないんですけど!?


「あの化け物は、ステンナをどうしようとしてるんですか!?まさか、殺そうだなんて……!」

『安心しろ、ヤツもそこまでは命令していない。ただ、抵抗が激しいと再起不能にはなるかもしれん』

「全然安心できないッ!!」


 ステンナに襲い掛かった化け物は、その鋭い鉤爪を振るい彼女を捕えようとする。

 対するステンナは必死に避け続けていた。

 目が光っているあたり、邪眼も使っているように見える。効果は無さそうだが……。


 ステンナは髪の蛇を長く伸ばして化け物を牽制しているが、それすらもまるで意味を為していない。

 化け物は本体であるステンナのみを見据えており、それ以外の一切を些末とでも見ているのだろうか。

 いや実際些末なのかもしれない。邪眼も蛇も何もかも効かないのであれば、気にするだけ意味が無いのだろう。


 額から汗を滲ませ、必死に化け物の攻撃を避け続けるステンナ。

 そんな彼女は、ふと見覚えのある動きをしだした。

 忘れたくとも忘れることはできないぞ、あの口に手を添える動きは!


「あれは、呪詛の歌声!」

『……やっぱり、ステンナはアレを使えるんだな』

「先輩、あの技の正体が分かるんですか?確かメデューサにはあんな力は無かったと思いますが……」

『あぁ、メデューサの血筋には存在しないだろうさ。アレは、それ以外から取り寄せたモノだ』


 それ以外?

 分からない、先輩は何を言っているのだろうか。

 その言葉の意味を理解しようとしていた時、ズシンと高震度の地震を何倍にも凝縮したような地響きが起きた。


 見るとステンナは化け物の手に掴まり、床らしい場所に押さえつけられている。

 次いで、空気が割れる程に大きな雄たけび。あの化け物のものだ。

 幸い先輩に耳を塞がれていたために聞かずに済んだが、聞いていたら鼓膜が破けていただろう程に大きいと思う。


 雄叫びは広がっていた夜空の空間にヒビを入れ、バリバリと空間を裂いていく。

 そして次の瞬間には、俺たちは全く別の場所に立っていた。

 いや、本来の空間に戻った、と言うべきだろうか。


 少し広めの部屋。

 勉強机に本棚。ベッド、クローゼット、テレビ。

 女子高生が見るようなファッション雑誌が置いてあるテーブル。


 そして部屋のいたる所に、純人間に関する分厚い本が何冊も置かれていた。


「ここ、は……」

『ステンナの部屋だ。もう決着はついたから、手を離すぞ』


 そう言って、先輩は俺の耳から手を離して数歩前へ出た。

 地平の彼方まで広がっているように見えた空間は、その実こじんまりとした一室に過ぎなかったようだ。


「う、ぐぐ……」

「さて、ステンナ君。君がこのような愚行を犯した理由は理解できているつもりだ。しかし、それで彼を拉致して良い筈がない。分かっているかね?」

「ふ、ん……随分上から……言ってくれるじゃない……さすが……上位者様……ね……」


 ダメージが大きい体を無理に起こし、ステンナは校長を睨み付けた。

 その瞳に少しだけ力が戻り、妖光が宿っていく。


 しかし、次の瞬間には化け物に体を締め上げられてしまった。


「あぁぁっ!!?」

「無駄な抵抗はよせ、ステンナ君。そも、君の稚拙な術で私を操ることはできんさ」


 校長は冷静にステンナに対処する。

 その目に優しさだとか哀れみといった感情は一切感じられない。

 まるで、目の前の光景が当然だと言わんばかりに、一切の乱れが感じられなかった。


 ジャッポルンで一番の有力者。その肩書を思い出し、自然と俺の体は小さく震えてしまう。


「さて、ステンナ君。理解しているとは言ったが、できれば君の口から聞きたい。青柳君にも聞こえる声で、今回の騒ぎを起こした理由を言ってくれないかね?」

「だ、れが……」

「ふむ、なら仕方ない。自分から言った方が君も気が楽だと思ったが……モンスターに気遣いは不要か」

「ッ!!このッ……アンタ達はッ……!!」


 ゆっくりと俺の方へ歩いてくる校長に対し、ステンナは必死に化け物の拘束から逃れようとする。

 しかし化け物はその手を一切緩めることはなく、逆にその力を徐々に強めている。


「さて、青柳君。見ての通りステンナ君は説明を放棄したために、私が代わって話すとしよう。まず、全ての元凶として彼女の生い立ちにまで遡るのだが……そも彼女は、メデューサと純人間の混血というワケではない」

「このッ……やめろッ!先生にだけは言うなぁッ!!」

「放棄したのは君だろう。君は黙ってそこに横たわっていなさい。青柳君、彼女の血の中にはね、もう一つの血が混じっていたんだよ」


 淡々と説明を続ける校長に冷たさを感じながら、その一つ一つを頭の中に詰めていく。

 目を逸らしたくても、校長の目に捉えられた瞬間逸らすことが出来なくなっていた。


「別の血……ですか?」

「あぁそうだ。その血の持ち主の名はセイレーン。海の世界に生きる怪物だ」


 他の種族が混じった複数の混血種。

 その事実を聞いて、俺の中には一つの単語が出てきた。

 モンスターや獣人から忌み嫌われる、複数のモンスターの血を受け継いだ獣人。


「合成獣人……ですか」

「うむ、そのとおり。目の前のステンナ君は、純人間とメデューサ、そしてセイレーンの合成獣人というワケだ」


 校長はどこまでも冷たい目で、絶望の表情を浮かべるステンナを見下ろしてそう言った。


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