第19話 怒りの発生


「あっはははふぅフフフくふふふッ!」


 一歩も動けない俺を前に、ステンナは腹を抱えて笑い続けている。

 なんだ、純人間って言われたのがそんなに嫌だったのか?


「ふふ、くふふ……ねぇ、先生」


 ひとしきり笑った後、ステンナは俺の方へ首をグルリと回してきた。

 先程までの様子ともまるで違う。

 最早人ともモンスターとも形容できないような、ドス黒い何かが目の前に立っていた。


「私のこと、人間に見えるの?」

「な、何言って……」

「ほら、もう一回言って先生。私が、何に見えたって?」


 急接近してきたステンナは、右手を俺の顎に添えて囁くように話しかけてきた。 だが布の効果はまだ発動しているらしく、俺の顎に触れているようですり抜けているようだった。


 妖艶というか何というか、紅潮したその顔はどうにも色っぽい。

 しかしあれだ、いつの間にか変形している蛇のような舌が、俺と彼女の力関係を思い出させてくれる。おかげで余計な感情が生まれずに済んでいた。


「に、人間に見えたって言ったんだ。1万年前の、モンスターが来る前の人間に」

「くふふ……そっかぁ。私が、人間かぁ……ホント先生は、嬉しい事言ってくれるよねぇ」


 わなわなと震えるステンナはその顔を恍惚の表情で歪ませていた。

 両手で自分の体を抱きしめ、快感を必死に耐えているようだ。


「……ねぇ先生、私がなんで先生を閉じ込めたのか。分かるかな?」

「いや、そんなこと分かったら苦労せんっての。どこぞのドラゴン一家でもないんだから、顔見ただけで思ってる事なんて分かったりしないか――」

「他の人なんてどうだっていいでしょッ!?私の質問に答えてよッ!!」


 答えたやんけぇぇッ!!

 何、何が琴線に触れたの!?俺そんなお前の気に障るような事言った覚えないんだけどォッ!?


「ホントに、先生は、いっつもいっつも私を、イライラさせて!近づけたと思ったら、いきなりそんなこと言って!」


 や、ヤバい。

 何か知らんがとにかくヤバい。

 ステンナは今許さないって言った。許さないってことは、今までとはまるで違う何かをしてくるってことじゃないか?


「……もう、ホントに許さないからね」


 何か、何か対策を考えないと……。

 このままだと、次は何をしてくるか分からんぞコイツ。

 俺が生きていた1万年前もそうだ、キレた若者(?)は何をしてくるか分かったもんじゃない。


「んふ、先生……その衣、脱いでよ」

「はぁ?何言ってんだステンナ、そんなこと言われて脱ぐわけがな……にィッ!?」


 呆れたように言っていた俺であったが、ふと違和感を覚えた右手を見て言葉を詰まらせた。

 俺の目の前で、俺が決して起こさないであろうことが起きてしまっていたからだ。


「な、なんで脱いでんだ俺ェッ!?」

「ふふ、嬉しいなぁ先生。私のお願いちゃんと聞いてくれて」


 そう、俺の右手が意識とは関係なく、守ってくれていた布を脱ぎ去ってしまったのだ。

 トサリと落ちてしまった布は、主を失ったかのように力なく地面に落ち、先程まで感じさせていた神性を全く感じさせなくなっていた。


「……ハッ、そうだ!この感じ、さっきもそうだった!」


 言ってしまえば、朝もだ。

 彼女の不思議な歌声聞くと、体の自由が一切きかなくなる。


「なんで、メデューサのお前が、こんな力、を……」

「ふふ、なんでだろうねぇ。考えるのは良い事だけど、どうせすぐに無駄になっちゃうよ先生。今から何にも分かんなくなっちゃうんだから……」


 そう言って、ステンナは俺に全身を寄せてくる。

 布を落としてしまったせいか、もう彼女の体がすり抜けることは無い。

 

「や、やめろステンナ。これ以上何もするんじゃない!」

「えぇーなんでぇ?絶対嫌なことじゃないと思うんだけどなぁ……あ、でも先生じゃ耐え切れないかもなぁ。手加減、出来るかなぁ?」


 なんの!?

 ダメだ、完全に詰んだ。

 落ちている布を拾えさえすれば何とかなるのに。それだけで、現状を打破できるっていうのに!


「うぎぎ……このぉぉぉぉ……」

「あ、先生衣を取ろうとしてるの?あははっ、頑張れ頑張れ!ちゃぁんと取れたら、私から逃げ切れるかもよ?」


 こ、このガキィ(年上)!

 大人(年下)をここまでコケにしてくれてぇッ!

 正直モンスターが怖いとかいろんな感情が湧いてくるけど、とにかくまずこの子にギャフンと言わせたい。

 そんな気持ちが湧いてきた!


「い、いい加減にしろよお前ぇ……!」


 先程までの「防御」ではなく、明確な「攻撃」の感情が芽生えてきたのだ。

 恐怖でも、勇気でもなく。怒り。

 目の前の妙に色気を振りまく問題生徒を、折檻してやらねばと本気で考えた。


「人間だってなぁ……やる時はやるんだよォッ!!」


 自分でも頭おかしいと思う掛け声とともに、渾身の力を持って布へ手を伸ばす。

 それでも全く動かない腕が、どこまでも恨めしい。

 まるで己の限界はここまでだ、と。これ以上は無理だ、と。

 そう言い聞かせて来るかのようだった。


「そんなことで諦めれるかぁぁ……!」

「んー頑張ってるのはいいけど、先生全然腕が動かせてないよ?私もぉ、そろそろ我慢の限界なんだけどぉ?」


 甘ったるい声で話しかけるんじゃない!

 

「とぉどぉけぇぇッッ!!」

「ッ!?」




 その瞬間、あらぬ方向から轟音が聞こえた。

 バリバリと何かが割れる音。そして強引に裂いていく音。

 そんな音が、俺たちのいる空間に響いたのだ。


 その方向に何があったのか、俺は知っている。


「……ふむ、間に合ったようだな」

「当たり前だ。間に合わなかったら、私がアンタを消し炭にしてやるところだからな」


 音が聞こえたのは、先程生じた裂け目がある方向。

 その方向からは、蓮田校長と杏里先輩の声が聞こえてきた。

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