第18話 ちょっと無理でした


「キシャァッ!!」


 まず俺に繰り出されたのは、ステンナの右手。

 その手は俺の目では視認しきれない程速く、気付いた時には俺の右肩寸前にまで迫っていた。


「ぐッ!?」


 最初に驚き、そして恐怖。

 歴戦の戦士ってのは、その打ち合いの最中に何十倍もの時間を錯覚すると聞いたが、俺にもその凝縮された一瞬を少し感じることが出来た。

 その筋の達人でもない俺が見れた理由は、黄色の布が原因なのか、もしかして死の気配を前にして感覚が研ぎ澄まされたのか。 


 まぁ、出来たとしても体は追いつけるワケないんだが。

 寸前で視認できたとしても避けるなんてできるワケなく。俺の肩にステンナの指が突き刺さろうとした。

 本来なら俺の肩は粉々に粉砕され、ドクドクと無様に血が溢れるのだろう。


 だがしかし、俺を包んでいた布に触れると、ステンナは俺をすり抜けて後ろの方へ飛んで行った。

 先程俺をすり抜けた光線と同じだ。


「この布……相手の攻撃を全てすり抜けさせるのか!?」

「……ふぅん、随分面倒な力。あの校長がそこまで繊細な加護を付与させるなんて、余程気に入られてるのね先生」


 ステンナは空中でクルリと一回転すると、指を何もない空間に当ててギャリギャリとブレーキをかけた。

 俺の立っている位置と高さは同じ、なるほど少しこの空間の正体が分かってきたぞ。


「幻覚、でも確かに壁は存在する……となると、ここはどこかの屋内か」

「へぇ、便利な布きれを貰って、頭にも余裕が出てきたのかな?」


 そう言いながらステンナは俺の目の前まで迫ると、頭部の蛇を俺に目がけて飛ばしてきた。

 直接当たらないと分かっていても、大の苦手な蛇が眼前にやってくると流石に怖い。


「くぉッ……!?」


 俺は反射的に手を前に出してしまう。

 それが失敗だと気付く前に、蛇は差し出された獲物を捕らえようとその身を俺の手に絡めようとしていた。


「ッ!しまった!?」

「ふふ、その布切れがない所なら、掴めるんじゃないかな?さぁ皆、先生の腕を掴んで……え?」


 嬉しそうに蛇たちに命令を下そうとしたステンナ。

 だが彼女は次の瞬間、目の前で起きた事象に目を疑い、ポカンと口を開いてしまった。


 無理もない。彼女が確実に掴んだと思った俺の手は、先程と同じように霧のようにすり抜けてしまったのだから。

 正直、俺自身もすごく驚いている。

 驚きすぎて、事を理解するまでにたっぷりと数十秒かかってしまったくらいだ。


 しかし、おかげで彼女の攻撃を全て防げている。

 ステンナは正体がつかめない布の力を警戒したのか、数メートルうしろに飛び退いた。


「……まさか、体のすべてに作用しているのか?」


 布に視線をうつし、ふとそんなことを呟く。

 黄色の布は俺の言葉に呼応するかのごとく、端をゆらゆらと揺らめかせている。

 まるで、己に命や意思があることを証明するかのように。


「……あはっ、そっかぁ」


 そんな声を聞いて、俺は慌てて前を向きなおす。

 布に気をとられていた俺は、ステンナの様子が明らかに変化していることに気付かなかった。


「うん、凄いよソレ。布きれなんて言ってごめんね。まさか校長の命の一部……黄衣の王の権能そのものが込められているなんてね。アイツ、先生の精神が壊れちゃっても構わないのかな」


 震える声で独り言をつぶやくステンナは、そのままゆっくりと両手を口元に添える。

 まるで、山の頂上で「やっほー」と大声を出すときのようなポーズだ。

 流石に俺もその格好に見覚えがあったが、場違いすぎて理解が出来ていなかった。


「ふふ、なら物理的な攻撃は当たらなくて当然かな。だったら、直接頭に響く攻撃を喰らわせるまでだよ」

「なに言って……石化の光線も効かないんだぞ。俺も何もできないが、ステンナだってもう打つ手はないだろう?さぁ、早く俺を外に出して――」


 その時、俺がすべき行動は「説得」ではなく、「耳を塞ぐ」だった。

 理解できなかったとしても、ステンナの何かをしようとする動作を察知したのだから、それを可能な限り防げる行動をとるべきだったんだ。


 だがソレに気付いた時には、既にステンナ攻撃は俺に届いてしまっていた。


「……La♪」


 透き通るような、キレイな歌声。

 あぁそうだ、確か朝にも聞いたような声だ。

 その声が俺の鼓膜に届いた瞬間、俺の体に覚えのある違和感が駆け巡った。


「なッ……!?何だこれはッ!!?」


 最初はつま先、そこから足。

 同じタイミングで、手の先から肩にかけて。

 少しずつ少しずつ、体が俺の意思から遠ざかっていった。


 石化とは違う、感覚が残っている。

 しかし動作という事のみに関して、体は完全に俺の命令を一切聞かなくなってしまったのだ。


「……やっぱり、只の声は届くみたいだね」


 歌声が止み、ステンナの声が聞こえてくる。

 歌が止んだというのに、以前俺の体はピクリともしない。


「その衣は、物理的に害を為す攻撃をすり抜けさせる。私の声が先生の鼓膜を破るほど大きな声だったら、多分その衣は作動していた」


 でも、と。


 楽しそうに笑いながら、ステンナはゆっくりと俺の下まで歩いてきた。

 その表情に先程までの焦りも何もない。完全に勝利を確信したような、余裕に満ちた顔をしている。


「只の声なら、防ぐことはない。たとえその中に、貴方の自由を奪う呪詛が混じっていたとしても……ね」

「歌の、中に、呪詛だとぉッ……!?」


 堅固な城を落とす手の一つとして、外部からではなく内部から滅ぼしていく方法がある。

 爆弾や毒が混じった物品をワザと相手に送り付け、場内で作動。

 それにより甚大な被害を与え、場内をグズグズに崩す。


 つまりは、トロイの木馬。


「随分、純人間らしい事考えるんだな、ステンナ」

「……え?」

「お前が今やったことは、弱い純人間が考えた戦法の一つだ。強い獣人のお前がそんなことをするなんて……正直思ってもいなかったぞ」


 悔しさで視界が揺らぐ。

 最大限警戒していたというのに、変わり種を出されただけでこの体たらく。


 蓮田校長から受け取った力も使いきれず、呆気なくステンナに捕まってしまった。

 杏里先輩の優しさも、全て無駄にする形になってしまった。

 その事実を付けられ、俺はどうしようもなく悔しかった。


 そして怖くなってしまう。

 メンチ切った獣人相手に完全敗北したのだ。これからどんな目に合うか分からない。

 ステンナがどうしてこんな行動をとったのかは未だに分からないが、少なくとも良い目に合うことは無いだろう。


「……くふッ」


 そんなことを考えていると、ふと目の前から声が聞こえた。声の主は考えるまでもなく、ステンナだ。


「くふふふひゃひゃひゃひゃ!私が、人間!純人間!他の誰でもない、貴方が!それを言うなんて!!きひゃひゃひゃははッッ!!」


 狂笑。

 今まで聞いた事無い程の大声で。

 

 ステンナはどこか狂ったような笑い声をあげ、遥か上空を見上げていた。

 一体何が原因なのか、俺には分からない。


 ただ目の前でステンナを見ながら、小刻みに震えることしか出来なかった。

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